彼女が遺してくれたもの

 僕はしばらく呆然とする。

 ――シリカが消えてしまった?

 お別れもきちんと言えないままに。

 眠たいって言うから、ただ眠るだけだと思っていたのに。


 いや、きっと森のどこかに隠れているんだ。それで僕を驚かせようとしているんだよ。

 僕はきょろきょろと辺りを見渡す。

 しかし、どこにもシリカは居ない。

「シリカーぁぁぁぁッ!」

 思い切り叫んでみる。が、どこからも反応はない。

 もしかしたら、シリカはまたトリティになって、水を汲みに行ってるんじゃないだろうか。

 僕が誕生した時のように。

 それならここで待っていれば、シリカはひょっこり顔を出すかも……。

 しかし、待てども待てどもシリカが僕の前に現れることは無かった。

 ゆっくりと流れる穏やかな雲。ミモリの花は、ここに来た時と同じように静かに風に揺れている。

 広い花畑の中で、僕は一人ぼっちになってしまった。


 ようやく僕は、目の前に残されたシリカの服を拾い上げる。

 それは、信じたくない出来事を嫌々受け入れる儀式のように。

 服をぎゅっと抱きしめる。ほんのり香るシリカの匂い。


 ――僕はこれからどうしたらいいんだよ。

 ずっと一緒に過ごしてきたこの匂い、そしてシリカという存在。

 その存在が消えてしまった。

 それならば、僕もこのまま誰にも知られずに、この花畑で朽ちていくのもいいんじゃないだろうか。

 自暴自棄になりかけた僕は、はたと思い出す。


 ――誰にも知られずに?

 それは不可能だ。

 だって夕方になるとネフィーがライトと一緒に水やりにやって来るのだから。


 ――ネフィー。

 僕は彼女のために手術の道を選んだ。

 これからの僕は、彼女のために生きなくちゃいけないんだ。

 でも今は、そんな気持ちになることはできない。ネフィーには悪いけど、シリカが消えてしまったんだ、彼女だってきっとわかってくれる。


 ――車椅子はどこだ?

 とりあえず僕は車椅子を探す。

 僕らがやってきた小路を振り返ると、車椅子はかなり手前に転がっていた。

 あそこまで這っていくのはかなりの労力が必要だろう。

 僕にはもう動く気力さえ無くなっていた。



 その時だった。ブロロロロと聞きなれた音が森の方から響いて来たのは。

 あのスクーターの音――ミューさんだ。

 僕はあえて小路に背を向け、座ったまま近づいて来るエンジン音を聞く。背中にわずかな振動を感じると、キュっというブレーキ音と共にスクーターが停止した。


「よっ、ホクト君か。どうした? 地べたに座り込んじゃって」

 無駄に元気なミューさんの声に、僕はようやく振り向く。

「そういえば、君は移植手術をしたばかりじゃなかったっけ?」

「だからシリカと車椅子で来たんです。でも、でも……」

 ミューさんは、僕が抱きしめているシリカの服を見て静かに言う。

「いいよ、もう分かったから。無理に言わなくてもいいわ」

 その優しさが有り難かった。

「そういえば車椅子が手前でコケてたわね。今持って来てあげるから待ってて」

 そう言って、ミューさんは車椅子を取りに行く。車椅子に付いた泥を払いながら、僕のすぐ近くまで押して来てくれた。

「どう、乗れそう?」

 僕は首を横に振る。さすがに一人では乗れそうもない。

「じゃあ手を貸すから頑張ってよ」

 ミューさんは車椅子を押さえながらこちらに手を伸ばす。僕はシリカの服を抱いたまま車椅子に寄りかかるようにして、反対側の手でミューさんの手を掴んだ。

「せえのっ!」

 声を合わせて体に力を入れ、やっとのことで僕は車椅子に腰かけることができた。


「それで、身分証は?」

 一息つくと、ミューさんが僕に手を差し出す。

「身分証って?」

 僕がとぼけると、ミューさんは眉をしかめた。

「ホクト君だって分かってるよね。これが私の仕事だってこと」

 ゴメン、ミューさん。シリカが消えたことを認めたくなかったんだ。

 それをわかって欲しくて、僕は口を閉ざす。

「……」

 するとミューさんは一つため息をついた。

「辛いのは分かるけど、それを乗り越えることも大切なことよ」

 言われなくてもわかってますって。

 僕は黙ったままシリカの服を指で探り、ポケットの中から身分証を取り出した。

「ありがとう」

 ミューさんは僕からシリカの身分証を受け取ると、ジンク先生の時と同じように首にかけた機械に通す。小さくピッと音がした。

「ほお、千レディ入ってるわね」

 えっ、千レディ?

 それっていつ貯めたんだろう。

 僕の脳裏にシリカの言葉が蘇ってくる。


『今日はちゃんと働いたんだよ。褒めてくれる?』


 その千レディは、午前中にシリカが稼いだお金だった。

 ――あいつ、僕にプレゼントを買おうと……。

 そう思うと、次から次へと涙が溢れてくる。

 シリカが消えた時は一粒も流れなかったのに。


 ――シリカ、なんで消えちゃったんだよ!


 大きな声で叫びたくなる。

「僕にプレゼントを、買ってくれるんじゃなかったのかよ……」

 鼻水をすすりながら、声にならない言葉を絞り出した。

 別れの挨拶の一つも無かったシリカに、ひとこと文句を言ってやりたかった。


「こんな時にこんなことを言うのもなんだけど、この千レディの九割を市がもらってもいい?」

 ためらいがちに切り出すミューさん。

 僕は涙をぬぐって、声を荒らげた。

「ダメに決まってるでしょ! ミューさん、あなた鬼ですね」

「やっぱ、そうかぁ。でも、私も仕事だからね……」


 二人で沈黙する。

 シリカが貯めた千レディはそのままの形で受け取りたかった。

 だってこれは、シリカの気持ちそのものだから。


 僕は提案する。

「じゃあ、九割の九百レディは僕が払います。だからシリカが貯めた千レディは、そっくりそのまま僕にもらえませんか?」

 するとミューさんは静かに頷いた。

「わかったわ。今回は特別よ」

 ミューさんは僕に向かって手を差し出す。

 僕はポケットから自分の身分証を取り出すとミューさんに手渡した。彼女は首にかけた機械で操作を開始する。

「はい、終わったわ。お姉さんに感謝しなさい」

「おばあさんでしょ。五千才の」

「あんたも鬼ね」

 そう言いながら、くすっと笑うミューさん。

 ここに来てくれたのがミューさんで良かったと、僕は彼女に感謝した。

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