約束

 深夜になると、ネフィーのアクチニウム化は胸まで進んでいた。

 もう、首から上しか動かすことはできない。

 最後の時が近づいたことを察したライトが、気を効かせて席を立つ。

「じゃあな、ホクト。俺達はちょっと外に行ってるから」

 そしてアンフィも続いた。

「ネフィー、レディウ人のうちにホクトに思いっきり甘えときなさい。じゃあね」

 二人は手を振りながら病室を出て行った。


 静かになった病室で、僕はネフィーの髪を優しくなでる。

 ネフィーは僕の顔を見ながら、ぽつりとつぶやいた。

「ホクト君、無理に移植手術をしなくてもいいのよ」

「何を言ってるんだよ。僕はネフィーと一緒に……」

 すると彼女は僕の言葉を遮るように切り出した。

「これは元々私とお姉ちゃんの運命なの。だから、それをホクト君が背負い込むことなんてないのよ。お姉ちゃんだってきっとわかってくれる。だって、私のお姉ちゃんなんだもん」

 ネフィーは最後まで僕の将来を心配してくれていた。

 それはまるで、ジンク先生のことを気にかけながら一人で消えていったマイカさんのように。


「ホクト君は、ホクト君の人生を生きてほしい。だってホクト君は、レディウ人になったばかりじゃない」

 そんなネフィーだからこそ、僕は一緒に居たいと思う。

「ネフィー……」

「でもね、ホクト君。私嬉しかった。一緒にトリティになるって言ってくれて。私はそれだけで充分。もう何もいらないわ」

 ネフィーの頬を一粒の涙が流れ落ちた。

 その一筋の光を見て僕は確信する。移植手術を躊躇してはいけないんだと。

「まだだよ、ネフィー。君とのキスが残ってる」

「ホクト君ったら……」

 照れるネフィーの顔に僕はそっと顔を近づけた。

 ゆっくりと目を閉じるネフィー。その唇にそっと唇を合わせる。

 ――この人の傍にずっと居たい。

 静かな瞬間の中で僕の心はそう叫んでいた。

 溢れる想いを抑えきれず、僕はネフィーを抱きしめる。そしてまたキスをした。


「ふふふ、ホクト君ったら。キスならまたできるじゃない。だって二年後にまたレディウ人になるんだもん」

「僕はまだトリティのままかもよ」

「私たちなら一緒に変身できるわ、レディウ人に」

 そうなればいいと心から思う。

「でも君は僕のことを忘れている」

「あら、ホクト君は私のことを覚えているのかしら?」

「……」

 それはありえない。僕だって自分のことを忘れてしまうのだから。

 思わず言葉を詰まらせた僕を見て、ネフィーは意地悪そうに笑う。

「だったらお互い様じゃない。そしてまた好きになればいいのよ。初めて会った二人に戻って」

「でも、ネフィーは他の人を好きになっちゃうかもしれないし……」

「あら、そんなに自分に自信がないの?」

「そんなことはない! 僕は絶対、君を好きになる」

 ムキになる僕に、ネフィーはほっとした顔をする。

「それなら大丈夫。これで安心してトリティになれるわ」

 そして僕達は長い長いキスを交わした。


 アンフィとライトが戻って来た時には、ネフィーのアクチニウム化は首まで進んでいた。

 もう話すのも辛そうだ。

「私、眠くなってきちゃった……」

 レディウ人としてのネフィーの最期が近づいている。

 きっとこのまま眠るように意識を失ってしまうのだろう。

「ありがとうホクト君。ありがとうお姉ちゃん、そしてライト君。また明日ね」

 明日のネフィーは、もう言葉の通じないトリティに変身してしまっているのだ。

「うん、バイバイ、ネフィー」

 アンフィはぼろぼろと涙をこぼしていた。

「泣かないで、お姉ちゃん。私は消えてしまうわけでも、記憶を失うわけでもないんだから」

 それは分かっている。それでも、ネフィーと言葉を交わすことができるこの瞬間を皆が手放したくないと切に願っていた。

 そしてネフィーは静かにまぶたを閉じる。

 そのとたん、ネフィーの体は全身が青白い光い光に包まれた。

 僕達はしばらく立ち尽くしたまま、眠り姫のような美しい彼女の姿を茫然と見つめていた。



 午前零時を過ぎると、医師がネフィーの診察にやって来る。

「完全にアクチニウム化したようだね。人によってまちまちだが、少なくとも六時間くらいは昏睡状態が続く」

 静かに眠るネフィーの診察を行いながら、医師は僕達に説明した。

「ネフィーはやっぱりトリティになってしまうんですか?」

 僕が尋ねると、医師はネフィーを見ながら答える。

「ああ。遅くとも明日の夕方にはトリティになっている。彼女の髪の色から推測して、キツネ色の可愛いトリティになるだろう」

 金髪のネフィー。レディウ人がトリティになる時、髪の色がそのまま毛の色になることが多いという。


「それで明日の移植手術は、何時ごろですか?」

 僕は、早いのうちに手術の話を進めておきたかった。自分の決心が鈍る前に。

 医師は別の意味で、早急な手術を勧める。

「できるだけ早い時間がいい。アンフィさんのアクチニウム化が始まってしまうと、もう移植手術はできなくなる」

 アンフィはネフィーの双子の姉だ。ネフィーに異変が起きたということは、今すぐアンフィにも異変が起きる恐れがある。移植手術を行うなら一刻の猶予もないのだ。

「じゃあ、朝一番でもいいんですか?」

「ああ、構わない」

 僕がアンフィを見ると、彼女も小さく頷いた。

「それでは、明日の朝一番でお願いします」

 すると医師も頷く。

「了解した。アンフィさんとホクト君には、明日の朝八時に病院に来てほしい」

「わかりました。よろしくお願いいたします」

 僕達が挨拶をすると、医師は病室を後にした。


 これで僕達の手術の日程が決まった。あとは、ライトにその後のことを頼むだけだ。

「ライト、手術の時間は聞いていたよね。手術後、僕達は動けなくなるからネフィーのことをよろしく頼む」

 移植手術の後は、三日間くらい自由に出歩けなくなるらしい。アンフィも同じ状態になるのだから、頼れるのはライトだけなのだ。

「ああ、わかった。俺に任せておけ」

 僕達は手術後のことについて一通り相談を済ませると、明日に備えてアパートに帰ることにした。


「じゃあな、ホクト。また明日」

「おやすみ、ホクト」

 ライトとアンフィが去った暗い病室に一人残る。

 ネフィーから発する光が病室を淡く照らしていた。

 その光景に僕ははっとする。


 ――これって、夢と同じじゃないか。


 夢の中の青白く光る女性。ネフィーとは違う女性だったが、色や光の様子はまったく同じだった。

 夢の女性も美しかったが、ネフィーもまた綺麗だ。美人というよりも可愛らしいという顔立ちのネフィー。その素肌が青き光を発している。


 ベッドに近づく。夢の中の自分のように。

 大丈夫。状況は夢の中とは圧倒的に違う。ここは病院だし、ライトという心強い友人もいる。心配することは何もない。

 それに――ネフィーは僕のことを好きと言ってくれた。そして記憶を失っても、また僕を好きになってくれるとも。

「ネフィー、愛しているよ」

 僕はそっとネフィーに口づける。

 そしてベッドの前に跪き、彼女の優しい笑顔を忘れないよう強くその姿を瞳に焼き付けた。

「君と一緒に居られるのなら、どんな手術でも耐えてみせるから」

 正直言って、手術は恐かった。

 ラジウムを交換するって、どんなことをやるのかさっぱり想像できない。

 しかし手術をしなければ僕たちは前に進めないし、アンフィだってライトと離れ離れになってしまう。

 僕はそっと手を伸ばしてネフィーの手を握る。

「暖かい……」

 硬く人形のような手だったが、暖かく血が通っていた。

 ネフィーはちゃんと生きている。

 それが嬉しかった。

「僕も頑張るから……」

 彼女の手を握りしめながら、僕はベッドに寄りかかったまま眠りに落ちた。

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