十日目(月曜日)

トリティの里

「きゅるる! きゅるる!」

 月曜日の朝のアパートにシリカの鳴き声が響く。

「ゴメン、シリカ。ちょっとの辛抱だからさ」

 僕は必死にシリカのことをなだめる。

 今日はジンク先生のところにシリカを連れて行って、診てもらえるようお願いするつもりだ。だから学園で目立たないように大きめのバッグを用意したのだが、シリカがその中に入ろうとしない。

「シリカちゃん、いい子だから頑張って」

 迎えに来たネフィーがやさしくシリカを諭してくれる。

 すると、シリカは「きゅるるるる~」と諦めたようにバッグの中に入ってくれた。

「なんだよ、ネフィーの言うことなら聞くのかよ」

「はいはい、ホクト君はヘソを曲げない。シリカちゃん、いい子ね。ちょっとだけ我慢しててね~」

「きゅるるるる……」

 ネフィーはシリカの頭を撫でながら、バッグのチャックを閉めた。


「お早うございます、先生」

「おお、ホクト君。今日は早いのう」

 先生は今日も、研究室で朝のコーヒーを楽しんでいるところだった。部屋にいい香りが漂っている。

「先生、お早うございます。今日は私もお邪魔します」

 ネフィーがドアの裏から顔を出すと、先生は目を丸くする。

「おりょりょ、今日はネフィーさんも一緒かいのう。しかも大きなバッグを持って。まあ、二人とも、こっちに来たまえ」

 しずしずと研究室に入った僕たちは、ゆっくりと扉を閉める。

「先生、今日は一つお願いがあるんです」

 僕はシリカを入れたバッグを胸の前に掲げた。

「なんじゃ、その大きなバッグは?」

「先生に診てもらいたい仲間を連れて来ました」

 ネフィーが丁寧な口調でバッグの中身を説明しようとすると、その真剣な語気を感じたのか、先生は改まった顔をした。

「仲間を連れて来た? ということは……」

 中身の予想が付いたと言わんばかりに髭をなでる先生。

「そうです。一匹のトリティです」

 僕はそう言いながらバッグのチャックを開けた。

「きゅるるるるぅ~」

 バッグから顔を出したシリカは、窮屈だったと言わんばかりにのびをする。

「ほほお、真っ白で可愛らしいトリティじゃな」

 ジンク先生は目を細めてシリカを眺めていた。

 シリカも、見慣れぬ老人を前にして目をパチクリさせている。

「お願いというのは、このトリティの年齢を知りたいんです。先生なら分かるんじゃないかと思って……」

 僕がそう言ったとたん、先生は怪訝な顔をした。

「わしにはトリティの年齢を調べるのは無理じゃ。それに年齢を調べてどうするんじゃ?」

「こいつ、名前はシリカっていうんですけど、いつレディウ人になるのか見当がつけばいいかなと……」

 すると先生は高らかに笑い出す。

「はははは。前にも言ったじゃろ。トリティやわしらレディウ人の変身は、突然なんじゃよ。たとえ年齢が分かったとしても意味がない」

「でも先生、気持ちの問題として知りたいんです」

 ネフィーが助け舟を出してくれる。

「というのも、シリカちゃんはホクト君の大切な友達なんです。もしかしたら、ホクト君の出生の秘密を知る鍵になるかもしれないんです」

 ネフィーの言葉には実感が込められていた。

 彼女がレディウ人になった時、隣にアンフィが居た。この姉の存在によって、ネフィーは今までいく度も助けられてきたのだろう。それならば、僕がレディウ人になった時に隣に居たシリカは、僕にとって重要な存在になるはずだ。ネフィーの言葉は、そんな重みを伴っていた。

「どれどれ、成績優秀なネフィーさんがそこまで言うんだったら、ちょいと診てみようかいな……」

 うわっ、こんな時でも成績至上主義かよ。

 まあ、それならそれで、今日はネフィーと一緒に来て良かったということになるけど。

「ほら、おいで」

 ジンク先生は、バッグの中から顔を出すシリカを抱き上げる。

 その時――

「……!」

 一瞬だがジンク先生の表情が変わったのを、僕は見逃さなかった。

「あはははは。わしには年齢はわからんのう……」

 笑って誤魔化そうとする先生。

 その態度は、僕の疑念をより確実なものにした。

「先生、何か隠していませんか? シリカには何かあるんです?」

 すかさず尋ねる僕に、先生はしまったという顔をする。

「ははは。そうか、顔に出てしまったか……」

 先生はカップに残ったコーヒーを飲み干すと、改めてシリカを抱き上げた。

「この感覚、以前に感じたことがあるんじゃ。普通とは違うトリウムの感覚じゃ。他のトリティと比べて、ほんのわずかに軽いような気がする。ちゃんと調べてみないと分からんがの」

 普通とは違うトリウム!?

 何だ、それは?

「先生、何ですか? その普通とは違うトリウムって!?」

「まあまあ、ゆっくり話すから落ち着いて座るんじゃよ」

 それから僕たちは、ジンク先生からその特殊なトリウムについての話を聞くことになった。



「特殊なトリウムの話をする前に、まず君たちに聞かねばならぬことがある」

 ジンク先生は、真剣な眼差しを僕たちに向ける。よほど重要な話なのだろう。

 僕はゴクリと唾を飲んだ。ネフィーもわずかに身構えている。

「君たちは、『トリティの里』という言葉は聞いたことがあるかの?」

 トリティの里? 

 そんな言葉は聞いたことがない。

 横のネフィーを向くと、彼女も小さく首を横に振っていた。

「そうか、二人とも知らんか。ホクト君はレディウ人になったばかりじゃから仕方が無いとして、ネフィーさんも聞いたことがないか……」

 先生は一度席を立つと、新しいコーヒーをカップに入れて席に戻る。

「少し複雑で長くなるけど、ええじゃろか?」

「はい、構いません」

 僕たちが頷くと、先生はコーヒーを一口すする。

「このレディウ星の奥地にはの、トリティの里というのがあるらしいんじゃ」

 レディウ星の奥地にある、トリティの里?

 でも先生は『あるらしい』とう表現を使った。ということは……?

「わしも見たことはないがの」

 やはり先生も見たことがないんだ……。

 トリティの里とは、いったいどんなところなんだろう?

「噂じゃと、沢山のトリティが暮らしているトリティだけの里らしい」

 僕は想像した。トリティだけが住む里。

 そこにはミモリの森のような青い花が咲き広がっているのだろうか。

「一つだけ分かっているのは、そこに住んでいるトリティは体を作るトリウムがちょっと違うということだけじゃ」

 ちょっと違うトリウム!?

 それがシリカと同じトリウムってこと?

「先生、そのトリウムがシリカの?」

「ホクト君、慌てなさんな。長くて複雑な話って言ったじゃろ。そうだ、ちょうどいい。先週の授業の復習じゃ。普通のトリティの物質名を番号と一緒に言ってみなさい」

 げっ、やぶへびだったか……。

 僕は頭を掻きながら先週の授業の内容を思い出す。

 先週僕は、トリティはトリウムでできていることを習った。そして物質名には、最後に数字が付くことも。その数字は――

(なんだったっけ?)

 困った僕がネフィーの方を見ると、彼女は僕に向かって必死に口を動かしていた。

(えっ? にー、さん、ぜろ?)

 ネフィーの口の形は、僕にそう伝えていた。

「ト、トリウム二三〇です」

 危なかった。助かったよ。

「ほお、よく覚えておったの」

 ネフィーのおかげだけど。

 でも、ネフィーに教えてもらったことはバレバレなようで、先生はニヤニヤと薄笑いを浮かべている。

 それにしても普通のトリウムとちょっと違う物質って何だろう。やっぱり最後の数字が違うのだろうか?

「先生、それはどんなトリウムなんですか?」

 今度はネフィーが質問をしてくれた。その問いに先生はゆっくりと答える。


「それは、トリウム二三二という物質じゃ」


 トリウム二三二。

 確かにトリウム二三〇と比べると、後に続く数字が違う。トリウム二三二の方が数字が二つ大きい。

 数字が大きいってことは、普通のトリウムよりも重いってことなのだろうか?

 でもさっき、先生は違うことを言っていたような……。

 僕は、先生の言葉を思い出す。


『普通とは違うトリウムの感覚じゃ。他のトリティと比べて、ほんのわずかに軽い感じがする』


 そうだ、先生は『わずかに軽い』って言っていた。

 それってどういうことだ?

 もしシリカがトリウム二三二なら、『わずかに軽い』ではなくて『わずかに重い』と言わなくちゃいけないはずだ。

 うーん、わからない……。

 僕がトリウムの重さについて考えを巡らせていると、先生はトリウム二三二について説明を始めた。


「トリウム二三二はすごい物資なんじゃ。その半減期がすごい。どれくらいの年数だと思う?」

 トリウム二三二の半減期?

 そんなのわかるわけがない。

 でも先生はニヤニヤしながら僕たちの答えを待っている。何か答えないと、先生の話は先に進みそうもない。

(とりあえず考えてみるか……)

 我々の祖先のトリウム二三○の半減期は、確か七万五千年だった。

 それでも僕はすごいと思ったが、先生はなんでもないという感じだった。そんな先生がすごいというのだから、よほどすごいのだろう。

 チラリと隣を見ると、ネフィーも何やら考えを巡らせている。

「百万年くらいですか?」

 僕は適当な数字を口にしてみる。

 百万年なんて、ずいぶんと大きな数字を言ってしまったものだと思っていたが、予想に反して先生は小さく首を横に振った。

「じゃあ、一千万年?」

 自信が無さそうにネフィーがつぶやく。

「まだまだじゃ」

「一億年?」

 虫の息ほど小さくなってしまった僕たちの声に、たまりかねた先生は驚愕の数字を口にした。

「聞いて驚くな、百四十億年じゃ」


「百四十億年!?」

 僕とネフィーは顔を見合わせた。

 どれだけ長い、いや永いのだろう。想像することさえ不可能だ。

「彼らは、この星が誕生する時から住み続けている大先輩じゃ。レディウ人の中には、彼らを神とあがめる人もおる」

 世界の始まりから存在するもの。確かにそれは神と言えるかもしれない。

 そんなトリティだけが存在する「トリティの里」とは、まるで神々が集う天の国なんじゃないだろうか。

 その時、僕の頭にふと疑問が湧き起こる。

 いくら神といえども、百四十億年経ったら半分に減ってしまうということだ。その時神は、一体何に変わってしまうのだろう?

「トリティの里のトリティも、変身してレディウ人になるのですか?」

 もし神がレディウ人になるとしたら、それは天からやった来た使者のようだ。

「そうじゃ、トリウム二三二はラジウム二二八になる。その姿は我々と同じレディウ人じゃ」

 やっぱりそうなのか。

 ということはつまり、ラジウム二二八のレディウ人って、天使ってことじゃないか。

 その姿が僕達ラジウム二二六と全く同じとは、神様はなんて意地悪なんだ。

「先生、まるで天使みたいですね」

 ネフィーも僕と同じことを考えていたようだ。

「ほっほっほぉ~、ネフィーさんは上手いことを言うのう。じゃあこれからラジウム二二八のことを『天使のレディウ人』と呼ぶことにするかの」

 いや、僕も同じことを考えてましたよ、先生。

「しかしじゃ、悲しいことに天使のレディウ人はトリティの里に住むことはできん。なぜなら、トリティの里は文字通りトリティだけの里だからじゃ。天使のレディウ人はすぐにトリティの里から追い出されて、流浪の旅に出ることになるんじゃ」

 神の里を追い出された天使。

 僕は、堕天使という言葉を思い出した。

 彼等はきっと一人で旅を続けて行くことになるのだろう。

「トリティの里を追い出された天使のレディウ人は、少しばかり数奇な人生を送ることになる。ここから先はちょっと複雑じゃぞ。メモが必要じゃ」

 そう言って、ジンク先生は新しいコーヒーを注ぎに席を立つ。

 僕達はバッグからノートを取り出し、メモの準備をした。

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