新芽

「きゅるるる! きゅるるる!」

 騒がしい鳴き声で目を覚ます。

「きゅるる! きゅるる!」

 なんだ、なんだ? 何が起きたんだ?

 シリカはしきりに耳元で鳴き続けていた。


「なんだよ……、どうしたんだ、シリカ?」

 部屋が明るいので朝が来たのかと思いきや、部屋の時計は五時を回っていない。どうやらまだ夕方のようだ。

 そういえば、ライトと話しているうちに眠くなって……寝ちゃったんだっけ。

 僕は、ライトの言葉を思い出していた。


『そのラジウムって物質はな、突然現れて突然消えるんだそうだ。だから俺達もそうなる。それがすべてだ』


 彼はそれ以上のことを教えてくれなかった。

 というか、それ以上のことを知ってる様子もなかった。

 それならば、学園に行っていろいろ学ぶしかない。


「あれ? シリカはどこだ?」

 はっと気付くとシリカが居ない。

 ガリガリという音で玄関を見ると、シリカはしきりにドアを引っ掻いている。外に行きたがってる? その仕草がなんとも可愛らしい。


「仕方がないなあ……」

 おもむろにベッドから起きて、Tシャツとジーンズに着替える。スニーカーを履いて玄関のドアを開けると、シリカは勢いよく外に飛び出して行った。

「おい、待てよ。シリカ!」

 僕は慌てて後を追いかける。


 ペタペタと道路を駆けて行くシリカ。

 本人としては急いでいるようだが、レディウ人の僕にとっては楽についていける速さだった。


「一体どこに向かってるんだろう……?」

 どうやらシリカは学園の方に進んでいるようだった。

 えっ、もう学園に? ライトに案内してもらう予定だったのに、と思ったら、シリカは学園の前を通り過ぎていく。


「もしやこれは、お昼の逆コース?」

 どうやらシリカは、逆コースを進んでいるみたいだ。つまり、僕達がお昼に辿ったアパートまでの道のりの逆。ということは、シリカが目指す場所はミモリの森ということになる。

「やっぱりここか」

 そうこうしているうちに、目の前にミモリの森が迫ってきた。


 夕方の森は一層暗い。しかしシリカは歩みを止めることなく、小路を森の中へ消えて行った。

「おいおい、待ってくれよ」

 これから日が沈むと、さらに暗くなるっていうのに。懐中電灯だって持っていないし……。

 しかしこれ以上離されるとシリカを見失ってしまう。

 ――ちぇっ、シリカを捕まえてすぐに帰ろう。

 意を決し、僕は森の中に足を踏み入れた。


 暗がりの中で白い小さな後姿を追う。

 五分くらい歩いただろうか。前方がだんだんと明るくなって、突如として視界が開けた。


「おお……」

 思わず息を飲む。

 一面に広がる青い花々は、夕陽に照らされている。

 青と赤の共演――この時間にしか見ることのできない幻想的な情景に僕の心は奪われる。

 しばし時を忘れて、その風景に見とれていた。


 はっと気がつくと、完全にシリカを見失っていた。

「でも、きっとあの場所に違いない」

 そんな予感がした。

 そこでシリカがしていることも、なんとなく予想がつく。


 ――僕が出現した場所。

 この森を出発する前、シリカはその場所に水を撒いていた。もしかすると、今も同じことをしてるんじゃないだろうか。


 予想通り、シリカは水を運んでいた。

 耳に溜めた水に、夕陽がキラキラと反射している。

 一歩一歩踏みしめるようなその歩みは堅実で、水をこぼさないようにという心遣いがひしひしと伝わって来る。

「一体、あの場所には何があるんだよ?」

 やっとのことで花畑に着いたシリカは、お昼と同じように水を撒いた。


「あれ?」

 その場所が昼とはどこか違うことに気付く。

 目を凝らして見ると――何か緑色のものが生えている。近寄ると、それはだった。


「お昼には何も無かったのに……」

 不思議そうに芽を見つめていると、シリカが足元にすり寄って来る。

「きゅるるるる!」

 水を撒き終えた満足そうな顔で、僕を見上げるシリカ。それはとても誇らしげな眼差しで。


 確かに昼には何も出ていなかった。そこにシリカが水を撒き、夕方になって芽が生えた。つまりシリカは、この芽を育てているんだろう。

「何の芽だろう? むちゃくちゃ成長が早いんだけど……」

 僕がこの場所に出現する前に植えられていたもの――とか?

 そしてシリカはその種に水をやり続けていた。そう考えれば、今日の夕方に芽が出てきたことにも納得がいく。


 そんなことを考えていると、鼻の上をすうっと冷たい風が通り抜ける。いつの間にか太陽は森の向こう側に沈んでいた。茜色の空は刻々と紫色を濃くしている。

「ヤバイ……」

 早く帰らなくちゃ! 森が暗闇に包まれる前に。

 この芽が何という種類なのかは、成長してみれば分かること。シリカが育てているのなら、きっと明日もここに来るのだろう。だから今は森を抜けることが優先だ。

 慌ててシリカを抱き上げ、森に向かって花畑を駆け抜けた。



 アパートに着いた時には、辺りはすっかり暗くなっていた。

 僕達は冷蔵庫の中にあるミルクとサンドイッチを食べて、ベッドに横になる。


「今日からよろしく」

 シリカと向き合う。

「きゅるるるる~」

 黒い斑点のある口元を緩ませたシリカは、愛らしく鳴いた。

 その瞳を見つめていると、こうして一緒に寝るのは初めてではないような気がする。匂いもなんだか懐かしい。


 とにかく今日はいろいろなことがあった。

 ミモリの花畑に素っ裸で立っていて、ミニスカートの女性がスクーターで現れて……。

 なんでも僕は、レディウ人としてこのミモリ市に『』したらしい。そしてその理由は、体が『』という物質でできているからという。


 ラジウム――それは突然現れて突然消えていく物質。


 そう言われても、何がなんだかよくわからない……。

 そういえば、明日はライトと街に出かけることになっているんじゃないか。

「街って、どんなところだろう?」

 シリカに問いかけると、すでにシリカは熟睡していた。

「なんだ、もう寝ちゃったのか……」

 寝息をたてるシリカのふさふさとした白い毛をなでているうちに、僕も深い眠りに落ちていった。

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