アパート

 五分くらい小路を歩くと、ようやく青い花畑の端まで来た。

 目の前に背の高い木々がせまる。花畑を囲む森の入り口だ。小路はそのまま暗い森の中へと続いていた。

 森の中に足を踏み入れる前に、僕は花畑を振り返る。

 ――ここが僕の故郷、ってことなのか?

 ミューさんに言わせれば、この場所で僕は誕生したらしい。レディウ人として。

「また来るよ」

 僕はひと言つぶやくと、森へと振り向き、ゆっくりと小路を進み始めた。


 森の中は、花畑と違って暗くひんやりと涼しい。

「きゅる、きゅる、きゅるる」

 シリカが鳴いている? と思いきや、その声は森の中から聞こえて来た。

「きゅるるるる……」

 今度は小路の反対側から。

 どうやら、この森の中にもトリティが沢山生息しているらしい。

 木々の間をよく見ると、シリカと同じような長い耳が見え隠れしていた。

「へえ、いろんな色のトリティがいるんだな」

 茶色、黒色、斑模様などなど……。

 もちろんシリカとそっくりの白色のトリティもいた。

 しかし、そうやって余裕を持ってトリティを見ていられたのは最初うちだけだった。歩き進めるにつれ森はだんだん深くなり――ついにはトリティの色も分からなくなるほど暗くなってしまったのだ。

「結構、心細いな……」

「きゅるるるる~」

 昼だというのに、うす暗い森の中。シリカを抱いているのがせめてもの救いだった。

 僕は小走りで小路を進む。


 やがて、トンネルの出口のように小路の先に光が見えた。

 僕が歩みを速めると、その光は次第に大きくなり――いきなり視界が開ける。森は突然終わり、目の前には街が広がっていた。

 花畑からは全く予想できない光景に、僕は思わず立ち止まる。

 秩序よく建ち並ぶ住宅と、その上に顔を出す三、四階建ての建物。遠方には高層ビルも見えた。

「すごい、これがミモリ市か……」

 僕は慌てて地図を見る。アパートまでは、残り半分くらいの道のりだった。


 静かな住宅街を抜けると、不意に騒がしい声が聞こえてきた。見ると、自分と同じくらいの若者が二十人くらい集まってグラウンドで何かに興じている。どうやらサッカーのようだ。

「楽しそうだな……」

 グラウンドの隣には四、五階建ての建物が並んでいる。その前には門があり、同じく若者達が頻繁に出入りしていた。

 ――ミモリ市立第三学園。

 門の前に辿り着くと、そんなプレートが掲げられている。

「もしかして、これが地図に描かれている学園?」

 僕は地図を広げる。

 ミモリの森からの道のりを地図上で追うと、この学園はマジックで丸が付けられた学園と一致した。

「これが僕の通う学園か……」

 同じくマジックで丸が付けられたアパートは、ここから少し進んだところに描かれている。

 その時、

「ギュル、ギュル、ギュルル~」

 変な音が僕の耳に入って来た。

 シリカのやつ、やけに変な声で鳴いているなと思ったら、それは僕の腹の虫だった。空腹はもう限界だった。

「学園に行くのは後にしよう」

 僕は食べ物を求め、アパートを目指して歩き始めた。



 赤丸が描かれているアパートの絵の場所に来ると、その絵にそっくりな二階建ての建物があった。

 これが僕に割り当てられたアパートに間違いない。

「二〇一号室、二〇一号室と……」 

 地図に記された部屋を探して僕は階段を上がる。

「あった! 二〇一号室」

 二階の端っこの部屋が二○一号室だった。

 僕は巾着袋の中を覗いてアパートの鍵を探す。すると、

「きゅるる! きゅるる!」

 隣のシリカが急に騒ぎ出した。なんだろうと顔を上げてみると――隣の部屋のドアが開くところだった。

「よう、あんた、新人さんか?」

 出て来たのはスラリと背の高い若者。年は自分と同じくらいに見える。

 僕は慌てて向き直り、ペコリとお辞儀をした。

「僕、ホクトっていいます。新人……というか、生まれたばかりらしいんですけど、よろしくお願いします」

 するとその若者はゲラゲラと笑い出す。

「ぷぷっ、すごいな、お前」

 なんだこの人、いきなり笑うなんて失礼な……。

 ムッとする僕に構うことなく、若者は僕の服を指さした。

「その格好、ミューさんに服をもらっただろう?」

 えっ、服って?

 若者に指摘されて、はっと思い出す。僕は執事の格好をしていることを。

「そ、そうです。ミューという人にもらったんです……」

 弁明しながら、なんだか恥ずかしくなってきた。

「あはははは。ミューさん、最近メイドとか執事に凝っているって聞いたけど、まさか本当にやっているとはな」

 なに? この格好はミューさんの個人的な趣味だったのか!?

 僕が固まってしまうと、若者は笑うのを止めた。

「ゴメンゴメン。初対面なのに悪かったな。俺はライト、よろしく」

 そう言ってライトは手を差し出す。どうやら悪い奴ではなさそうだ。

「こちらこそよろしく」

 僕はライトとぎゅっと握手を交わす。

 するとライトは、今度はシリカの方を見た。

「こいつ可愛いな……」

 しゃがみこんでシリカの頭を撫で始めるライト。シリカもしおらしく頭を差し出していた。

「ところでお前、このトリティどうしたんだ?」

「ミモリの森から僕と一緒に来たんだけど……」

 正直に答えると、ライトが驚きの声を上げた。

「なんだって!?」

 それはまるで、僕がいけないことをしているかのように。

「えっ、ダメだったの?」

「ダメってことはないけど、そもそも懐かないんだよ、ミモリの森のトリティは。お前、よく連れて来れたな」

 だってシリカは僕が生まれた時から一緒だから。

 そう言おうとした時――ギュルルルルと僕のお腹の虫が激しく鳴った。

「はははは。お前腹ペコなんだろ? トリティのことは後でいいから、早く部屋に入ってメシを食えよ」

「あははは、そうするよ」

「きゅるるるる!」

 二人と一匹は顔を合わせて笑った。


 僕はドアの前に立つと、巾着袋の中から鍵を取り出す。

 ――この鍵でホントに大丈夫か?

 ドキドキしながら鍵穴に鍵を差し込むと、ガチャリと音を立ててドアノブが回った。

 ほっとしながらドアを開け、シリカと一緒に部屋の中に入る。

「俺もお邪魔するよ」

 ライトも後ろから付いてきた。

 中は、外見通りの大きさだった。玄関に面する六畳くらいの台所、そしてその奥には八畳くらいのベッド付きのリビングが見える。

「午前中、空いてるはずの隣の部屋がゴソゴソするから何だろうと覗いてみたら、市役所の人達が食料品を運んで掃除をしていたんだよ。だから、今日中に誰か来るんじゃないかと思ってたんだ」

 ライトの言う通り、部屋の中は綺麗に掃除されていた。必要なものも一通り揃っているようだ。

「ほら、冷蔵庫にいろいろ入ってるぜ」

 ライトは勝手に冷蔵庫の中を覗き込む。見ると、中にはパン、ミルク、ジュース、野菜、肉、そしてサンドイッチもあった。

 するとシリカが冷蔵庫に駆け寄り、顔を突っ込んでクンクンとミルクに鼻をこすりつける。

「これが飲みたいのか、シリカ?」

 僕は冷蔵庫からミルクを取り出す。

「きゅるるるる~!」

 嬉しそうに鳴くシリカ。こいつもお腹が減っていたようだ。

 何か入れ物はないかと見回すと、作り付けの棚に食器が並べられていた。その中からお皿を取り出すと、ミルクを注いでシリカの前に置く。

「きゅるるるる~」

 シリカは飛びつくようにミルクを飲み始めた。

 僕も冷蔵庫の中のサンドイッチを取り出す。

「ライトもどう?」

 サンドイッチをライトに勧めると、彼は顔の前で手を横に振った。

「俺はいいや。さっき食べたばかりだから」

「じゃあ、一人で頂くよ」

 僕はサンドイッチを口に入れる。

 ――これは美味い!

 そして夢中でほおばった。


「懐かしいな……」

 僕達が食事をしている間、ライトは部屋を見回していた。クローゼットを勝手に開けたりして部屋を物色している。

 ベッドには布団があり、台所には食器やポットなどの家電製品が揃っている。そしてクローゼットには沢山の着替えも入っていた。

「俺の時もこうだったよ。もう八年前だけどな」

 ライトも、僕と同じようにこのアパートにやって来たんだ。八年前に。

「何でも揃っていてすごいね」

 僕が正直な感想を漏らすと、

「まあ、それが市役所の仕事だからな」

 と、ライトは当たり前という顔をした。

 市役所と言えば、ミューさんが働いているところか? 

 彼女の勤務態度はちょっと疑問だったが、このアパートや衣食住のサービスはかなり有り難い。

「なんで市役所はこんなに親切にしてくれるんだ? 新人なのに服や住居まで用意してくれるなんて。このサンドイッチだってむちゃくちゃ美味しいよ」

 サンドイッチを飲み込みながら、僕はライトに聞いてみた。

「違うぜそれは。『新人なのに』じゃなくて、『新人だから』だ」

「だって僕、お金も何も持ってないよ」

「だからじゃないか。俺もそうだったけど、最初は素っ裸だっただろ? 誰かが服を持ってきてくれなかったらずっと裸のままだぜ」

 確かに。それは嫌だな……。

「このアパートだって、衣食が揃っていて助かるだろ。この街は若者には優しいんだ」

 食料は本当に助かった。ベッドもあるので夜も困ることはない。

「家賃はタダ。ここに在るものもすべてタダ。全部、市役所からの支給だ」

「えっ、タダなの!?」

 これは驚いた。こんなちゃんとしたアパートに無料で住めるなんて、なんて恵まれてるんだろう。

「ミモリ市はかなりお金持ちなんだ。大人たちが払った税金が有り余っているからなんだけどな」

 それなら安心だ。まあ、僕も大人になったら、その借りを返さないといけないんだろうけど。

「でもミューさんは、新人に着せる服を私費で買ってるらしいぜ。ホクトの服もその一つだよ。公費でそんな服、買えるわけねえもんな」

 ライトはまた僕の姿を見てニヤニヤ笑っている。

 スラックスと白シャツは公費で買うことが可能かもしれないが、燕尾タキシードはさすがに無理だろう。

「そんでもってな、ミューさん、何も知らない新人に自分の好みの服を着せて楽しんでるんだよ。まったくもって職権乱用。でもお前、似合ってるぜ……」

 だからその含み笑いはやめろってば。

 ライトに言わせれば、ミューさんは市役所の歓送迎課の立場を利用して、新人に対していろいろとプチ悪事を繰り返しているらしい。確かに名前だって変なのを付けられそうになったし。

 服装についてそこまで言われてしまうと、僕は早く着替えたくなってきた。

「着替えていい?」

「いいんじゃねえの、お前の部屋なんだし。その姿が見れなくなるのはちょっと残念だけどな」

「きゅるるる、きゅるるる……」

 なんだよ、シリカも残念がるなよ。なんか複雑な気分なんだけど。

 シリカのおねだりするその姿はとても可愛かったが、ライトにこれ以上ニヤニヤされるのは嫌だった。

 クローゼット開けると、スエットのようなゆったりとした服も置いてある。僕は執事服を脱ぎ、そそくさと着替え始めた。


 僕の着替えが終わると、ライトが説明の続きを始める。

「一つだけ新人が気をつけなくてはいけないのは、服も食料もここに置いてある以上は支給されないってことなんだ」

 なんだって?

 やっぱり世の中、うまいことだらけではなさそうだ。

 服は洗濯すればいい。食器や家電製品も、当分の間はこの部屋にあるもので十分だろう。でも食料はどうすればいい?

「じゃあ、冷蔵庫の中身が無くなったらどうしよう……」

「お金を貯めて、買うしかないな」

 やはり金か。でも僕は、生まれたばかりでお金を持っていない。

「お金を貯めるってどうやって?」

 するとライトはニヤリと笑い、

「この街で若者がお金を貯める方法は、二つある」

 僕に向かって指を二本立てた。

「一つはアルバイト」

 やっぱり働けってことか。まあ当たり前だ。

 しかし、続くライトの言葉は意外だった。

「そしてもう一つは、学園に通うこと」

 えっ、学園?

 確かにライトは学園って言った。

 でも学園に通ってお金を貯めるって、どういうことだ?

「学園に通うとお金がもらえるの?」

「そう。正確には、授業を一つ受けると三百レディもらえる。三百レディっていうのは……、そうだな、さっきのサンドイッチが二つ買えるくらいの金額さ」

 へぇ~、面白いシステムだ。

「だからここの若者はあまりアルバイトをしないんだ。確かにアルバイトをするとお金はもらえるけど、学園に行った方が楽しいしな。サッカーの授業を受けただけでも三百レディもらえるんだぜ」

 おお、それなら僕も行ってみたい。

「一日に授業を五つ受けると、それでもう千五百レディだぜ。節約すれば食費に使ってもお釣りが来る」

 それならもう、学園に行くしかないじゃん。

「僕も学園に行きたいな……」

「そうか、お前も学園に行きたくなったか」

「ああ、お金も欲しいけど、知りたいことが沢山あるんだ」

 学園に行けば、いろいろな疑問も解決するだろう。

 レディウ人になったとは、一体どういうことなのか? 

 記憶についても、自分のことだけ失われているのは何故なのか?

「僕は気が付いたらミモリの森に立っていた。その理由が知りたいんだよ」

 するとライトがフンと鼻を鳴らす。

「それくらいの疑問だったら、このライト様に聞いてくれよ」

「えっ、ライトはその理由がわかるの?」

「あたぼうよ。俺だってレディウ人だぜ。いいか、よく聞け」

 僕はドキドキしながらライトの言葉に耳を傾けた。


「つまりだな、ホクト。お前はそこで、突然現れたんだよ」


 突然現れた、って……どういうこと?

 生まれた、とは違うのか?

 目をパチクリさせる僕をよそに、ライトは説明を続ける。

「俺達はな、そもそも突然現れる存在なんだ」

 さっぱりわからない。

 突然現れるって、空気中から突然体が構成されるのか? それともポンっと異空間からやって来るのか?

 そもそもライトに聞いたこと自体が、間違いだったのか?

「なんだよホクト。さっぱりわかんねえって顔してるぞ」

「だってわからないんだもん。突然現れるって、その原理が知りたいよ」

「原理って、お前も難しいことを知りたがるんだな」

 するとライトは急にもじもじし始める。

「俺もな、詳しいことは忘れちまったんだけど……」

 なんだよ、やっぱりわからないんじゃないか。

 そう言おうとした時、ライトは何やら聞きなれない単語を口にした。

「俺達レディウ人の体は、『ラジウム』という物質でできているらしい」


 ラジウム? なんだそりゃ?


「そのラジウムって物質はな、突然現れて突然消えるんだそうだ。だから俺達もそうなる。それがすべてだ」

「だから僕は突然現れた?」

「そう、突然」

「裸だったのは?」

「ラジウムが裸だからじゃね?」

「記憶が無かったのは?」

「ラジウムに記憶が無いからだよ、きっと」

「突然消えちゃうのも?」

「ラジウムがそういう物質だからだ」

「…………」

 ダメだ、こりゃ。

 これ以上ライトに聞いても、すべてラジウムという未知の物質のせいにされてしまう。

 やっぱり学園でちゃんと教えてもらわなきゃ埒が明かない。

「ふわわわわぁぁぁ……」

 突然、僕の口からあくびが漏れる。ライトの話がわけがわからないから睡魔が襲ってきたのだろう。お腹が満たされて、疲れも出たに違いない。

「なんだ、お疲れ様か。まあ仕方がないな、お前は今日、現れたばかりなんだからな」

「ゴメン、ライト……」

 眠い目をこすりながらライトを見る。その姿はだんだんとぼやけてきた。

「じゃあホクト、今度俺が学園に連れて行ってやるよ。今日は土曜日だから、明後日の月曜日からでいいよな。それと明日の日曜日は街を案内してやるよ」

「うん、よろしく……」

 もう限界だ。僕はベッドに横になると、そのままの格好でライトに手を振る。

「おやすみ、ホクト」

 ぼんやりとする視界の隅で、彼は手を振りながら玄関から出て行った。

「きゅるるるる……」

 ベッドの上でシリカを抱き寄せると、眠りは一瞬で訪れた。

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