六日目(木曜日)
看病
朝起きると、空はすっかり晴れていた。昨日の嵐が嘘のようだ。
シリカはまだ寝ている。昨日の注射が効いているのだろうか。
僕は一人で朝食をすませると、また布団にくるまった。
――今日の学園はお休みしよう……。
自分も疲れていたし、シリカの調子も心配だ。今日は一日、シリカの看病に専念することにした。
お昼になって、やっとシリカが目を覚ました。
「きゅる、きゅる、きゅるる……」
まだ調子が悪いようだ。熱もあるみたいで、ちょっと体が熱い。
僕はシリカに、薬を混ぜたミルクを飲ませる。
シリカは僕の顔を見て安心したようだ。ミルクを飲んでしばらくすると、また眠りに落ちた。
シリカの背中をなでながら僕も横になる。
『トリティは私達レディウ人の祖先なの』
頭の中では、昨日のネフィーの言葉がぐるぐると回っていた。
五日前、僕はミモリの森で誕生した。
ネフィーの言葉を信じるならば、誕生する前の僕は、ミモリの森に住むトリティだったということになる。
そしてシリカは、僕がレディウ人になったその場所に居た。
それが指し示すものは――
「僕とシリカは、トリティの仲間だった……とか?」
僕は男。そしてシリカは……、ネフィーの分析によると女性らしい。
もしかすると僕とシリカは、トリティの恋人同士だったのだろうか?
隣で眠るシリカを見る。
全身が白い毛で覆われているシリカ。最初に会った時、口元の小さな黒い斑点に見覚えがあるような気がした。
でも……、誕生する前は一緒に住んでいたかと言われると、全く覚えていない……。
僕の記憶は一体どこに行ったのだろう?
――コンコン。
そんな僕の思考を中断したのは、玄関のノックの音だった。
「こんにちは。シリカちゃんは元気?」
ネフィーの声だ。
その声を聞いて、僕は胸の鼓動が高まるのを感じていた。
――ごめん、シリカ。昔、僕達は恋人同士だったかもしれないけど、今の僕はネフィーのことが大切なんだ。
寝ているシリカに謝罪しながら、僕は玄関に急いだ。
「元気? ホクト」
えっ……、アンフィ?
玄関のドアの外にいたのはネフィーではなくアンフィだった。
声だけでは全くわからなかった。さすがは双子。
「なによ、そのガッカリした顔は。姉の方で悪かったわね」
ぷいっと悪態をつきながら不意に笑い出すアンフィ。すると、玄関ドアの裏からそろりとネフィーが顔を出した。
「ごめんね、ホクト君。お姉ちゃんに命令されて仕方なく……」
じゃあ、さっきの声はやっぱりネフィー?
「め、命令って、ネフィー、何を言うのよっ。あんただって乗り気だったくせに」
ぐにゃりと曲がったアンフィの口が面白かったので、思わず笑ってしまう。
「あはははは。二人とも昨日はありがとう。シリカはだいぶ良くなったよ」
「そっか、良かったぁ」
「うんうん、良かった、良かった」
手を取り合って喜ぶアンフィとネフィー。本当に二人が僕の友達でよかった。
「そうそう、今朝ね、ライトと一緒にミモリの森に行ってみたの。新芽は無事だったわ。バケツも外しておいたから、今頃は陽をたっぷり浴びてさらに成長してるよ、きっと」
「ありがとうアンフィ。本当にありがとう……」
わざわざ朝にミモリの森に行ってくれたアンフィ。新芽のことは気になっていたので、その情報はとても有難い。嬉しくて涙が出てきそうだ。
「ほらほらこんなところで泣いてないで、ネフィーと二人で水やりに行って来たら? シリカは私が看ているからさ」
そう言って、アンフィが靴を脱ぎ始める。
「ええっ? いいよ、そんな。アンフィに悪いよ」
僕がオドオドしていると、ネフィーが遠慮しちゃダメという顔をする。
「いいのよ、ホクト君。ここはお姉ちゃんに甘えて私達でミモリの森に行きましょ? さっき騙そうと言い出したのはお姉ちゃんなんだから」
「ちょ、ちょっとネフィー……」
約束違反よと言いたそうなアンフィをよそに、ネフィーは僕に手を差し出す。
アンフィの厚意に甘えて、僕達はミモリの森へ出発した。
「きゅるるる、きゅるるる」
ミモリの森に差し掛かると、遠くからトリティの鳴き声が聞こえる。
それを聞いたとたん、僕はネフィーの言葉を思い出した。
――トリティはレディウ人の祖先。
僕も昔はあのトリティのように、森の中を駆け回っていたのかな……。
もしかすると、あの木々の中に僕が寝泊りしていた住処があるのかもしれない。
ミモリの森を見る目が、すっかり変わってしまった瞬間だった。
「ホクト君、ほら、今日も夕陽が綺麗よ」
ネフィーに言われて、はっと辺りを見渡す。いつの間にか僕達はミモリの森を抜けていた。
「どうしたの、ホクト君。さっきからぼんやりして」
自分がトリティだった時の事を想像していたなんて、恥ずかしくて言えそうもない。
「いや、あの、その……」
困って言葉を濁すと、ネフィーが僕の顔をのぞき込んできた。
「ははーん、シリカちゃんが気になるんでしょ。大丈夫よ、お姉ちゃんがいるんだから」
「あ、ああ、そうだね……」
本当は違うんだけど、そういうことにしておこう。
「ほら、シリカちゃんの分まで水をあげなくちゃ」
僕達は小川まで水を汲みに行った。
新芽のところに着くと、大きくなったつぼみはしっかりと上を向いていた。この様子だと、明日には花が咲くかもしれない。
「きれいな花が咲くといいね、ホクト君」
ネフィーが水やりをしながら声を掛けてくる。
「そうだね、シリカが命がけで守ったつぼみだからね」
僕も新芽に水をかける。するとネフィーが小声で呟いた。
「私、負けないから……」
「えっ?」
負けないって……?
「ううん、なんでもない」
今日のネフィーはなんだかちょっと変だ。
「花が咲いたらシリカにも見せてあげたいな」
「そうね……」
それからネフィーはじっとつぼみを見つめていた。
アパートに戻るとシリカは起きていた。
「きゅるるる……」
アンフィにミルクを飲ませてもらって嬉しそうだ。熱もほとんど引いていた。
「シリカちゃんはもう大丈夫よ。あと一日くらい安静が必要だけど」
「ありがとう、アンフィ。本当に感謝するよ」
今日はアンフィにお世話になった。この埋め合わせはいつかしなくちゃいけないな。
「じゃあ私達は帰るから。ほら、行くよ、ネフィー」
「え、な、何か言った? お姉ちゃん……」
「さっきから何ぼおっとしてんのよ、ネフィー。帰るって言ってんの」
ネフィーの様子がなんだかおかしいのが気になるが、シリカが元気になれば皆また元通りになるだろう。
「じゃあね、また明日」
「ホクト、また明日、学園で」
「ホクト君、おやすみ……」
僕は、アンフィとネフィーに玄関から手を振った。
シリカと二人きりになったアパートの部屋で、シリカを抱きしめた。
「新芽は無事だよ。明日はきっと綺麗な花が咲くと思う」
「きゅるるるる!」
そう語りかけると、シリカは嬉しそうに鳴いた。
シリカのぬくもりが心にも伝わってくる。そんな安らぎを僕は感じていた。
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