嵐
午後になると、雨と風が強くなってきた。
サッカーの授業は中止となり、僕とライトは図書室で暇をつぶす。
四時限目のレディウ文学と五時限目の生物学を受けているうちに、雨と風はさらに強くなっていた。
「ホクト君、今日はミモリの森に行く必要はなさそうね」
五時限目が終了すると、ネフィーが窓の外を眺めながら言う。
確かに。この雨なら水やりをする必要は無さそうだ。
せっかくネフィーと一緒にミモリの森へ行く約束をしていたというのに、ちょっと残念。
「そうだね、今日は大人しくするか……」
僕は一人でアパートに帰った。
アパートに着くと部屋は静まりかえっていた。
「おーい、シリカ。帰ったぞ」
何も反応はない。いつもは玄関で待っているというのに。
今日は水やりの必要がないから、寝ちゃってるのかな……。
「シリカ?」
ベッドに行ってみるが、シリカはいなかった。
「どこにいるんだよ……」
ベランダの窓を見ると不自然にカーテンが揺れている。窓がシリカの体の分だけ開いていて、雨が吹き込んでいた。
――えっ、これって……。
窓の前で立ち尽くす。
もしかして、シリカは独りでミモリの森に行ったとか?
でもなんで? 今日は新芽に水をやる必要はないのに。
その時――吹き込む風にあおられてカーテンがバタバタと音を立てた。
天候はどんどんと悪化しているようだ。
「おいおい、マジかよ……」
雨合羽をかぶると、玄関の外に出て隣のライトの部屋のドアをたたいた。
「ライト、ライト。いるのか? 返事をしてくれ」
しばらくするとおもむろに玄関のドアが開く。
「どうした、ホクト。そんなに慌てて」
ライトが面倒くさそうに口を開いた。
「シリカがいないんだ。ベランダの窓が開いていて、そこから外に出たみたいなんだ」
「本当か? どこかあてはあるのか?」
「おそらくミモリの森に行ったと思う。詳しい場所はネフィーが知ってる」
するとライトは僕の恰好を見て目を丸くする。
「これから行くのか? こんな天気だぞ」
「こんな天気だから行くんだよ!」
「わかった、わかった、怒るなよ。じゃあ、ネフィーに声をかけてみるよ」
「ありがとう。本当に申し訳ない」
僕は傘も持たずに、雨合羽一つで嵐の中に飛び出した。
ミモリの森の入り口に着いた僕は、新芽の場所を目指して森の中を進む。
「シリカは本当にここに居るのかな……」
森の中では風雨はあまり感じなかったが、いつもより一層暗い。たちまち僕は不安になる。
シリカがいなかったら無駄足だし、ライト達にも迷惑をかけてしまう。
「でも、いるとしたらここしか考えられないし……」
樹木の中の小路を抜けてミモリの花畑に出る。雨が激しく僕の顔を打ちつけた。やっとのことで新芽のところに着くと、何か白いものが見えた。
――シリカだ!
地面にうずくまり、長い耳で芽を囲っている。
僕は思わず走り出していた。そして、シリカに覆い被さるようにひざまずく。
「シリカ、どうして独りで来たんだよ」
「きゅるるるる……」
弱々しい声で、シリカは新芽を見る。すっかり成長した新芽からは、つぼみが顔をのぞかせていた。
「お前、つぼみを守っていたのか……」
「きゅるるる」
僕を見るシリカの表情が安堵に変わる。
その瞬間。
ガクっとシリカから力が抜けた。新芽を避けるようにして横たわるシリカ。新芽を覆っていた耳も今はだらりと力がない。
「シリカっ! シリカぁぁぁっっっ!」
僕がいくら叫んでも、シリカはピクリともしなかった。
レディウ人となったその日から、ずっと一緒にいてくれたシリカ。
なぜか名前だけは覚えていた。
どうして独りで来たんだよ!
どうして僕を待っていてくれなかったんだ!
涙が次から次へとあふれてくる。
僕の頭に、背中に、お尻に、容赦なく雨や風が吹き付けた。
どうか、僕の手の中にいるこの小さな命を救ってほしい。
心の底からそう祈った。
「おーい、ホクト!」
二十分ぐらい経っただろうか。ライト達の声が遠くから聞こえてきた。
「ホクト君!」
ネフィーが僕を見つけて駆け寄って来る。懐中電灯の光が雨粒のカーテンを照らし始めた。
「シリカちゃんはいたの?」
「シリカが、シリカが、死んじゃった……」
僕は新芽を守りながら、ぐしゃぐしゃの顔でネフィーを見上げる。続いてライトとアンフィもやってきた。
「ちょっと待って……」
アンフィがしゃがんでシリカを抱き上げる。
「大丈夫よ、ホクト。ちゃんと生きてるわ」
「本当?」
新芽の前に跪いたままアンフィを見上げる。シリカを抱く彼女の言葉は、僕に元気を与えてくれた。
「シリカは、シリカは生きているんだね?」
「ええ。これから私はシリカをアパートに連れて行く。ネフィー、ホクトに傘を差してあげて。ライトは何か新芽を守るものを持ってくるのよ」
「わかった、お姉ちゃん」
ネフィーは自分が濡れるのも構わず、僕の上に傘を差してくれた。
「オーケー。バケツと重石を持って来ればいいよな」
ライトも僕を励ましてくれる。
「ありがとうみんな。本当にありがとう……」
「困った時はお互い様だぜ。すぐ戻るからもう少し頑張れよ」
「わかった」
こうしてアンフィはシリカを抱いて、ライトはバケツを探しに雨の中を走り出した。
「ホクト君、ひざを上げて。泥だらけよ」
ネフィーの提案で僕らは向き合い、新芽を囲むようにしゃがんで一つの傘の中に入った。
新芽に問題はなさそうだ。
「もう少しでつぼみが出そうね」
「ああ、この嵐で折れなくて本当によかった」
「シリカちゃんが命がけで守ったんだものね。きっと、きれいな花が咲くわ」
ぜひそうであってほしい。そうでなくてはシリカの苦労は報われない。
「ところで、シリカは本当に大丈夫なのか?」
「そうね。シリカちゃんは大丈夫よ。だって死ぬことはないんだもの」
ええっ……。
僕は一瞬、言葉を失った。
レディウ人も消えるまで死なないと聞いたが、トリティもそうなのか?
「死ぬことはないって……、トリティもラジウムでできているとか……?」
「まあ、そんなようなものだけど、物質が違うの」
物質が違うって……?
するとネフィーが説明してくれる。
「トリティを形作っている物質はね、『トリウム』っていうの」
「トリウム?」
初めて聞く物質名がまた出てきた。
「そう、トリウムでできているからトリティ」
トリティの語源って、体を作る物質の名前だったんだ……。
「それはどんな物質? ラジウムのように突然消えちゃうとか?」
「消えはしないわ。トリウムは変わるのよ、ラジウムに」
えっ? えええっ!?
「変わる? って、ラジウムに……?」
それってどういうことなのだろう?
ラジウムは確か、レディウ人を構成している物質のはず。ということは――
「も、もしかして僕達レディウ人は、トリティが変身して誕生するとか……?」
心の中のどこかで感じていた予感。
ネフィーはそれを肯定するようにニコリと微笑んだ。
「正解よ、ホクト君。トリティは私達レディウ人の祖先なの」
それから、ネフィーと何を話したのかよく覚えていない。
『トリティは私達レディウ人の祖先なの』
彼女の言葉があまりにも衝撃的だったから。
そうしているうちに、ライトがバケツと重石を持って戻って来た。
僕はただ立ったまま、ライトとネフィーが新芽の上にバケツを被せているのをぼんやりと見ていた。
アパートに戻ると、アンフィがライトの部屋でシリカの面倒を見てくれていた。
シリカはぐっすりと眠っている。
なんでも、帰りに病院で注射を打ってもらったという。熱が出ているけど、薬を飲みながら安静にしていれば元気になるらしい。
「ホクト。ほら、元気出して。それでシリカのことちゃんと看てあげてね。死ぬことはないけど、苦しみは本物だから……」
アンフィが暗い顔をしたままの僕を見上げる。
「わかった。アンフィ、本当にありがとう」
今日はアンフィ達に本当にお世話になった。
アンフィは普段は天然っぽいけど、いざという時は頼りになる存在だ。それがとても嬉しかった。
「ホクト君も早くシャワーを浴びた方がいいわ。すごいびしょ濡れよ。シリカちゃんは私達がホクト君の部屋に連れて行くから安心して」
僕に対する心遣いも嬉しい。
「みんな、今日は本当にありがとう」
「困ったときはお互い様だぜ。俺達が困った時はよろしくな」
「そうよ、ホクト君」
「ホクトがシャワーを浴びている間に私達帰るからね」
ライト達が友達で良かった。僕は思わず涙が出そうになる。
「わかった。シャワーを浴びてくる……」
涙を見せないように僕は自分の部屋に戻り、浴室に入る。体や顔に当たるシャワーの温かさは、自分が生きていることを実感させてくれた。
浴室から出ると、シリカは僕のベッドで寝ていた。
パジャマに着替えてシリカの隣で横になる。シリカはすっかり体温を取り戻していた。
――生きている。シリカは生きている……。
今まで当たり前のように隣に存在していた温もりを、今日はしみじみと噛み締めながら僕は眠りに落ちた。
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