遺産

 消えてしまったジンク先生の痕跡を呆然と見つめていた僕たちは、ガリガリと壁をこする音で我に返る。

 音の主はシリカだった。窓を開けろといわんばかりに、窓の下の壁を引っ掻いている。

「きゅるる! きゅるる! きゅるる!」

 急を要するような激しい鳴き声に、僕は慌てて窓に駆け寄った。

 窓を開けると、ふわっと五月の風が部屋に入ってくる。それはまるで、消えてしまったジンク先生の魂を迎えに来たかのように。

 するとシリカは長い耳を羽ばたかせ、床から窓まで飛び上がる。

 驚いた僕が身をよけると、シリカは開いた窓をくぐり、空に向かってその身を躍らせ――落ちた。

「シリカっ!」

 驚いた僕が窓から顔を出すと、シリカは耳をグライダーのように上手く使い、三階の高さを活かして学園のグラウンドを滑空しているところだった。そしてグラウンドの端に着地すると、何かを追いかけるようにしながらトコトコと走り出す。

「私、追いかけてくる!」

 僕の後ろからシリカの様子を見ていたネフィーが、踵を返して部屋を出て行こうとする。

「待ってネフィー、僕も行くよ」

 するとネフィーは振り返り、僕をなだめるように制止した。

「ホクト君はまだ本調子じゃないでしょ。それに誰かがジンク先生のことを学園に知らせなきゃいけないじゃない」

「わかった……。そうだね」

 渋々僕が頷くと、ネフィーは「カフェテリアで集合ね」と言いながら部屋を飛び出していった。

 しばらくすると、ネフィーがグラウンドを横切るのが見えた。僕は小さく手を振りながら、その姿が小さくなるのを見つめていた。


 ジンク先生が消えてから五分くらい経った頃だろうか。ブロロロロと聞いたことのある音が耳に入ってくる。

 窓の外を見ると、グラウンド脇を一台のスクーターが駆けて来るところだった。

「あ、あれは……」

 ミニスカートをひらひらさせるあの姿。間違いなくミューさんだ。

「こんな時じゃなかったら、ミューさんに文句を言いに行ったのに……」

 僕は先ほど、部屋の電話機を使って学園の事務室に連絡をしたばかりだった。学園の方が来るまではこの部屋を離れることはできない。

 でも何の用なんだろう?

 そんなことを考えていると、ミューさんはスクーターを停めて建物の中に入っていく。

 そういえば、ミューさんの姿を見るのは僕が生まれた時以来だ。

 ミューさんはあの時と同じ格好をしていた。相変わらずミニスカートでスクーターに乗るとは、大胆というかなんというか……。

 すると突然、ドアをノックする音がする。

「こんにちは。市役所の歓送迎課の者ですが」

 えっ、ミューさんの声?

 彼女の訪問先ってここだったんだ。でもここはジンク先生の研究室だよ。それにジンク先生は……。

 僕がドアを開けるのを躊躇していると、ドア越しにミューさんのつぶやきが聞こえてくる。

『返事が無いってことは、やっぱりジンク君、消えてしまったのね……』

 そしてガチャリとドアが開く。

「あっ」

 思わず僕とミューさんの目が合った。

「き、君は……」

 ミューさんは驚いたように僕の顔を見ると、必死に名前を思い出そうとしていた。

「君は確か……、ゲ」

「ホ・ク・トです」

 おいおい、そんなに僕は『ゲ』の文字が似合う顔をしているのかよ?

 小さな怒りを込めて、僕は自分の名前を強調した。

「ゴメン、ゴメン。そうだったね。ちょっとお邪魔するよ」

 ミューさんは部屋の中を覗き込む。

 研究机のところには、ジンク先生の服が消えた時のままに置かれていた。

 ミューさんは先生の服に近づくと、胸のポケットから先生の身分証を取り出す。

「ジンク君……。ついにあの子も消えてしまったのね」

 そして部屋に入る前のつぶやきを繰り返す。

 ジンク君? あの子?

 ジンク先生を『あの子』呼ばわりするなんて、ミューさんっていったい何者なんだ?

「ミューさんは、ジンク先生と知り合いだったんですか?」

 思わず僕は訊いていた。

 その問いに対するミューさんの答えは、僕の予想を超えていた。

「そうよ。私の方がはるかに年上だけどね」


「えっ!?」

 僕はあ然とする。

 三千才のジンク先生より年上とは、一体どういうことなのだろう? ミューさんの方がはるかに若く見えるのに。

 僕があっけにとられていると、ミューさんは笑い出す。

「あはははは。鳩が豆鉄砲食らったような顔してるわよ。そうね、この間移植手術したばかりだから無理ないわね。実は私ってもう五千才なの」

 五千才!?

 つまり、ミューさんはミュー姉さんじゃなくて、ミューばあさんってことじゃないか。

 これは詐欺だ。今までミューさんのミニスカート姿にドキドキしていた僕はどうなるんだ。

「い、移植手術って、若いラジウムと年老いたラジウムとを交換するってアレですか?」

「そうよ、よく知ってるわね」

 でもそれってどういうことなのだろう?

 ミューさんは自分が若返りたいばかりに、若者をそそのかして若いラジウムと自分の古いラジウムとを強制交換させているんじゃないだろうか。

「な、なによ、その悪女を見るような目は」

「そりゃ、ミューさんは美人だと思いますよ。でも、それにそそのかされて移植手術をさせられる若者は可哀想じゃないですか」

「ホクト君、あんた何か勘違いしてない?」

 ミューさんは機嫌悪そうに僕を見る。

「これは仕事上、仕方がないことなのよ。私だって望んで手術しているわけじゃないんだから」

「またまた、そんなこと言って」

「ちょっとホクト君! ちゃんと私の話を聞きなさいっ!」

 あちゃー、ミューさんを怒らせちゃったよ。

 それから僕は、ミューさんからとうとうと説教を受けることになった。

 なんでも市役所の歓送迎課では、レディウ人になったり消えてしまったりした場所を即座に検知できるという。詳しい原理はミューさんにも分からないそうだが、放射能かなにかを使っているらしい。それで検知情報が出たら、ミューさんたち職員が出動するのだ。

「誕生の時はいいんだけど、消えちゃった時が大変なのよ。それが恋人の片方だったりしたらね。若い人ほど相方が消えたショックで自暴自棄になっちゃうの」

 まるで、マイカさんを失った時のジンク先生みたいだ。その時先生も移植手術を考えたと言っていた。

「それでたまにね、私のラジウムと交換してくれと頼んでくる人がいるのよ。ほとんどの人はそのうち諦めてくれるんだけど、中にはしつこい人がいてね、それはまるでストーカーなのよ」

 恋人を失った人にしつこく付きまとわれたら、僕も嫌になってしまうだろう。

「だから、移植手術は仕方なくやってるの。五百年に一度くらいだけどね。どう、これで分かった?」

 ミューさんの仕事も大変なんだ。

 僕は謝罪の意味を込めて、深く頷いた。


「そうだ、大切なことを忘れていたわ」

 そう言って、ミューさんは僕の前に手を差し出す。

「ほら、身分証を出して」

 身分証って、ジンク先生の身分証ならミューさんが今持っているじゃないか。

「み、身分証って……?」

「あんたの身分証に決まってるでしょ? まさかホクト君、もう無くしちゃったとか?」

 僕の身分証? それを何に使うんだろう。

 イライラしているミューさんが恐かったから、半信半疑で僕はポケットから身分証を取り出す。

「なんだ、ちゃんと持ってるじゃない」

「何に使うんですか、って、あっ!?」

 問答無用でミューさんが僕の身分証を取り上げる。そしてバッグの中から機械を取り出すと、ジンク先生の身分証を機械に通した。

 すると、機械のディスプレイにものすごい数字が現れる。

「ほお、五億レディね。ジンク君、結構貯めてたわね」

 ご、五億レディ!?

 でもそのお金って、ジンク先生のお金なんじゃ……。

「ミューさん、そのお金をどうするんですか?」

「なによ、その疑いの目は。盗りゃしないわよ。消えた人の資産は市に寄贈される決まりになってるの。それで学園の運営費やあんたら若者の住居費が支払われてるんじゃない。ここで習わなかった?」

 そうか、そういうことなのか。

 だからミモリ市には沢山お金があるんだ。

「知りませんでした」

「ダメね。今度理事長に言っとくわ。新人の教育がなってないって……」

 ミューさんはぶつくさ言いながら、今度は僕の身分証を機械に通す。

 チャリ~ンという音が鳴って、なにやら僕の身分証が更新されてしまった。

「な、な、何をしたんですか? 僕の身分証に」

「お金を入れといたのよ。最期を看取ってくれた人には、消えた人の資産の一割が支払われることになってるの。あれ? ホクト君はお金、要らなかった?」

 えっ、一割?

 五億レディの一割って言ったら――五千万レディ!?

「要ります、要ります」

 これで僕も金の亡者だ。

「じゃなかった、そんな大金、とても僕には受け取れません」

 ふう、危ないところだった。レディウ人になって、たった一週間で人生が狂い始めるとは。

 しかしミューさんは真面目な顔をして僕を諭す。

「いいから受け取っておきなさい。人の最期を見送るというのはね、それだけの価値があるってことなのよ。このミュー様が言うんだから信じなさい」

 そう言いながらミューさんは僕の身分証を差し出す。

 ――この身分証が五千万レディ!?

 僕は震える手で身分証を受け取った。

「どうだった? ジンク君の最期は?」

 僕は先生の最期を思い出す。

 先生はマイカさんとの初恋の想い出に浸りながら消えて行った。それはなんだか幸せそうだった。先生はマイカさんの後を追って、そのうちに同じ物質となることができるのだろうか?

「ふうん、素敵な最期だったみたいね。あんたの顔がそう語ってるわ。じゃあね、私はまだ次の仕事があるから。またね……」

 ミューさんは僕にウインクをしたかと思うと、手を振りながら研究室を出て行った。

 僕はしばらくの間、茫然とその場に立ち尽くしていた。

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