十一日目(火曜日)

初恋

 僕はまた、青白く光る女性の夢を見た。

 ベッドに寝たままで昏睡状態に陥った美しい女性。

 ――昏睡状態。

 この言葉はどこかで聞いた覚えがある。しかもつい最近だ。

 一体どこで聞いたのだろう……?

 ベッドの上に座り、じっくりと考える。やがて脳裏にジンク先生の声が蘇ってきた。


『レディウ人の姿のまま昏睡状態に陥るんじゃ』


 そうだ、昨日先生から、そういう説明があったじゃないか。

 一体、何についての説明だったっけ……?


 ノートを開いて昨日のメモを見る。

 昏睡状態、昏睡状態……あった。

 ラジウム二二八がアクチニウム二二八になる時、昏睡状態になると書かれている。

 ということは……。

 この夢に出てくる女性は、アクチニウムになってしまったレディウ人なのだろうか……? 


 待てよ、もしそうだとすると、この女性はトリティの里を追われた天使のレディウ人ということになる。

 そして、この後、トリティに変身してしまうんだ……。


 僕の頭の中は疑問だらけだ。

 この女性は誰?

 こんな夢を見るようになったのはなぜ?

 わかっているのは、ミモリの森で倒れたことがきっかけということ、ただそれだけ。




 学園に登校してジンク先生の部屋に着くと、ドアの前でネフィーがそわそわしながら待っていた。

「おはよう、ネフィー。どうしたんだよ、そんな顔をして」

「ホクト君、中の様子が変なの」

 困った顔で研究室のドアを見つめるネフィー。彼女のこんな顔を見るのは初めてだ。


 部屋の様子をうかがうと、ドアの内側からガリガリという音が聞こえる。きっとシリカが内側からドアを引っ掻いているのだろう。

「先生! 先生!」

 僕は叫びながらドアをノックする。が、何も反応はない。

「私が来た時から何も返答がないの……」

 ネフィーは不安そうにドアを見つめる。


 試しにノブに手をかけると、ドアには鍵はかかっていない。

「先生、開けますよ!」

 もう一度大声で先生を呼んでみる。が、何も反応は無い。

 ――きっと先生の身に何かあったんだ!

 意を決してドアを開ける。すると中からシリカが勢い良く飛び出してきた。

「どうしたの、シリカちゃん?」

 ネフィーはシリカを抱き上げる。そして部屋の中は――


「先生!」

「きゃーっ!」

 ジンク先生が椅子に腰掛けたまま、机の上に突っ伏していた。

「ネフィー、誰か呼んできて」

「わかった」

 ネフィーが駆け出そうとすると、ジンク先生がむくっと顔を上げる。


「大丈夫じゃ。二人とも、お願いじゃから、ドアを閉めて、ここに居ておくれ……」

 弱々しい声だった。

 僕は躊躇する。先生の言う通りにしてもよいかどうか。

「お別れじゃ。もうすぐわしは消える。病院に行っても意味はない。最期に君達に話したいことがあるんじゃ」

 先生は真剣な眼差しを僕達に向けている。

「だったらなおさらです。人を呼んできます。先生にお世話になった方は沢山いるはずです」

「頼むから行かないでくれ!」

 出て行こうとする僕を、先生は必死の形相で引き留めた。

「もう時間がないんじゃ。人を呼んでいるうちにわしは消えてしまう。君達が来てくれただけでも幸運なんじゃよ」

「先生……」

「ほら、悲しい顔をせんで、二人ともわしの前に座っておくれ」

 僕とネフィーは先生の前の椅子に座った。


「まず検査の結果じゃ。このトリティ――名前はシリカじゃったっけ、やはりトリウム二二八じゃった」

 そういえば、今日はシリカの検査結果を聞きに来たんだった。でも先生とのお別れが近づいていると知って、それどころではなくなっていた。

「それはもういいんです。それより先生の話したいことってなんですか?」

 今にも先生が消えてしまうんじゃないか。僕は焦る。

「まだ大丈夫じゃよ、時間は迫っておるがな」

 先生はゆっくりと笑う。

 弱々しくはあったが、すぐに消えてしまうという感じではない。


「君達の初々しい姿を見てるとの、いつも自分の初恋を思い出すんじゃ。だから、どうしても君達に話しておきたくての。いや、伝え終わるまでは消えられん……」

 自称三千才のジンク先生の初恋とは、いったいどんな恋だったのだろう。

 僕とネフィーは、先生の最期の話に耳を傾けた。



「それは三千年くらい前の事じゃった。ここからかなり離れた街に住んでおった頃じゃ。わしはトリティのことを詳しく知りたくなって、学園の生物学の授業に出ておった」

 今は生物学を教えている先生が、昔は僕らと同じように学園で生物学を習っていた。ごく当たり前のことだが、先生の口から聞くとなんだか不思議な感じがする。

「そこには同じくトリティについて調べておる女性がおっての、名前をマイカといった。可愛い子じゃったよ」

「マイカさんって、いい名前ですね」

 ネフィーが相づちを打つ。

「マイカはの、伝説のトリティの里を探そうとしとった。わしはそれを手伝うことにしたんじゃ」


 昨日の先生の話によると、トリティの里とは神様のトリティだけが住む幻の場所だ。

 でもそんな場所、どうやって探すのだろう?


「マイカは思いついたんじゃ、トリティの里を探す方法を。どうやったかわかるかの?」

「わかりません」

 僕とネフィーは口をそろえる。

「わしもびっくりの方法じゃ。マイカはの、レディウ人の出身地を片っ端から調べて回ったんじゃ」


 マイカさんが考えた方法とは次のようだった。

 レディウ人のほとんどはラジウム二二六だが、中にはトリティの里で誕生したラジウム二二八、つまり天使のレディウ人も含まれている。

 その天使のレディウ人の出身地は、トリティの里もしくはその近くのはずだ。

 したがって、すべてのレディウ人の出身地を調べてが浮かび上がれば、そこがトリティの里である可能性が高い。


「先生、レディウ人全員を調べるなんて、効率が悪いんじゃないんですか?」

「そうじゃの。本当は天使のレディウ人だけ選んで調査をすればいいのじゃが、誰が天使のレディウ人だか分からんからの。しかしマイカは考えたんじゃ。効率が悪くても、沢山の人を調べれば必ず傾向が現れるはず。そして、調査に賛同してくれる仲間を探した。最初はみんな面白がっていたんじゃが、一人一人減っていっての、最後はマイカとわしだけになった」

 街に出て、コツコツと出身地を聞いて回る作業。さすがに一人では大変そうだ。


「一年くらい調査を続けた時かの、次第に成果が出てきたんじゃよ」

 最期の時というのに、先生の瞳が輝き出す。よほど楽しい想い出だったに違いない。

 それにしても一年間コツコツと調査を続けるなんて、マイカさんってなんて根気強い人なんだろう。

「この街にはミモリの森があるじゃろ。その近くで誕生した、という証言がだんだんと集まり始めたんじゃ」


 ミモリの森!?

 やはりあそこは特別な場所だったんだ。


「その頃、この辺りに街なんかなくての、すごい田舎だったんじゃよ。ミモリの森の存在もほとんど知られておらん。なんでこんなところで誕生するレディウ人がいるのかと、不思議に思ったもんじゃ」

「すると、ミモリの森がトリティの里だったんですか?」

「それはわからん。わしらがこの街の調査を開始した時には、ミモリの森はすでにトリティの里ではなかった。でも、昔はトリティの里の一つだったんじゃないかと、わしらは結論づけたんじゃ」


 あの森がトリティの里だった?

 ミモリの花畑を囲む深い森は、もしかすると昔は閉ざされていて、人を寄せ付けなかったのかもしれない。


「わしらは、ミモリの森を詳しく調査しようと研究のための前線基地を作ることにした。基地といっても簡単な丸太小屋じゃ。わしらは週末になるとこの街に来て、小屋を作り始めた」

 小屋を建てるのに適した土地を探し、草を刈り、木を切って組み立てていく。二人が汗を流して作業する様子が目に浮かぶ。


「素敵ですね」

 うっとりとした表情を見せるネフィー。彼女も似たような光景を想像していたのだろう。

「そうじゃ。あの頃が一番充実しとった……」

 目を細めるジンク先生は、うっすらと涙を浮かべていた。

「そしてわしは、マイカのことが好きになったんじゃ」

 共通の目的のために力を合わせる二人。その二人が男女であったなら必然かもしれない。


「小屋が完成すると、週末はそこに泊まって調査をした。森のこと、森で生まれたというレディウ人のこと、そしてトリティについても調べた」

「どうしてトリティについても調べたんですか?」

「ここのトリティはミモリの森を守ろうとする習性があるんじゃ。小屋を作るときも大変だったんじゃよ。森の木を切ろうとすると、どこからともなくトリティが集まってきて邪魔をするんじゃ」

 似たような話をどこかで聞いたことがある。

 そうか、ミモリの森を開発しようとした時にトリティが邪魔したと、先生の授業で習ったんだっけ。


「トリティがミモリの森の番人だという話、私、先生の授業で聞きました」

 ネフィーが瞳を輝かせる。

 やっぱりトリティはミモリの森の番人なんだ。でもそれは何故なんだろう?

「どうしてトリティは森を守っているんですか?」

「その理由が分かれば、ミモリの森の謎が解けると思ったんじゃ。自分達が生まれた場所だから、という説もある。マイカとわしは、森の真ん中にあるミモリの花畑にヒントがあると考えた」

 僕もミモリの森で誕生した。だからミモリの森が無くなるのは悲しい。

 でもトリティが必死に森を守ろうとしているのは、それだけの理由では無いような気もしていた。


「あの花畑のミモリの花はトリティが育てとるんじゃ。青い綺麗な花が咲く」

「知ってます。このシリカも育ててました。嵐の日も命がけでつぼみを守ったんです」

 僕は、ネフィーが抱いているシリカの頭をなでる。

「きゅるるるる~」

 誇らしげにシリカが声を上げた。

「おお、そうか。お前さんも花を守ったか。そうなんじゃよ、トリティはあの花を必死に育てるんじゃ。その理由が分からなくての」

 ミモリの花を育てるのはシリカだけではなかったんだ。あそこにいるトリティは、みんなミモリの花の番人ということになる。


「わしはな、ミモリの花はお墓のようなものだと考えとる。レディウ人となったトリティを忘れないように、トリティはミモリの花を植えとるんじゃよ」

 僕ははっとした。

 僕はミモリの森で生まれた。つまり、その直前はトリティだったことになる。シリカは、トリティだった僕のことを忘れないように、あの花を植えたのだろうか?

「なんだかわかるような気がします」

 先生の話に頷きながらシリカを向く。

「きゅるるるる……」

 シリカの顔が、やっと分かってくれたのかと言っているように見えた。


「研究が軌道に乗ってきた頃、マイカがある提案をしたんじゃ」

 ジンク先生は少し間を置いて話し始める。

「この小屋に二人で住もうと。もう週末の調査だけでは時間が足りなくなっていた」

 二人で一緒に住もう。その言葉はもうプロポーズなんじゃないだろうか。

「まあ、素敵だわ。それで先生はどうされたんですか?」

「わしは……、それを断ったんじゃ」

「ええっ、どうしてなんですか!?」

 せっかくの女の子の勇気を台無しにして! ネフィーの口調はそんな風に聞こえた。

「当時、この街は本当に何も無かったんじゃ。それに比べて元の街にはすべてがある。食べるところ、見るところ、遊ぶところ。学園に行けば勉強仲間がいるし、スポーツや遊び仲間だっていた」

「マイカさんよりも、そちらの方が大切だったんですか?」

 ネフィーの口調がだんだんと険しくなってくる。僕は慌てて先生に助け舟を出した。

「わかります、先生。僕も今、学園での生活が楽しいんです。それを捨てて田舎で暮らせと言われたら、ちょっと考えてしまいます」

「私と二人で暮らすって言っても?」

「えっ……」

 思わず僕は言葉を詰まらせた。

 ネフィーと一緒に暮らす――そんな提案が、彼女自身の口から飛び出すとは思ってもいなかったからだ。

「なによ、ホクト君ったら」

 戸惑う僕を見て、ネフィーは唇を尖らせる。

「ははははは。わしの前でけんかはやめてくれ」

 たまらず先生が笑い出す。

「それで、マイカさんとはどうなったんですか?」

 僕は慌てて話を元に戻した。ネフィーは「ふん」と不満顔だ。

「結局、マイカだけが小屋に住むことになった。わしは今まで通り、週末だけ通うことにしたんじゃ」

 先生は、当時を思い出すようにしばらく天井を見つめていた。


「ある日のことじゃった。わしが小屋に着くと誰もおらんかった。不思議なことに、ベッドにはマイカの服だけがあった。まるでそこにマイカが寝ていたかのようにじゃ。そして机の上にメモを見て、わしはすべてを知った。マイカは……消えてしまったんじゃ」

「えっ!?」

 僕たちは言葉を失う。

 先生は懐から小さなメモを取り出した。

「これがその時のメモじゃ」

 そこには次のように書かれていた。


 愛するジンクへ

 突然ですがお別れの時が来たようです。

 あなたと一緒に過ごした日々はとても楽しかった。

 研究が途中で残念だけど、悔いはありません。

 これからあなたは、あなたの人生を歩んで下さい。

 マイカ


 メモには何度も何度も書き直した跡があった。

 きっとマイカさんは、最期の時間を使って必死に先生への想いを伝えようとしたのだろう。

 でも、想いを綴れば綴るほど、先生のこれからの人生にとって重石になる。そう判断したマイカさんは、こんな淡白なメモに書き換えたに違いない。

 そのことを、最後の一文が物語っていた。


「わしは心から後悔した。なんで最初から一緒に暮らさなかったのだろうと。たとえマイカの運命は変えられなくとも、最期の時は一緒に居られたはずじゃった」

 ネフィーは瞳に涙を浮かべていた。

 僕もショックで言葉を発することができなかった。


「しばらくわしは、何も手につかなかった。学園にも通わず、食事もとらなかった。それでもレディウ人は死ぬことはない。だったら今すぐ消えてしまいたい。心からそう思った」

 先生は、呆然とする僕たちをよそに話を続けた。

「消えてしまいたい。その想いは、わしにあることを思い出させた。移植手術じゃ。世の中にはラジウムを取り替える移植手術があることを思い出したんじゃ」


 当時の先生のように、若くして消えてしまいたくなったレディウ人。

 一方、老いてもまだ消えたくないレディウ人。

 両者の利害が一致した時、ラジウムの移植手術が行われるという。

 古いラジウムを移植した人は早く消え、新しいラジウムを移植した人はいつまでも消えずにいることができる。


「わしは病院に相談しに行ったんじゃ。すると医者は、わしに思いとどまるよう説得した」

 まあ当然だろう。

 しかし自分だったらどうするだろうと考えた時、自棄を起こさない自信はなかった。

「最初は、多額の手術代が必要と言われた。手術には結構なお金がかかるんじゃ。でも大抵の場合、古いラジウムを提供する人がお金を出してくれる。それを知っていたわしは、引き下がらなかった」

 千年も消えずにいる人には、かなりの財産があるだろう。若いラジウムを手に入れるためなら、手術代ぐらい容易く工面できるような気がした。


「頻繁に通い詰めるわしに、医者は親身になって話を聞いてくれた。一時の感傷で手術を決意してほしくない。医者はそう考えたんじゃろうな」

 先生はそこで一度話を止め、そして意を決したように言葉を続ける。

「最期だから恥をしのんで言うが、その医者は美しい女性じゃった。十年間そこに通ったわしは、その医者に恋してしまったんじゃ」

 手術をあきらめるということは、生きる希望を得るということ。それが医者への恋だったとは、カウンセリングを行った本人も驚きだっただろう。


「わしは卑怯な手を使った。手術をちらつかせて近寄ったのじゃ。そしていつしか二人は深い仲になった」

 ネフィーを見ると複雑な表情をしていた。マイカさんへの純愛を貫けなかった先生に怒っているのだろうか。男というものが信じられない、という顔だった。

「恋は素晴らしい。新しい恋は、わしを見事に立ち直らせてくれた。二人はしばらく付き合って別れてしまったが、わしは新たな人生をスタートさせることができたんじゃ」

 僕はネフィーと別れてしまったらどうなるのだろうか。他の誰かとまた恋をするのだろうか。


「それからわしは、何人もの女性と付き合った。どれも素晴らしい恋じゃった。しかし、どの恋もマイカとの恋を超えることはできなかった。わしは無意識のうちに、新しく出会う女性とマイカとを比較していたんじゃ」

 ネフィーは、それみろという顔で僕の方を見る。

「千才を超えると、わしはもう恋することをやめた。そして、マイカとの思い出のこの地に移り住み、マイカの研究を完成させようと決意したんじゃ」

「だから先生はあんなにもトリティに詳しいのですね」

 先生がトリティについて研究しているのは、マイカさんの夢を叶えるためだったんだ。

 僕は、なにか胸の中が熱くなるのを感じていた。


「ああ、そうじゃ。この地に移ってから一つ大きな発見があった。ここに住むトリティには、んじゃ」

「えっ、トリウム二三二ですか!?」


 トリウム二三二。

 それは半減期が百四十億年という、はるかな時間を生き続けている神様のトリティだ。


「そうじゃ、トリティの里にしか生息していないと言われていた神様のトリティじゃ。そのトリティがこの街にいるということは、あのミモリの森が昔トリティの里だったことを裏付けておる。マイカの説は正しかったんじゃ。このことを発見した時、わしはマイカに教えてあげたい気持ちで胸が一杯になった……」

 もしマイカさんが居たら、二人は手を取り合って喜んだことだろう。マイカさんの願いは、千年経ってジンク先生が叶えたのだ。

「マイカさん、良かったですね……」

 ネフィーの頬は涙に濡れていた。


「ところで君達は、その、初めての恋かね?」

 突然先生が僕達に問いかけてくる。

「えっ、は、はい……」

 そんな質問が飛んで来るとは思っていなかったので、僕はドギマギする。

「もうキスはしたかね?」

「……」

 まだですけど、と言おうとしてネフィーの顔を見る。ネフィーは耳まで真っ赤だった。きっと僕も真っ赤だったに違いない。

「ははははは。無理に答えんでもええ。口に出さんともすでに教えてくれとる」

 先生の笑いはかなり弱々しかった。消えてしまう時間が近づいているのだろうか。


「最期の時を、君たちのような若い二人と一緒に過ごせて本当に幸せじゃ。学園で教えることになって、君たち若者には本当に元気をもらった。初恋は素晴らしい。いつまでも心に残っとる。それがどんなに悲しい別れであってもじゃ」

 先生は疲れたような表情をする。

「今となっては、あの時移植手術をしても良かったかなと思っとる。二度目の恋をした時は、手術をしないで良かったと真剣に思ったんだがの。不思議なもんじゃ」

 そう言って先生は目を閉じた。

 きっとまぶたの裏には、マイカさんの姿が映し出されているに違いない。

「さあ、お別れじゃ」

 先生が目を開けたときには、その体がゆらゆらと揺れ始めている。

 慌てて僕は先生の手をつかもうとした。が、先生の手はすでに実体を失いつつあった。

「先生!」

 ネフィーが叫んでもその変化は止まらない。

 先生の体はだんだんと透明感を増していく。体を構成するラジウムが気体へと変化しているのだ。

 ネフィーはいつの間にか僕の手を握っていた。僕もしっかりとネフィーの手を握りしめる。

 先生が居た場所には、マイカさんのメモと先生の服だけが残された。

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