十四日目(金曜日)
光
ボンヤリと目に入って来たのは、無機質な灰色の天井だった。
ここは……、どこだろう……?
体を動かそうとしたが動かない。まるで体が凍り付いてしまったようだ。
唯一動かせるのは首から上だけ。キョロキョロと辺りを見渡すと、どうやら僕は病室で寝ていることがわかった。
なんで病院?
その疑問に、やっとのことで自分の置かれている状況を思い出す。
「そうか、移植手術を受けたんだっけ……」
ラジウムの移植手術。
アクチニウム化の恐れがあるアンフィのラジウムと、誕生したばかりの僕のラジウムとを交換する手術を行ったのだ。
それにしても、この状態は何とかならないものだろうか。
寝返りを打とうにも、体も動かせない。
「ええぃ、もどかしい!」
首を激しく振って、体を少しずつ回転させようと試みる。ギシギシとベッドの軋む音。それは廊下まで響いたのだろう。驚いた看護師さんが慌ててやって来た。
「ホクトさん、どうかしましたか? 気分が悪いんですか?」
「いや、体が全然動かせなくて……」
「当たり前ですよ。手術が終わってまだ一日しか経っていないんですから」
一日?
そもそも手術からどれくらいの時間が経っているのだろう?
「看護師さん、今は何時ですか?」
「そろそろ朝の八時になりますね」
ええっ、朝の八時!?
手術室に入ったのが朝の八時だったから、僕はほぼ丸一日寝ていたということになる。
そうだ、ネフィーは? 彼女はどうなった?
もうトリティになったのだろうか?
「看護師さん、この病院にネフィーという女の子が入院していたと思うんですが……?」
「ああ、ネフィーさんですね。彼女は昨日のお昼すぎにトリティになりましたよ。可愛いキツネ色の」
そうか、ネフィーはトリティになったのか……。
「それで、お友達のライトさんがネフィーさんを連れて帰られました。そうそう、ライトさん、今日はホクトさんのお見舞いに来るって言ってましたよ」
えっ、ライトが来てくれるのか?
ネフィーの様子も知りたいし、手術の状況も聞いてみたい。
「あの、看護師さん。僕の手術は上手くいったんですよね?」
「手術は成功ですよ。体が元通り動かせるようになるまで三日はかかりますから、もう少し辛抱して下さいね」
良かった、手術が成功で。
でも、三日も寝てなくちゃいけないのか……。
僕は体を動かすことをあきらめ、深くベッドに身を沈めた。
そのことを確認した看護師は、軽く挨拶をしてから病室を後にする。
再び一人になった病室で、もう一眠りすることにした。
コンコンというノックの音で目を覚ます。
「おーい、ホクト。入るぞ~」
ライトの声だ。お見舞いに来てくれたんだ。
「どうぞ」
ドアの方に顔を向ける。本当は起き上がりたいんだけど、首だけしか動かせないのでしょうがない。
するとドアが開いて、ライトが一人で病室に入って来た。
「あれ? ネフィーは?」
彼女を連れて見舞いに来てくれたんじゃなかったのか?
「なんだよ、せっかく来てやったってのに、いきなり恋人の心配かよ」
憎まれ口を叩きながらベッドに近寄るライト。
「ゴメン。だって気になるんだもん」
椅子に座るライトから、ぷーんとなんだか甘い香りが漂ってきた。
それって……。
「ライトだって、ここに来る前にアンフィのお見舞いに行ってたんだろ?」
「あははは、バレたか。そうだよ、悪いか? あいつ、シャワー浴びたいだの、浴びれないなら香水買って来いだの、うるさくってさ」
人には文句を言っておいて開き直ったぞ、コイツ。
「お互い様じゃん」
「そうだな。俺もネフィーを連れて来たかったんだけど、病院は原則動物お断りなんだ。早く動けるようになって会いに行ってやれよ」
「ああ、僕もそうしたいよ」
朝の看護師さんの話だと、動けるまで三日はかかるという。それまでネフィーに会えないなんて、とてももどかしい。
「看護師さんに聞いたよ。ネフィーは可愛いトリティになったって」
「ああ、鼻が丸っこくてとってもキュートだぜ」
それって、彼女がそのままトリティになったみたいじゃないか。
「それにな、ホクト。ネフィーはちゃんと俺のことをわかってるみたいなんだ。やっぱりネフィーはネフィーなんだな」
ライトの話によると、彼がネフィーに近寄っても逃げもせず懐いてきたそうだ。
そしてライトが家まで抱いて連れて行っても、暴れることなく大人しかったという。ただし家までは。
というのも、僕の部屋に入った時、シリカとネフィーが鉢合わせてしまったから。バチバチと火花を飛ばす二人、じゃなくて二匹。あたふたするライトの顔が目に浮かぶ。
「そんなことがあったんだ……」
「そうだよ、最初は俺もビビったぜ。それにしてもお前も幸せな奴だな。なんたって二匹のトリティに愛されてるんだから」
そう言ってライトはニヤニヤと笑う。
「でもな、きゅるるるって具合で鳴き始めてからすっかり意気投合しちゃってさ、二匹でトコトコと外に出掛けちまったんだよ。俺は心配になって後をつけて行ったよ。だって二匹に何かあったら、お前に顔向けできねえしな」
仲良く並んで歩く白色とキツネ色の二匹のトリティ。その光景を想像したら、なんだか可笑しくなった。
「それで、ネフィーとシリカはどこに行ったの?」
「それがさ、どこだと思う?」
二匹が一緒に行くところ――と言ったら、あそこしかない。
「ミモリの森!」
僕が自信満々に言うものだから、ライトは目を丸くした。
「お前、よくわかったな」
やっぱりミモリの森に行ったのか。
でも、何をしに行ったんだろう?
ん、待てよ。そういえば、ミモリの森といえばシリカがジンク先生の新芽を育てていたんじゃないか。あの芽はどうなったんだろう? まさか、二匹で水やりしてたとか……?
「もしかして、花畑で新芽に水をやっていなかったか?」
「お前……」
すでに丸くなっていたライトの瞳がさらに大きくなった。
「すげえな、二匹のことは何でもお見通しってか?」
ということは正解なんだ。
「新芽かどうかはわからんが、葉がいくつも付いている草に水を掛けてたぜ」
へえ、その話が本当なら、新芽は順調ってことだ。もしかしたら、そろそろつぼみが付くんじゃないだろうか。
「じゃあ、夕方も覚悟するんだな。きっと水やりに行くと思うから」
するとライトは、うんざりという顔をする。
「ええー、またあそこに行くのかよ。お前がこの街に来てから、俺は何回あそこに行ったと思ってんだよ。勘弁してくれよ~」
「そんなこと言わないで頼むよ。ミモリの花が咲くかどうかの瀬戸際なんだからさ」
「ちぇっ、お前はお気楽だよな。寝てるだけでいいんだから」
「寝てるって、体が全然動かせないんだからしょうがないじゃないか。僕だって一緒に行きたいよ。頼むよライト、この通りだからさ」
本当は手を合わせてお願いしたいんだけど、できないので無理やり神妙な顔を作ってライトを見つめ続けた。
「わかったよ、ホクト。だからそんな顔すんなよ」
「ありがとう、ライト」
嫌そうな顔があからさまだったが、彼が了解してくれたので僕は表情を崩す。
「夕方に備えて家で昼寝するわ。報告はまた明日、じゃあな……」
手を振りながらライトは病室を出て行った。
ドアをガリガリとこする音で、僕は目を覚ます。ライトが帰ってから寝てしまっていたようだ。
しばらくすると、ガチャリとドアが開く音がした。
――誰か来たのだろうか?
頑張って顔を動かすと、静かにドアが開いていくのが見えた。しかし、誰も入ってくる気配はない。
「誰?」
不審に思った僕が声を掛けると、姿を見せたのは見慣れた白い小動物――シリカだった。
「シリカ……。お前、よくドアを開けられたな……」
どうやらノブの高さまで飛んで、耳を絡ませてドアを開けたようだ。
シリカは、体を使ってバタンとドアを閉めると、僕の所にやって来る。
「きゅるるるる……」
何かを訴えたいという鳴き声。
そういえば、この病院にはトリティは入れないんじゃなかったっけ?
「きゅるる!」
突然シリカが鋭い叫び声を上げた。何か異変が起きていることは間違いない。
「おい、大丈夫か!? シリカッ!」
シリカはちらりと僕の方を見ると一瞬安堵の表情を浮かべ、静かに目を閉じる。するとその白い体が光に包まれていった。
「シリカッ! どうしたんだ、シリカァァッ!!」
僕の叫びも空しく、シリカを包む光はその光量を加速させ、まばゆさに耐えられなくなった僕は目を閉じる。
――これって、昨日の夢と全く同じじゃないか。
昨日の夢では、こんな風にネフィーがレディウ人になった。ということは、これから僕の目の前に現れるのは……
レディウ人に変身したシリカってこと?
僕はほっぺをつねる――ことはできなかったので、唇を強く噛んでみた。
――痛いッ!
夢ではない。今回は現実なのだ。
まぶたの裏に光を感じなくなる。恐る恐る目を開けてみると――そこには病室の床にひざまずく一人の裸の女性が。
――ええっ?
白い肌、銀色の長髪、そして髪に隠れながらも存在を主張する豊満な胸。
――あれがシリカ!?
その証拠に、トリティの姿をしたシリカはどこにも居なかった。
女性の美しさに息を飲む。そしてあることに気が付いた。
「ゆ、夢の女性!?」
――青白く光る女性。
その人はまさしく、僕が花畑で倒れてから見始めた夢の中に出て来る女性だったのだ。
「ということは、シリカが夢の女性……!?」
夢の中で女性は僕の名前を呼んでくれた。その正体がシリカなら、すべて合点がいく。
「ううっ……」
目の前の女性、いやシリカがうめき声を発し、ゆっくりと顔を上げる。そして目を閉じたまま僕の方を向く。
「美しい……」
シリカはこんなに美しい女性だったのか。
すっきりと締まった顎、キリリとした眉、そして口元の小さなホクロ。
女性はゆっくりと目を開け、僕を視界に捉えると、整った顔に困惑の表情を浮かべた。そして僕を突き放すような言葉を、その口から発したのだ。
「あんた、誰?」
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