開花

 午後は、サッカー、レディウ文学、そして生物学のテストを受ける。

 しかし、どのテストも合格することはできなかった。

「テストって難しいな……」

 落ち込んでいると、ネフィーが慰めてくれる。

「仕方ないよ。ホクト君はレディウ人になったばかりだし、それに昨日はシリカちゃんの看病で休んでいたんだから」


 確かに、昨日は授業を休んだ。

 生物学は、月曜日の授業も受けていない。

 レディウ文学に至っては、恥ずかしながら授業をまともに聞いたことはなかった。


「現実って、厳しいよ……」

 テストに受からないのは当然のこと。が、なんとかなるんじゃないかと思っていた自分の甘さを痛感する。


 ちゃりり~ん!

 そんな僕を救ってくれたのは、校門通過時に鳴った音だった。

「すごいホクト君、試験を一つ合格しているじゃない!」

 ネフィーの声に驚いてディスプレイをみると、僕のチャージ分は二千五百レディになっていた。


 ――えっ、二千五百レディ?


 千五百レディはわかる。今日は授業を五時限分受けたから。

 でも残りの千レディって……、そうか、ジンク先生の授業の時、テストに合格したことにしてもらったんだっけ。


「いやあ、これはジンク先生からもらったおまけみたいなもので……」

 するとネフィーが僕の言葉を遮った。

「そんなことないって。ホクト君は頑張ったんだから、素直にもらっておけばいいのよ」

 そして、いきなり腕を僕の腕に絡ませてくる。

「ほら、ミモリの森に行きましょ。今日は花が咲いているかもしれないわよ」


 脳に伝わる柔らかな感触。

 えっ、えっ、えーっ!!

 何かが肘に当たってるんですけど……。

 僕は顔を真っ赤にしながらネフィーを見る。

 一体どうしゃちゃったんだろう? そんなに急いでミモリの森に行きたがるなんて。


 その時、僕は大切なことに気が付いた。

「シリカ……」

「えっ?」

 ネフィーの瞳が曇る。

「シリカを連れていかなくちゃ」

 だって、あの芽はシリカが大事に育てていたのだから。

 するとネフィーはさらに腕を絡ませてきた。

「シリカちゃんはまだ回復してないんじゃない? このまま私達だけで行きましょうよ」


 このまま二人だけで? それはできないよ。

 僕は歩みを止めた。

 ネフィーって……、こんな人だったっけ?


「ごめんネフィー。僕は、シリカに黙ってミモリの森に行くことはできない。だってあの芽は、シリカが命がけで守った芽なんだから」

 僕だってネフィーと一緒にミモリの森に行きたい。そして二人で並んで花畑に沈む夕陽を見ていたい。

 でも、でも、それじゃダメなんた。

 だって、あの芽が花を咲かせたのなら、それを最初に見るのはシリカって決まっているんだから。


 表情を曇らせる僕に、ネフィーはうなだれ絡めた腕から力を抜く。

「ゴメン、ネフィー」

 僕はネフィーの腕を振り解き、走り出していた。



 気が付くと、アパートの自分の部屋の前に立っていた。

 ――ネフィーには申し訳ないけど、シリカと一緒にミモリの森に行こう。

 そう心を決めて部屋のドアを開ける。が、シリカの反応は何もない。

 いつもだったら、喜んで飛んでくるのに……。

 ベッドを見ると、シリカはぐっすりと眠っていた。やはりまだ調子が悪そうだ。


 ――仕方が無い、一人で水やりに行くか……。


 ジョウロと懐中電灯をバッグに入れ、玄関のドアを開ける――と、そこにはネフィーがうつむいて立っていた。

「ネフィー……」

 僕の呼びかけに、彼女は濡れた瞳をこちらに向ける。

「シリカちゃんは?」

「まだ調子が悪いみたい」

「そう……」


 僕達はしばらくの間、無言で立ち尽くす。

 夕方の風が、気まずい二人をあざ笑うかのように僕達の間を吹き抜けた。

 まずい、早くミモリの森に行かないと日が暮れてしまう……。


「ごめん、ネフィー。僕はもう行くよ」

 階段を降りようとネフィーの横をすり抜けた僕の背中に向かって、彼女がつぶやいた。

「私も……」

 僕は足を止め、彼女を振り向く。

 ネフィーの熱い視線。まるで僕達を繋ぎとめる最後の糸であるかのように。

「私も行きたい。だって、ミモリの花がどうなっているのか見たいから」

 その光には真摯な想いが宿っていた。一番最初に僕に見せた、ミモリの花に興味を寄せる純粋な光。


 ――それならば。


「行こう、一緒に」

 僕はネフィーに手を差し伸べる。

「いいの? こんな私でも」

「ミモリの花の様子が見たいんだろ? だったら僕が断る理由はないよ」

「ありがとう、ホクト君」

 濡れた瞳を笑顔に変えて、金髪を揺らしながらネフィーが階段を降りてきた。



 歩きながら、ネフィーはぽつりぽつりと話し出す。

「私、どうしちゃったんだろう? シリカちゃんを置いてミモリの森に行こうなんて……」

 僕も最初、ネフィーの言葉が信じられなかった。

 彼女がそんなことを言い出すなんて、予想もしていなかった。

「最初はね、純粋にミモリの芽に興味があったの。授業で習った通りの成長の早さに驚いたから」

 そもそもの始まりは、シリカがミモリの森に行きたがっていたことだった。

 そんなシリカの行動にネフィーは興味を持った。ジンク先生の授業で習ったことを確かめたかったからだ。

「双葉を見た時は、本当に感動したわ」

 ミモリの芽は成長が早く、双葉を見る機会は滅多に無いらしい。


「通っているうちにね、私、花畑に沈む美しい夕陽に魅せられたの。それをホクト君と見るのが楽しみになった……」


 えっ……?

 自分の耳を疑う。

 夕陽を一緒に見る楽しみは、僕からの一方的な想いと思っていたのに。

 ネフィーも同じことを感じていてくれたんだ……。

 胸の奥がじわりと熱くなる。


「でもね、ホクト君がシリカちゃんのことばかり気にするから、なんだか胸の中がもやもやしちゃって……、そしたらあんなことを……」

 僕もネフィーと一緒に夕陽を見るのが楽しみだったんだ。

 彼女にそう伝えたくて、でもその前にシリカのこともちゃんと話さなきゃいけないと思って、僕は一つ深呼吸を置いた。


「ネフィー。僕も君に話さなきゃいけないことがある」


 そして言葉を絞り出す。

 ネフィーは真剣な面持ちでこちらを見た。

「君は言っていたよね、僕達レディウ人の祖先はトリティだったって」

 ネフィーは黙ってうなずく。

「僕がミモリの森で誕生した時、シリカが傍に居た。これがどういうことなのか、僕はずっと考えていたんだ」


 はっと表情を変えるネフィー。

 どうやら、僕の言葉の意味を瞬時に理解してくれたようだ。


「私もね、レディウ人になった時、すぐ横にお姉ちゃんが居たの。お姉ちゃんも、私と同じようにレディウ人になったばかりだった。ちょうど六年前のことだったわ。だからね、私とお姉ちゃんはトリティの時もずっと一緒に居たんだと思う。お互いすっかり忘れちゃってるけどね」

 へえ、そうだったんだ。

 アンフィとネフィーは双子なんだから、たぶんそんな感じだとは思っていたけど。

「ということは、ホクト君とシリカちゃんもトリティの時に一緒だった――ということ?」

「多分そうなんじゃないかと思う」

 そして、意を決して自分の推測を伝えた。


「もしかしたら、僕とシリカは恋人同士だったのかもしれない」


「…………」

 ネフィーは冷静に僕の話を聞いていた。

 シリカが女性であると判断したのはネフィー自身なんだから、恋人同士であった可能性を薄々感じていたとしても不思議ではない。


「そうなのね、ホクト君はそれを思い出したのね……」

 そして彼女はうつむいた。

「違うんだよ、ネフィー。僕にはトリティだった時の記憶はないんだ。シリカと恋人同士だったかもしれないというのは全くの臆測なんだ。それよりも、僕は、僕は……」


 さあ、ホクト、勇気を出せ。

 そして自分の気持ちをネフィーに伝えるんだ。


 僕はネフィーの手を取った。

「えっ?」

 驚いた彼女は僕を見る。

「僕はネフィーと一緒にミモリの森に沈む夕陽を見たい。そしてこの手をずっと握っていたい。でも、シリカの前でそれを言い出せなくて。だってシリカはきっと、僕がトリティだった時のことを覚えているんだから」


 静かにネフィーの手を握る。

 小さくて柔らかい彼女の手。初めて手を繋いだ時から、僕はこの手をずっと繋いでいたいと思った。

 この想いに偽りはない。


「それをわかってほしい」

「うん、わかった……」

 ネフィーも僕の瞳を見つめながら手を握り返してくれた。



 ミモリの森に着いた僕達は、森の中を手を繋いだまま歩く。

 夕暮れの森も、二人で歩けば何も怖くなかった。

 そして花畑で見る夕陽。

 今日の夕陽は格別だった。だって隣には手を繋いだネフィーが居るんだから。


「夕陽に染まるネフィーの横顔が大好きなんだ」

 僕は正直に伝える。

「うん……」

 真っ赤に染まったネフィーの横顔を確認すると、握る手に力を込めた。

 ネフィーは恥ずかしげにうつむきながら、手を握り返してくれる。

「ホクト君……。私もホクト君と見る夕陽が好き」

 僕は前を向いて夕陽を見つめる。

「でもシリカのことも大切に思っている。それだけはわかってほしい」

「うん」

 彼女も理解してくれたようだ。


 ほっとした僕は、今日の午前中の出来事を切り出した。

「今日のジンク先生の授業で、シリカのことを聞いてみたんだ」

 自分が考えていることをネフィーにちゃんと伝えないといけない。

「僕がレディウ人でいるうちに、シリカが変身する可能性はあるかどうかって」

 するとネフィーは、夕陽を見ながらポツリとつぶやいた。


「トリティを形づくるトリウム二三○の半減期は七万五千年……」


 さらりと半減期を口にする。やっぱりネフィーの知識は本物だ。

「すごいね、ネフィー。そんな難しい数字が簡単に出てくるなんて」

「まあね。でもこれって、私達レディウ人にとって基本中の基本なのよ」

 花畑を見回すと、何匹かのトリティを見ることができた。このトリティの半数が七万五千年経っても変身せずにこの森に居るなんて、なんて気の長い話なんだと思う。


「先生は言ってた。トリティの時間に比べたら、レディウ人の時間はあまりにも短すぎる。だからトリティが変身するのを待つなんて無駄なことだと」

 そして僕は再びネフィーの手を強く握る。

「だからね、僕は今を大事にすることにしたんだ。こうしてネフィーと一緒に過ごせる今を」

「ありがとう。ホクト君……」

 僕を見つめるネフィーの瞳は夕陽で輝いていた。


 僕達は手を繋いだまま新芽に向かう。

「今日は花が咲いているかな?」

 ネフィーに尋ねてみると、彼女はニコリと微笑んだ。

「きっと咲いているわ。そしたら、明日はシリカちゃんを連れて一緒に来ましょう」

「そうだね。ありがとう、ネフィー」

「だってシリカちゃんが命がけで守った新芽だもの。当たり前じゃない」


 こんな感じでシリカとネフィーとみんなで仲良く暮らせるといい。それはきっと、素晴らしい生活に違いない。

 するとネフィーは予想外の提案を口にした。

「そうだ、月曜日はシリカちゃんを連れてジンク先生のところに行ってみない?」

「えっ、シリカを連れて学園に?」

 そんなこと思いもつかなかった。

「あら、前にも言ったじゃない。ジンク先生はトリティの研究が専門なのよ。もしかしたらシリカちゃんについて何か分かるかもしれないしね。もしあと数年でレディウ人になるんだったら、私もうかうかしてられないわ」

 そう言って冗談っぽく笑うネフィー。

 いや、それはカンベン願いますよ~。ネフィーとシリカの二人の女性に囲まれたら僕は……。


 ニヤニヤと変な連想をしていると、不意にネフィーが歓喜の声を上げた。

「ほら、ホクト君。花が咲いてる!」

 ネフィーが指差す方を見ると、シリカが育てた新芽は立派な青い花を咲かせていた。

「ホントだ、咲いてる!」


 僕達は新芽に駆け寄る。

 夕陽に照らされた新芽は、他のミモリの青い花と同様に紫色に輝いていた。

「ちゃんと一週間で花が咲いたんだ。授業で習った通りだわ」

 ネフィーは花の前にしゃがんでゆっくりと観察し始めた。

「この花は永遠に咲き続けるんだろ?」

 僕も花の前にしゃがんで、ネフィーが以前言っていたことを確認する。

「そうよ、授業でジンク先生はそう言ってた」


 永遠に咲き続ける青い花。

 しかし、その短い成長期間に水が与えられないと、決して咲くことがない儚い花。

 その花は、一体どんな香りがするんだろう……?

 確かトリティは、その香りを嗅ぎ分けられるという話だった。

 だから僕は、トリティになったような気分で鼻を近づける。


 その時――


 突然、ガツンと強い衝撃が僕を襲った。

 何かが頭の中に入ってきたような感覚。そいつに体を乗っ取られるかのように僕は体の自由を失い、だんだんと意識が遠のいていく。ミモリの畑に倒れこむ僕は、花を潰さないよう避けるのが精一杯だった。


「きゃーっ、ホクト君、大丈夫!? ホクト君、ホクト君……」

 ネフィーの叫び声がだんだんと小さくなる。

 僕はそのまま意識を失った。

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