十七日目(月曜日)
車椅子
朝起きると、シリカは出掛けた後だった。ベッド脇に巾着袋が置いてある。
きっと今日も自分のアパートに戻り、カオリン達が迎えに来るのを待っているのだろう。
そういえば、今日はバイトをやるって言ってたっけ?
あいつ、あんなにぶっきらぼうな態度でバイトなんてできるのか?
なんだかすごい失敗をやらかして、バイト先を追い出されるような気がするけど。
まあ、そうなったらそうで、早めにここに来てくれるかもしれないと、僕はちょっぴり期待する。
午前中には先生の診察があった。
まだ下半身をうまく動かすことはできないが、上半身は手術前とほぼ同じ状態に近づいている。
先生にミモリの森行きのことを話したら、車椅子を貸してもらえることになった。
シリカがやって来たのは、午後二時ごろ。
森に行くと予告していたおかげか、彼女はちゃんとハイキングっぽい恰好をしている。
上はTシャツとパーカー、下はキュロットスカート、靴はスニーカーを履いていて、化粧もナチュラルな感じ。
シリカは、病室内で車椅子の練習をしていた僕を見て、いきなり嫌そうな顔をした。
「え~、これで出掛けるの?」
「そうだよ。だってまだ下半身がうまく動かせないんだから」
「私、ついて行くだけだからね」
頬を膨らませるシリカ。車椅子なんて押さないよ、と表情が語っている。
そんなことには構わず、僕は「さあ行くぞ」と車椅子を動かす手に力を込めた。
舗装道路はミモリの森の入り口まで。雑草の生える小路は、車椅子では進みにくい。当然、シリカの手助けが必要となる。
「なによ、結局、私も押すことになるんじゃん」
「僕も頑張るから、ゆっくり行こうよ」
不平を漏らしながらも、車椅子を押そうとしてくれているシリカ。プリプリするその顔が可愛いかった。
今日もミモリの森は薄暗い。
小路の先を見つめていると、ここで起きた色々なことが僕の脳裏に蘇ってくる。
初めてシリカと一緒に森を抜けたこと、シリカと水やりで通ったこと、嵐の中シリカを探したこと、そしてネフィーと手を繋いで歩いたこと。
そして今僕は、シリカとの最後の思い出作りのためにこの小路を進んでいる。
しみじみと森の木々を見上げる僕に、シリカが訊く。
「ねえ、この先に何があるの?」
「綺麗な青い花の咲く花畑があるんだよ」
「へえ~」
彼女もちょっとは興味を持ってくれたようだ。
あれだけ水やりに執心していたシリカ本人とは、とても思えないけど。
「この小路、本当に覚えてないのか?」
「ぜんぜん」
淡い期待を抱いてみたが、それは無駄だった。シリカは本当に自分のことを忘れている。
「でもね、なんだか懐かしい感じがする……」
森の木々を見上げてそうつぶやいた。
「きゅるるる、きゅるるる」
木々の間から顔を覗かせる茶色のトリティ。
立ち止まって物珍しそうに僕達を見つめている。
「あっ、可愛い~。あれ何ていうの? ホクト」
そうか、シリカはトリティを知らないのか。彼女だって三日前はトリティだったのに。
「トリティっていうんだ。この森に住んでいるんだよ」
「じゃあ、この先にもいる?」
「ああ、沢山いるよ」
「それは楽しみだわ」
車椅子のスピードもほんのわずかに速くなったような気がした。
「きゅるるるる……」
今度は真っ白なトリティが顔を覗かせた。
その白さは、トリティだった頃のシリカを彷彿させる。
「シリカも、三日前はあんな感じだったんだよ」
白いトリティを指差す。
「ええっ!?」
信じられないという顔をするシリカ。
そういえばレディウ人になる前はトリティだったなんて、シリカは誰にも教えてもらっていないんだな。僕だってそれを知った時は、かなりビックリしたけど。
「嘘……でしょ?」
「嘘じゃないよ。真っ白で、毛がふかふかしてたんだから。それに僕だって、三週間前はあんな姿だったらしいよ」
「へえ~、じゃあその時の様子を聞かせて」
「さすがに僕もその頃の記憶はないんだ。けど、レディウ人になった時のことは良く覚えてる」
花畑に着くまでの間、その様子をシリカに話してあげることにした。
「僕がレディウ人として誕生したのは、三週間前のことなんだ。気がついたらこの先の花畑に立っていた」
あの時のことは忘れもしない。
どこまでも広がる青い空に青い花畑。
とても気持ちが良かったことを覚えている。
「そしてシリカ、君が僕の隣にいた」
レディウ人になってすぐに近寄って来たのがシリカだった。
白い毛がふわふわしていて、抱くととても気持ち良かった。
「その時、シリカはあんな感じの小さな動物だった。君はなんだか懐かしい匂いがした」
自分に関する記憶を失っても、シリカに対してはすごく懐かしい感じがしたんだ。
そういえばシリカも同じことを言ってた。僕の毛布の匂いが懐かしいって。
「へえ~、私もホクトはなんだか懐かしい感じがする。だからその気持ち、なんとなくわかるわ」
そう言ってもらえると僕も嬉しい。
「それから市役所の人が来て、アパートの部屋の鍵を貰ったんだ。ほら、シリカの時にも来ただろ? あの人だよ」
「それって、ナース服を持ってきた人?」
そうか、シリカの中でミューさんは『ナース服の人』になっているんだ。
「あははは、そうだよ。あの人、名前はミューさんっていうんだ。レディウ人になったばかりの人を訪問して、好みの服を着せて喜んでいるんだよ。僕の時は執事服だった」
「ぷっ、ホクトが執事!?」
シリカがいきなり吹き出す。
「あははははははは、それって見てみたい!」
おいおい、そんなに笑うなよ。
見てみたいって、シリカだってあの時すごく喜んでいたじゃないか。
今となっては懐かしい思い出だ。
「それでね、アパートの隣の部屋がライトだったんだ」
「それで、ホクトとライトは友達なのね」
ライトには、シリカのことですごくお世話になった。カオリンやキャルだってライトのバイト仲間だし。
「ライトと付き合っている女の子がアンフィ。僕はそのアンフィと一緒に手術したんだ。だから二人で病院に入院している。そしてアンフィの双子の妹がネフィー」
手術が終わってから、僕はまだアンフィやネフィーに会ってない。
シリカがレディウ人でいるうちに、またみんなで集まる機会がやって来るだろうか。
「双子? それって瓜二つってやつ?」
「髪型と性格は違うんだけどね。見た目はそっくりだよ」
顔の造りは本当に瓜二つだ。手術前の髪を上げたアンフィにはドキリとした。
二人がそっくりなおかげで僕は勘違いしてしまい、ネフィーと仲良くなれたんだけど。
「そして嵐の夕方。この四人を巻き込む事件が起きたんだ」
事件。
たしかにあれは事件だった。
「その事件って?」
シリカは興味津々に聞いてくる。原因が自分とは知らずに。
「突然、行方不明になってしまったんだよ」
「誰が?」
「シリカが」
「えっ、私!?」
まさか自分のこととは思っていなかったのだろう。振り向くと、車椅子を押すシリカは驚きで目を丸くしていた。
「嵐の日に、君は行方不明になったんだ。そしてみんなで探したんだよ。結局君は、この先の花畑で見つかった」
あの日は本当に大変だった。
強い風と雨が僕達の行く手を阻んだ。
そして花畑でぐったりしたシリカを見つけて、死んじゃったんじゃないかと僕は心配したんだ。
僕の様子を察したのだろうか。シリカは小声で謝罪を口にする。
「ごめんね。私って、そんなに迷惑かけてたんだ」
「でもね、シリカがこの場所に来たのはちゃんと理由があったんだ。皆はそれを知って納得してくれた」
きっと僕だって、シリカと同じ立場だったら同じことをするだろう。
ミモリの花に興味を持った今なら、自信を持ってシリカを擁護することができる。
「その理由って?」
「ある花のつぼみを守るためだったんだ」
「つぼみ……?」
「ミモリという青い花のつぼみだよ」
その時、森がとぎれて視界が開けた。
森に囲まれた広い広い花畑一面に、青い花が咲いている。
「うわぁ、綺麗……」
シリカは足を止め、景色を眺めながらため息をついていた。
空の青と花の青に挟まれる森の緑。やっぱりここは気持ちのいい場所だった。
「それで、私が守ったっていうつぼみはどこにあるの?」
「もうしばらく行ったところだよ。近くに来たら教えてあげる」
目印は、重し石。
嵐の夜にライトが持ってきた石だ。
それをバケツの上に乗せて、ミモリの花のつぼみを守ったんだ。
重し石は今でもきっと、あの花の前に置いてあるはず。
「あっ、あの辺りだよ」
五分くらい進んだだろうか。目印となる重し石が見えてきた。
「どの花だか探してごらん。懐かしい感じを辿って行けば分かるかもよ」
ちょっと意地悪な提案だったかな、と思う間もなく、シリカは僕が指差す方向に走り出していた。
僕は苦笑しながら車椅子で後を追いかける。
十メートルほど前方でシリカが立ち止まり、目を閉じて鼻をくんくんさせている。その場所は、正に僕が誕生した場所だった。
「なんだかこの辺が怪しいんだけど」
さすがはシリカ。感覚だけでちゃんと場所がわかるようだ。
すると彼女はしゃがみこみ、目の前の花の香りを嗅ぎ始めた。
「この花、すごく懐かしい感じがする……」
ついに目的の花を特定したようだ。
「やるじゃないか、シリカ」
――それが君が必死に守ったミモリの花だよ。
と言おうとして、僕は目を疑った。
――違う、あの花じゃない。
シリカが香りを嗅いでいるのは彼女が守った花ではなく、その右隣の花のように見えたのだ。
それを確かめようと僕は必死に車椅子を走らせる。
その時――
シリカに異変が起きた。
ドクンと彼女の体が波打ったかと思うと、急激に力を失い、花の前に倒れ込んでしまったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます