クレープ

「きゅるるるる~」

 アパートの玄関を開けると、シリカが飛びついてきた。

「まあ、可愛い~」

 ネフィーが目を丸くする。どうやら姉妹そろって動物好きらしい。


「きゅるる? きゅるる?」

 シリカはネフィーに頭を撫でられながら困惑しているようだ。それもそのはず、シリカを撫でているのは昨日遊んでくれたアンフィではなくて、その双子の妹のネフィーなのだから。

「ホクト、肩を貸してくれてありがとな」

 ライトが隣の自分の部屋の鍵を開ける。

「お互い様だよ。明日は学園に行けそう?」

「ああ、だいぶ楽になってきたから大丈夫だと思う。じゃあな」

 ライトは僕に挨拶をすると、アンフィに肩を借りて自分の部屋に入って行く。どうやらアンフィと一緒に看病という名の甘いひとときを過ごすようだ。


「ホクト。ネフィーをよろしくね」

 別れ際、アンフィはニヤニヤしながら僕にウインクをした。

「ネフィーもしっかりご馳走になるのよ」

「お、お姉ちゃんってば……」

 ライトの部屋に消えて行くアンフィを見送るネフィーの顔が、ほんのり赤く染まったような気がした。



「きゅるる! きゅるる!」

 二人と一匹になると、シリカはネフィーの前で暴れ出した。どうやら出掛けたがっているようだ。

 そういえば、そろそろミモリの森で水やりの時間だった。


「ごめん、ネフィー。クレープ屋に行く前に寄りたい所があるんだけど……」

 今日会ったばかりの女の子をミモリの森に誘うのはマズい。クレープ屋の場所を教えてもらって、僕とシリカだけで水やりに行って来よう――と考えていたら、

「いいわ、この子が行きたいところなんでしょ?」

 ネフィーはシリカの様子を察していた。

「よく分かったね。こいつ、シリカっていうんだけど、毎日のようにミモリの森に行きたがるんだよ」

「ホント? それなら私もぜひ行きたいんだけど、いい?」

 ネフィーは目を輝かせた。


 ええっ、ぜひ行きたいってどういうこと?


「帰りは薄暗くなっちゃうけど大丈夫?」

 僕の心配をよそに、ネフィーは乗り気になっている。

「全然問題ないわ。ミモリの森が薄暗いのは当たり前じゃない」

 そう思ってもらえるなら心強い。

「じゃあ、ちょっと準備してくるからシリカと待ってて……」

 ネフィーが一緒に来てくれれば、僕だって心細い思いをしなくて済む。


 ――ちょっと不思議な女の子だな、ネフィーって。


 僕は昨日と同じようにバッグにジョウロと懐中電灯を入れ、二人と一匹でアパートを出発した。



 街を抜けてミモリの森に入ると、ネフィーが僕に話しかけてきた。

「この森はね、別名『トリティの森』っていうの。ほら、トリティが沢山住んでいるでしょ」

 見渡してみると、木々の間に何匹かのトリティが見える。

「それでね、トリティは『』とも呼ばれている」

 今なら、なんだかその意味が分かるような気がした。


 初日にこの森を通った時にも沢山のトリティを見かけた。

 それにシリカは毎日この森に来たがっている。シリカの場合、新芽の水やりという理由もあるだろうが、それを行うべく何かの必然性がこの森には秘められているような気がした。

 それをネフィーの言葉が裏付ける。


「今までの話は全部、生物学の授業で聞いた話なの。でも、トリティが森でどんな行動をしているのか、実際に見たことはなくて……。さっきホクト君が言ってたでしょ? シリカちゃんが毎日ミモリの森に通っているって。それを聞いて、シリカちゃんの様子を見たくなっちゃって……」

 遠慮気味にトリティについての興味を語るネフィーは、とても可愛いかった。

 それにしても、彼女がミモリの森に行きたがる理由が学問的興味だったとは驚きだ。アンフィはちょっと天然っぽいところがあるけど、ネフィーはなかなかしっかりした女の子なのかもしれない。


「生物学って、もしかしてジンク先生?」

「えっ!? ホクト君、ジンク先生を知ってるの?」

 どうやらネフィーもジンク先生のことを知っているようだ。きっと彼女が受講した生物学は、ジンク先生の授業なのだろう。

「ああ、僕の担任の先生なんだ。今日から新人案内を受けてる」

「すごい偶然! 良かったね、担任がジンク先生で。うらやましいわ」

「今日は先生からいろいろな話を聞いたんだ……」

 薄暗い森の中も、こうしてネフィーと話をしていると心細さは感じない。できれば明日もネフィーにも来てもらいたい。僕はそう感じていた。



「まあ、こんなところがあるなんて!」

 ネフィーが突然立ち止まる。

 いつの間にか僕達は森を抜けていた。話に夢中になっていて、ネフィーが立ち止まるまで気が付かなかった。

 目の前には一面に青い花畑が広がっている。今日も夕陽が花畑を照らし、花は紫色に輝いていた。

「綺麗……」

 ネフィーはすっかり景色に見とれている。シリカが彼女の手をすり抜けて水を汲みに行ったのも気付いていないようだ。僕はネフィーの隣に立ち、一緒に夕陽に染まる花畑を眺めることにした。


「こんな素敵な景色を見たら、このしようなんて気は起きないのにね……」


 ネフィーがポツリとつぶやく。

 えっ、開発って……? 

 そんな話が持ち上がっているのだろうか。僕はびっくりしてネフィーに聞いてみた。


「ここを開発しようという話があるの?」

 この場所は自分が誕生した場所だ。それが無くなってしまうのは嫌だ。

「昔の話よ。これもジンク先生に聞いた話なんだけど、数十年前にそういう話があったらしいの」


 なんだ、昔の話だったのか……。

 ほっと胸をなでおろす。


「市と契約した工事業者が、森の木々の伐採を始めようとした。すると、森の中からぞろぞろとトリティが集まってきて、工事を阻止したらしいの。その数は数千匹と言われているわ」

 数千匹!?

 森の中から続々と集まってくるトリティ。そんな光景を僕は想像してしまう。一匹なら可愛いトリティだが、数千匹も集まるとちょっと恐い。


「それ以来、トリティは『ミモリの森の番人』と呼ばれている」

 そう言いながらネフィーは花畑に目を向けた。夕陽は高度を下げてさらに赤みを増し、花を紫色に輝かせる。

 花畑を見つめるネフィー。ショートの金髪がオレンジ色に輝き、静かな風に揺れていた。そんな彼女の横顔を見た瞬間、何か胸が締め付けられるような感覚に襲われる。


 なんだろう、この苦しい気持ちは……?


「そうだ、シリカちゃんは?」

 不意にネフィーが振り向いたので、目が合ってしまう。

「あっ……」

 締め付けられた胸が、ぽっと温かくなった。

「あっちの方に行ってるんじゃないかな……」

 妙に照れくさくなり、ネフィーから目をそらせて小川の方を指差す。

「じゃあ、追いかけなきゃ。早く、ホクト君」

 ネフィーは小川に向かって走り出した。

「ちょ、ちょっと……」

 慌てて僕は、後を追いかけた。



 新芽のところに着くと、ちょうどシリカが小川から水を汲んで来たところだった。そして昨日と同じように水をかける。

 んん? 何だか緑色が大きくなっているような気がするけど……。

 ネフィーと一緒に近くに寄ってみると、双葉は大きくなり、その間から小さな葉が顔を出していた。


「まあ、これってじゃない!?」


 ネフィーが驚きの声を上げる。

 この芽はミモリの芽っていうのか? もしかして花畑の青い花の芽……とか?


「この芽がそうなの?」

「ええ、きっとそうよ。私も実際に見るのは初めてなんだけど、授業で見た写真とそっくりなの」

 ネフィーがそう言うのだから、その通りなのだろう。

「ミモリの芽って滅多に見れないのよ。だって、ものすごく成長が早いんだから。なんでも一週間くらいで青い花が咲いちゃうって先生は言ってたわ」

「一週間で!?」


 道理で、シリカが水を撒いてからすぐに芽が出てきたわけだ。

 ということは、シリカが種を植えたタイミングは僕が誕生したのとほぼ同じということ?

 それに一週間で花が咲くのなら、あと四日くらいで咲くことになる。


「それでね、一度咲いたら、永遠に咲き続けるらしいの」

「永遠!? それはすごい!」

「これもジンク先生の授業で聞いた話だけどね」


 僕は花畑に目を向ける。無数に咲く青い花々は夕陽を浴びて紫色に輝いていた。

 ――この花々は永遠にここで咲き続けるのか……。

 今日は驚くことばかりだ。

 一週間で育ち、そしてずっと咲き続けるミモリの花。

 夏が来て秋が去って、そして冬になってもこの青い花畑が広がっている。そんな風景を僕は想像していた。


「この芽は、あなたが育てているのね?」

 ネフィーはしゃがみ込んで優しくシリカの頭をなでる。

「きゅるるるる!」

 シリカは得意げな顔をした。

「ねえ、シリカちゃん。明日もここに来るの?」

 そんなネフィーの問いに、「きゅるるるる!」と少し強い口調でシリカが答える。

 僕にはシリカの鳴き声は全部同じに聞こえるけど、不思議なことに二人の会話は成立しているようだ。


「それは大変ね……って、そうか! そういうことなんだわ!」


 突然、ネフィーはシリカをなでる手を止めて僕を見る。

「ホクト君、わかったわ。なぜトリティがこの森を守ろうとしているのかが!」

 瞳を輝かせるネフィー。夕陽の赤い光が反射して、彼女の瞳はさらに輝きを増した。

「ミモリの花って、成長がものすごく早いって言ったよね。つまり、それは最初の水やりが肝心ってことなの。日照りが続く季節は、発芽しても成長せずに枯れてしまうことがあるって先生は言ってた。だから、ミモリの花が増えるのは雨季だけという説もあるの」

 そしてネフィーは興奮気味にシリカを見る。

「でも実際は違った。シリカちゃんのように、トリティが水を撒いていたのよ」

 それは大発見と言わんばかりに。


「こんなに苦労をして咲かせた花だから、トリティはこの花畑を守ろうとする。んだわ……」


 ネフィーの発見を祝福するかのように、夕陽は森のすぐ上で燃えるような赤色を放っていた。彼女はシリカを抱いて立ち上がる。

「ホクト君、ありがとう。こんな素敵なところに連れて来てくれて!」

 ネフィーの興奮はまだ収まらないようだ。そんな瞳で見つめられて、僕はなんだか照れてしまう。

「いや、お礼はシリカに言ってくれよ。それより僕の方こそお礼を言わなくちゃ。わざわざこんなところまで付き合ってもらったんだから」

「お礼を言うのはこっちよ。これは大発見だわ。早速ジンク先生にレポートを出さなくちゃ。生物学のテストでいい点を取れたら、週末にご馳走してあげるわね」

 ご馳走といえば、そもそもネフィーと一緒に居るのはクレープ屋に行くためだったんじゃないか。そのことを、ようやく思い出す。

「そうだ、これからクレープ屋を案内してもらう約束だったんだよね」

「そうね、お腹も空いたし、暗くなりそうだから急ぎましょ」

 僕達はクレープ屋を目指して、ミモリの森を駆け抜けた。



 クレープ屋に着いたのは、辺りがすっかり暗くなってからだった。

 メニューを見ると、ピザクレープとかカレークレープとか甘くない種類のクレープもあった。僕達はピザクレープを注文して空腹を満たし、ネフィーのお勧めのチョコバナナクレープを注文する。

「美味い!」

 さすがは彼女のお勧めクレープだ。

「でしょ?」

 得意げな顔でネフィーがこちらを向く。


 食事が済んでクレープ屋を出ると、二人で色々と買い物をした。

 僕の身分証のフリーパスは今日で期限が切れてしまう。欲しいものを何でも買えるのは今晩までだ。

 洋服、お菓子、そしてネフィーが欲しがっていたハンドバッグなどなど……。

 歩きながら嬉しそうにバッグを眺めるネフィー。不思議なことに、昨日アンフィに買ってあげたバッグとデザインが良く似ていた。さすがは双子だと僕は感心する。


 ネフィーのアパートまで送って行くと、部屋に電気が付いていた。

 どうやら同居のアンフィはすでに帰っているようだ。

「あの……」

 立ち止まって、僕は言葉を捜す。

 ミモリの森で、ネフィーは明日も来たいと言ってくれた。しかし、それは本心なのだろうか?

 そのことを素直に聞けずにいると――


「ねえ、ホクト君。お願いがあるんだけど……」

 ネフィーが口を開く。

「明日も一緒にミモリの森に行ってもいいかな?」


「えっ?」

 それは僕がお願いしたかったこと。

「シリカちゃんが大切にしているあの芽が、どうなっているのか見たいの。花畑でも説明したけど、あの花の芽が観察できる機会って滅多に無いのよ。あれからどれだけ成長しているのか、見てみたいじゃない?」


 あはははは。無駄な心配をして損した。

 それにしてもネフィーはなんて勉強熱心なんだ。明日も一緒にミモリの森に行けるなんて、こんなに嬉しいことはない。

「もちろん問題ないよ。一緒に行こう!」

「きゅるるるる!」

 シリカも嬉しそうに返事をした。


「ところでホクト君、五時限目の授業って何?」

「えっ、まだ決めてないけど」

 そういえば今日は四時限目が終わったところで帰ってしまったから、五時限目のことを考える機会がなかった。

「私ね、五時限目にジンク先生の生物学を受けてるの。ちょうどいいじゃない。ねえ、ホクト君も一緒に受けてみない? そしてその後で一緒にミモリの森に行きましょうよ」

 ネフィーと一緒にジンク先生の授業を受ける。それはなんて魅力的なんだ。

「うん、そうするよ」

 するとネフィーはニコリと微笑んだ。

「やった! それじゃあ、ホクト君また明日!」

「ああ、また明日」

「シリカちゃんもまたね!」

「きゅるるるる……」

 買ってあげたバッグを左手に抱き、右手を頭上で振りながら、ネフィーはアパートに消えて行った。



 シリカを抱いて僕は家路につく。

 歩きながら、今日一日の出来事を思い出していた。


 学園への初登校、ジンク先生との出会い、そしてネフィーをアンフィと勘違いして大騒動。


「ふふふ、あれはビックリしたな。でも、本当によく似てるよなぁ……」

 あの勘違いがなければ、ネフィーと明日の約束をすることはなかっただろう。

 アパートの部屋に着いた僕は、シャワーを浴びてベッドで横になる。布団の中でシリカのふかふかの毛をなでていると、眠りはすぐにやってきた。

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