45 大隊長の機転、囚われのマーキュリー

 ビアンカがヘビに驚いて大声を出したおかげで敵側に気付かれた。

「よし! これを逆手に取るぞ! 敵がここに意識を向けている間に敵前を横断、西側から『覗き魔』の丘に帰る!」

 カーツ大尉の機転で5人はすぐに自転車を押して浅い川を渡り、再び自転車に乗って田んぼのあぜ道を西に向かった。大尉の目論見通り、ざわめき始めた敵陣の何人かが東の川に向かっていた。それに逆行するようにしながら松明の数を数えた。松明の周りにいる兵の数を数え、松明の数を数えれば大まかな兵力が知れる。

「前哨陣地さえ進出させていないではないか。これなら敵の総数を測るのは容易だな」

 敵の群れの西端はちょうどグライダーの墓場の近くだった。「覗き魔」の丘の大口径グラナトヴェルファーなら射程内になるはずだ。一行は大胆にもすぐ声が届くところまで敵陣に肉薄し、身を伏せた。

「でもこの様子だと大尉がおっしゃったように兵の集結を待っているのかも知れませんね」

 ヤヨイは言った。

「そのようだな。だが、機甲部隊の到着が遅くなると補給の問題が出て来る。この辺りの平地に補給品を投下してもらう予定だったが、敵に居座られるといささか面倒だな。敵の布陣によっては敵の背後になる」

 騎馬隊の姿は見えない。敵のほぼすべてが歩兵で構成されているように見えた。

「あれは50ミリ砲か? 各部隊に分散しているようだな。砲を集中使用しないのは助かるな」

 10ほどの松明につき、砲1門、という割合に見えた。

 そのようにして月が沈む前に、夜が明け染める前に偵察行を終えて「覗き魔」の丘に立ち寄った。

「現在のところ敵の総数は3000から4000、砲は10門から15といったところだな」

 丘の頂上、掩体壕の中のウェーゲナー中尉に敵情を説明しながら、大尉は広げた地図に見てきた敵の配置を鉛筆で書き込み、その場で「渡り鳥」に連絡、報告した。

「行動が早いな、大尉。アルムにも1万弱、一個師団ほど来ているらしい。強固な陣地を作られると面倒だがな。少し来るのが早かったようだが、これも当初からの想定内だ。もう少し北の第二軍が派手に暴れてくれると助かったのだがな。

 機甲部隊からの報告によれば、敵の50ミリ砲は薬莢を使わず、弾体と発射装薬が別々らしい。発射速度が遅いので気づいたのだそうだ」

 グールド大佐は落ち着いていた。

「それは有難いニュースです!」

 大尉は答えた。

「とにかく、自分たちはここを守ることに専心します。

 今掴んだ敵情は夜明けにはまだ増えるかもしれません。敵が丘の我が軍の存在に気付いた時のためにこれから陣地の複合化を図りたいと思います」

「頼むぞ、エリー。ナイグンはアルムと繋がる重要拠点だ。頑張れ!」

「微力を尽くします。アウト」

 ヤヨイはふと気になって質問した。

「大尉。『陣地の複合化』とは、どういうことですか」

 カーツは地図を覗き込むヤヨイとウェーゲナー中尉に位置を指しながら説明した。

「我々の目的はあくまでもナイグンの橋の防衛にある。北からの敵にはこの丘が重要な拠点になる。橋の両岸が本丸だとすれば、この丘は出城になる。ここを奪われると橋は丸裸になってしまう」

 それは承知している。そのために「覗き魔」一個小隊を割いていた。

「そこでこの丘を守るためにもう一工夫する。東西からもう一個小隊ずつ、いや、一個分隊ほどでいい。遊撃部隊を作って丘に寄ろうとする敵を牽制する」

「具体的には?」

 ウェーゲナー中尉が訊いた。

「うん。見ての通り、この丘の周囲は田んぼと平原だ。我々が陣地を構築するに寄る辺となる山や林は何もない。何も無いから降下地点に選んだのだが、今はそれが我々に不利な要素になっている。そこで、」

 大尉は丘の北の東西辺りに指で交互に円を描いた。

「この一帯を大口径のグラナトヴェルファーと機銃一門ずつ持った分隊に自由に遊弋させるのだ。一発撃ったら移動して、また撃つ。それをしつこく繰り返す。その移動指揮をこの丘で行う。中尉、キミが指揮官となって二つの遊撃部隊を動かし、敵をしてこの丘に執着させないようにするのだ。この丘を敵の50ミリ砲の射程内に入れさせない、近づけない。作戦が有効なようなら、遊撃部隊の数を増やしてみよう。

 これは言わば、『嫌がらせ』ともいうべき作戦だな。

 我々の任務は敵の殲滅ではない。あくまでも機甲部隊到着までの時間を稼ぐことだ」

 ウェーゲナー中尉は思った。「覗き魔」が「嫌がらせ」かよ、と。

 でも、ここでただじっとしているよりは、面白そうだ。

 東に昇る曙光と共に橋を渡って帰ってゆく5台の自転車を見送りながら、ウェーゲナー中尉は丘の上で一人、ほくそ笑んだ。

 


 


 同じころ。そのナイグン橋の丘の南。丘から望めるほどの近くの市街の外れ。

 リヨンはナイグン西岸の南にある一室に監禁されていた。既に戒めは解かれていたが、外から施錠された部屋の外には武装した兵がいることは彼らが持ってきてくれる食事の時に気が付いていた。

 持ち物は全て奪われた。銃も吹き矢も、そして通信機も。返す返すも通信機を破壊しなかったことが悔やまれるが、後の祭りだ。

 彼にできることはもう、死ぬことぐらいだった。

 万が一の時のために、奥歯の中に毒薬入りの小さなカプセルを組み込んでいた。吹き矢に使ったのと同じ、カプセルの中の神経毒の量は優に彼一人の致死量を上回る。だがまだそれを使うのは速いと思った。彼はまだ一切何も喋っていないし、死ぬのはいつでもできる。

 拷問を受けて殴られた頬や腕や腹の痛みはまだ残っていた。

 痛む腕を擦っていると、ふいにドアが開いて右手の無い女が入ってきた。

「目が覚めたか」

 帝国語で言った。

 ヤヨイから聞いていた、ミカサを強奪しようとしたチナの女指揮官であろうと見当をつけた。替え玉の首を特使に持たせるぐらいだ。よほどの高官であるか、この地方の豪族の血縁者なのか。

「お前たちは外で待っていろ」

 彼女は兵たちを下がらせ、たった一人でリヨンの座っているテーブルの向かいに着いた。

「痛むか?」

 と、彼女は言った。

 歳は三十半ばほどか。長い黒髪を緩やかにまとめ、肩から前に垂らしていた。紫のチナ服に黒いベルトを帝国陸軍兵のように交叉して身に着けていた。

 黒い瞳を持った目は異様に細かった。が、その細さがアルカイックな魅力を彼女に加えていた。

 もちろん、リヨンはなにも答えなかった。黙ったまま、そのミン・レイと名乗る女を凝視していた。

「驚異的なほどの意志の硬さだな。訓練を受けた者なのだろうな。だが、よい。お前が喋らずとも、必要な情報はあの機械が全部教えてくれた。お前たちの目的はアルムまでの攻略にある。空から舞い降りた部隊が先に橋を占拠し、アルムまでの道を装甲部隊が進出する。

 だが、そうは簡単には行かん」

 ミン・レイは言った。

「わが軍はお前たちの装甲部隊の先鋒を上回る規模を持った軍をアイホーに送った。火力も数倍備えている。これを抜くのは不可能だし、仮にできたとしてもひと月は掛かろう。それまでにお前たちの装甲部隊は半減し、あのナイグンの橋にいる兵たちとアルムの兵は干上がってしまうだろう。

 残念だったな」

 そこでリヨンは初めて口を開いた。

「何故、それを私に言うのだ」

 ミン・レイはフッと笑い、左手で胸のポケットから革製の小さな煙草入れを出し、テーブルに置いて細身の葉巻を一本取り出した。それを咥えてテーブルの縁でマッチを擦り、プカプカと火をつけた。その葉巻は奇しくも今ナイグン橋を占拠している帝国の空挺部隊の一員であるリーズル愛用の葉巻と同じものだった。

 そして胸いっぱいに煙を吸い込んだレイは、リヨンの顔にまともに煙を吹きつけた。煙たさに、思わず顔を顰めた。

「憎み合い、命のやり取りをする以外に、我々にはもっと生産的な付き合いができるはずだ」

 彼女は言った。

「生産的な付き合いだと?」

「取引をしようではないか、兄弟」

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