52 久々のバーベキューと「異次元からの声」 そして、爆弾
11月19日、午前10時。
アイホーの川を挟んで散発的に撃ち合っていた砲声が止んだ。
やがて川の東岸に一門の砲が前進し、たった一発だけ砲弾を発射してすぐに後方に下がった。
砲弾は高い弾道で川を越え、敵の陣地の真上に到達した。空中でその後ろが小さくポン、と弾け、白い小さな落下傘の花を開かせた。
ふんわりと地に舞い降りた砲弾は敵陣で待っていた兵たちに確保され、それからしばし戦場に静けさが訪れた。鳥たちも川に舞い戻り再び魚を獲りはじめた。
2時間後。
晩秋の太陽が真上に来た。
チナの陣地から白旗を掲げた兵が一人現れて川の中を歩いてきた。
その若いチナ兵は見た目の若々しさに比べ大人びて落ち着いていた。対岸に渡り、帝国側の歩兵部隊陣地までやってくると、彼は大声で、帝国語でこう言った。
「貴軍の停戦条件を、全て受諾する!」
覚えたてのようだが朴訥な帝国語。素朴な誠実が感じ取れた。
「だが、アルムのみは王党軍の管轄であるため、時間がかかる! それを貴軍が了承するなら、交渉の場に着く!」
最前線の最上級将官はフロックス少将だった。彼は陣営地の柵越しにその若いチナ兵と向かい合った。
「了解した。追って交渉場所と時間を伝えると貴軍の指揮官に伝えられよ!」
若いチナ兵はコク、とひとつ頷くと、再び川を渡って西に帰って行った。
そのころ。
はるか西のナイグンでは。
敵を攪乱して丘に接近させないための遊撃部隊は、東西それぞれ3個分隊ずつに増えていた。
敵もなかなか考えているらしく、平原にわずかずつ前哨を繰り出し、その中に野砲も紛れ込ませ、「学者」たちの遊撃を阻止しようと積極的に蠢動するようになってきた。
「『鍛冶屋』の西800に伏兵。『肉屋』はこれを背後から攻撃せよ。距離約2000、位置『肉屋』の現在地から見て2時から3時方向!」
「『肉屋』了解。これより攻撃する!」
「西」中隊の「肉屋」分隊が「東」中隊の「鍛冶屋」に迫る敵兵を側面から攻撃するというような協同作戦まで行うようになっていた。西から飛来した擲弾が背後で炸裂した敵兵は驚いて自陣に逃げ帰った。
敵の砲が進出してきたのが判明すると全分隊のグラナトヴェルファーが一斉に多方向からこれを狙い撃ちした。この方法ですでに敵の野砲を3門も破壊していた。
だが、これは戦争だ。
もちろん、犠牲もあった。
作戦成功の連続に驕りと慢心が生じていたのだろう。敵の本陣に接近し過ぎた「詐欺師」の分隊が砲撃を受け、1名戦死、3名負傷。小隊長のゲアハルト少尉も脚に傷を負った。
ちょうど後方にいたヤヨイたち「マルス」はすぐに救援に駆けつけた。なんとか敵の野砲の弾着距離外まで負傷者を救出することができた。
「ちくしょう! しくじっちまった!」
「詐欺師」のゲアハルト少尉は砲弾の破片を腿に食い込ませ、苦痛に顔を歪ませた。
「ねえ、しっかり!」
「クラウスは? ギュンターは?」
「一人は助かる。でももう一人は、残念だけど・・・」
ヤヨイは、部下の安否を心配しつつ腕の中で苦しむ同僚指揮官の問いかけに、無意識のうちに語尾を濁していた。任務の失敗と部下を失ってしまった悔しさに目に涙を浮かべるゲアハルト少尉を、思わずその胸に抱きしめていた。
すぐに「覗き魔」から撤退命令が出た。
撤収を掩護するために「覗き魔」たちは丘の上から擲弾を乱射した。一キロ以内にまで迫られた敵影には水平発射でその威力を見せつけ、なんとか味方の撤退に合わせて肉薄しようとする勢力を撃退することに成功した。
これまで約50程度の敵を倒したが、こちらも降下してからの死傷は5名になった。元々の数が少なく補給がない分、明らかにこちら側に不利だった。敵は日一日とその数を増し、わずかずつではあるが丘に肉薄してきたように思えた。
「いかんな。だが、かと言って遊撃を止めれば敵は勢いづいてより接近してくる。弾薬の消費も予定より早い。明日からは少し擲弾を節約して小銃の射程まで接近攻撃を図るか。だがそうすると損害も、死傷者も増えるだろうな。とにかく、機甲部隊到着までなんとか持たせるしかない・・・」
小隊長たちを集め、常に前向きだったカーツ大尉はいつになく頭を悩ませた。
11月20日。早朝。
ヤヨイたちがここナイグンに降下してから6日目の朝を迎えた。
その日、遊撃は休みになった。
敵もはるかグライダーの墓場の彼方にまで後退し、前日に4名が死傷した戦場にヒバリたちが舞い戻って餌を食んでいた。
昨夜遅く停戦命令が出た。
東の彼方から、6日ぶりに飛行船のエンジン音が聞こえてきた。
敵陣は最初に「覗き魔」のウェーゲナー中尉が発見した辺りまで大きく後退していた。
「前線の補給のため飛行船を派遣する。不慮の事故を防ぐため、貴軍の砲兵隊を着陸予定地から4キロ後退させて欲しい。万が一発砲があった場合、それが事故であってもわが軍は停戦協定違反とみなし、報復のため貴国の戦闘員非戦闘員とを問わず、必要とあらば貴軍の全ての都市部を無差別に爆撃する用意がある」
停戦協定を定めるに際し、帝国側からチナ側にそのような言明がなされていたことを後になってから知った。
そして、あの地を圧するような銀色の巨体が現れた。
飛行船はこの数日間ヤヨイたちが戦闘を繰り広げていた田んぼと野原のど真ん中に降下を始めた。風は微風だったが完全に着陸はしないので、停船地点をニュートラルに保つため、船は風上に向けて回頭しさらに高度を落とした。
そして高度10メートルほどで船体下部の居住区の底がぱっと開き、ロープに吊るされた多数のコンテナが地上に下ろされ始めた。「西」中隊の半数およそ100名ほどがこのコンテナの輸送作業に従事し、残りは「東」中隊の兵たちと共に万が一の突発的な異変に備え、警備に当たった。
東と西、そして「覗き魔」の丘に運び込まれたのは最初の10日分を上回る半月分の食料弾薬、そして各小隊にさらに2門ずつの大型擲弾筒と機銃だった。
ナイグン橋を守る「学者」大隊の小銃以外の火力は、50門の据え付け式大型グラナトヴェルファー(バズーカ仕様)と同じく50丁の7.7ミリ機銃となった。たった400名弱の歩兵大隊としては「学者」たちは強大な火力を備えるに至った。
全ての配達品を下ろした飛行船は、引き換えに4名の負傷兵と1名の兵の遺体を吊り上げ、再び東に去っていった。
その作業を警備しつつ見守っていた兵たちの中には、その心中を複雑にしていた者もいた。
もしかして今怪我を負って搬送されていった兵たちの方が幸せだったのではないだろうか、と。
橋を守るこの「学者」大隊の停戦後を悲観してそんな思いを持った兵は少なからずいた。兵たちの顔を見ていたヤヨイには、それが多少なりともわかったのだ。
と・・・。
『こんな時こそ指揮官たるものの腕の見せ所だぞ。肉でも焼いて兵にふるまえ!』
は?
「ねえ、フォルカー。あなた今何か言った?」
隣で銃を立てて輸送作業を見守っていたハイネマン一等兵に訊いた。
「え、何にも言ってないスよ。小隊長のソラミミじゃないスか?」
思えばそれは「声」ではなかったような気がする。イメージが言葉に変わった、というのが一番しっくりきた。
「・・・そお」
と、ヤヨイは言った。
—Schutz schnrll! MARS—
食料品コンテナには12個の各小隊別のものがあった。それを含めたコンテナを拠点に運び込み、早く開封のこと、と書いてあるその「マルス用」と書かれたひと箱を開けた。
中には30人分の新鮮な肉とソーセージが入っていた。
いつも不味い戦闘糧食ばかりだった兵たちに、大きな歓声が上がったのはもちろんだった。
「ウッヒョー!」
「わーいっ!」
「さ。グリルだ、グリル!」
その晩。
周辺の廃墟から焼け残った家屋の木材を掻き集めて5つの焚火が起こされ、あの降下訓練所の最後の夜以来になる、香ばしい肉の焼ける香りが立ち上った。降下時に一人が行方不明となり、3名が負傷して後送され、そして1人が戦死した今、残されて任務に当たる兵たちには何よりの心のごちそうとなった。
兵たちの上げる歓声を聞き、橋の向こうと北西の丘の上にあがる焚火と煙を眺めながら、ヤヨイは先ほどの不思議なイメージを反芻していた。
あの声は、なんだったのだろう。何故新鮮な肉が配達されることを知っていたのだろう、と。
「ヴァインライヒ少尉、ちょっといいか?」
物思いに耽っているとカーツ大尉に呼ばれた。
ヤヨイと大尉は、拠点を出て橋に向かう通りを横切った。民家の横を抜け、同じく焚火を囲んで肉を焼く「でぶ」小隊の輪の傍を通り、橋のたもとの土手の下がったところまで来た。焚火を囲んでいたオットー少尉が大尉に気付いて追って来た。
そして、土手の上に身を屈めると橋の下を窺った。ヤヨイもついて来たオットー少尉も大尉に倣い身を伏せた。
「あれを見ろ。わかるか? 向こう岸の灯りを背にするとシルエットになっているだろう」
見れば一直線のはずの橋の下が一カ所だけ大きく瘤になっていた。
「先ほど貴官らがコンテナを運び込んでいるとき、機甲部隊司令部から通信が入ったのだ」
「何ですか、あれ」
オットー少尉が尋ねた。
「オレも気が付かなかったのだが、爆薬の可能性がある、とのことだった」
カーツ大尉は答えた。
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