29 世界の覇者「帝国」の呆れた内実と、皇帝の「貧乏ゆすり」
第二軍のクンカー攻略着手の一報が電信で帝都の統合参謀本部に届き、その上の巨大なエンタシスの奥のドームの中では元老院議員たちによる討議が行われていた。
時に帝国は宣戦布告をし、いくさに突入していた。
元老院は帝国最高の立法機関であり、司法機関も兼ね、統合参謀本部の上位に位置することから、交戦中の帝国皇帝インペラトール最高司令官の補佐機関としての役割も担う。
チナ王国と交戦中の今、当然議題に上るのは戦争に関する喫緊の議題であるべきはずだった。
しかるに・・・。
ヤンは演壇最前列にある第一人者プリンチペスの席のやや斜め後方の自席から、演壇でふるわれる弁舌に耳を傾けつつ、父帝の足元のサンダルを見ていた。父帝の癖になっている、イライラすると発生する「貧乏ゆすり」が出ないように、と念じながら。
その日招集された元老院は、累積していた戦争に関する懸案事項を検討するはずだった。
ところが、いざ開会が宣言されるや、統合参謀本部から上がって来た西部戦線の、主に第二軍の数々の勝報、赫々(かくかく)たる戦果に一気に沸き立ち、当初の懸案事項の討議など忘れてしまったかのように、急遽東の地方から選出された議員による緊急動議を審議、討議することになってしまっていた。
「・・・であるからして、私はこの帝国の国号をこの際一考するべきと考えるのであります。
帝都の呼称である『カプトゥ・ムンディー』然りなのであります。これは『世界の首都』という意味であり、固有の精神を表現したものではないのであります。我々はその建国以来、古のローマを目指し、新しきローマたらんと日々を精進してまいりました。スブッラ、パラティーノ、カピトリーノ・・・。全て自然発生的に帝国の人々が言い慣わして来た呼び名であります。
チナ相手に挑戦するという、この帝国の一大跳躍の時、我が帝国もまた、帝国に生きる人々の心の声が望むごとく、その国号も改める必要があるのではないかと愚考する次第なのであります。
その、あるべき新しき国号とは、『新しきローマ(ナイエス・ローム)』!
これであります! 」
東の地方選出議員の発言が終わるや、議場には穏やかな拍手とざわめきが沸き起こった。
少年廷吏が発言した。
「ただいまの親愛なる議員サー・ヨハンの緊急動議に対する意見を求めるものである!」
帝国最高の立法機関である元老院には議長というものがなかった。
議事進行を担う少年廷吏や帝国皇帝の儀式で付き従うリクトルを捧げ持つ警吏たちは、毎年帝都の小学校の最上級生から選抜されて担当することになっていた。その理由は「無垢にして、無私」だからである。
議長を同僚議員から選出すれば選挙をしなければならないし、選挙をすればしたで勝ち負けが生まれ、遺恨が残る。一つの集団があれば必ず派閥が生まれるのは人間世界の常であるが、それがために元老院の中で要らぬ対立が生じるのは好ましくない。
さらに、儀式だけにもせよ皇帝を守る警吏を、例えば儀仗兵から選抜すればそれがあたかも特別な職であり誰かの意思によって為された人選であるかのような猜疑を元老院議員たちに生む。儀式という市民たちが目にする晴れがましい場だけに、リクトルという皇帝の権力を示す権票を捧げ持つ者が固定化するのを上流階級たちは避けてきたのである。
しかも、過去何人かの皇帝が在職中に暗殺されたが、二百年以上前の皇帝の一人は警吏の持つ、古代ローマ伝統の「斧に棒を束ねた」権票、「リクトル」で撲殺されたのだった。
それが皇帝の任命であればよい。ただ、いちいち議会の廷吏や儀式の時だけしか使わない警吏たちを皇帝が任命するのもホネだった。それに皇帝の背が高ければよいが、不幸にして背の低い者が皇帝になった場合、プリンチペスの姿がリクトルの中に埋もれてしまってはどうにも具合が、かっこうが悪かった。
自分の学校から元老院廷吏を出した小学校の校長ともなれば、子供たちの保護者に対して大いに鼻を高くすることが出来るし、学校の校庭に飾る歴代の校長の胸像の下に「ルディー七年度元老院廷吏ジョン何某輩出」と刻むことが出来るのだ。名誉には違いない。
議場の中で手が挙がった。
「親愛なる議員サー・エドモンド、発言を許可します」
だが、元老院の廷吏に選ばれる少年少女たちも苦労した。
学校の勉強の他に、600人はいる議員たちの顔と名前を暗記しなくてはならない。名前を間違えたら大変である。だから彼ら彼女らは毎年その学校の最も成績優秀な者が選ばれた。ヤヨイも成績は良かったが、幸か不幸か、廷吏や警吏に選ばれたことはなかった。
名を呼ばれた議員は颯爽とトーガの裾を払って登壇し、意気揚々と、述べた。
「いにしえのローマを標榜するというならば帝国語はおかしい。それならば、
『ノバ・ローマ(Nova Roma)!
ラテン語にするべきである。『パラティーノ』イタリア語の古語でパラティヌス(Palatinus)のことであり、カピトリーノはカピトリヌス(Capitolinus)である!」
この、ラテン語の「オタク」であるらしい彼の発言は、たったそれだけだった。
少年廷吏は目をぱちくりさせた。まだ小学生の子供の目にさえも、この議員たちの体たらくがあまりにもアホらしく映っていたのである。
あのさ、今、帝国は、戦争してるんだよね?
少年議長の目には明らかにそう言いたげな「影」が射していた。
ついに父帝のサンダルの踵がカカカカカ、と鳴り始めた。ヤンは首を落とし、額を抱えた。
その後、ニ三の議員が登壇し、あーでもないこーでもないとやり始め、常ならば全ての議員が発言を終えてから発言するプリンチペスの手が重々しく挙がったのを、廷吏は見つけた。
「敬愛なる第一人者の発言を許可します!」
元老院第一人者にして帝国皇帝は、その疲れた身体に鞭打って、重々しく登壇し、議場を厳しい目で見渡した。
「まだ討議の最中であるのは承知しているが、発言をお許し願いたい。また私の発言に拘わらず、この後もこの議題についての討議は続けられたい」
皇帝は厳かに話しはじめた。
「この一国の国号という大変に重要なものの討議は尊重されてしかるべきと考える。第一人者としてこの議案を提起された親愛なるサー・ヨハンにも深く感謝するものであることをまず最初に申し述べておく」
ここで皇帝は一息入れた。常日頃、息子であるヤンから口喧しく言われていることを思い出し、なるべく激高すまいと心を抑えるのに大きなエネルギーを使いつつ、言葉を継いだ。
「しかるに。
今は、戦時である!」
巨大なハンマーを打ち下ろすように、皇帝はきっぱりと、言い切った。
「今我々が討議しているこの最中にも、北の第二軍の我が将兵たちは凍えそうなほどの寒さの中で砲を撃ち、重い砲弾を込め、凍った大地を穿って塹壕を掘り、手に張り付いてしまいそうなほど冷たいライフルの銃身を握って敵と戦っているのは議員諸氏も十分にご承知のことと思う。
ここに集う議員諸氏は皆軍務経験者である。交戦中の軍隊にとって最も大切なものは士気の維持であることも敢えて言及するまでもないことと思う。その士気を鼓舞するために、軍旗がある。
最前線の兵たちは皆その軍旗を仰ぎ、軍旗の元で戦い、その軍旗を穢すまいと今この時も奮闘しているのである!
だが、議員諸君らはご承知なのであろうか。
今、この元老院で討議されているのは、いくさの最中にその崇高なる軍旗を変えようとするものだということを。
この元老院議場の外に翻る帝国旗を変えたいのならば、それがここに集う議員諸氏の総意であるならば、私は異議無く従うものである。
だが、30年前にチナとのいくさに大隊を率いて参戦し、15年前の北の野蛮人戦役にも混乱する戦線の収拾に苦労した記憶を持つ私には、いくさの最中に軍旗を変える話にはどうしても賛同できない。今、これ以上この議題の討議に加わる気持ちは、私には片鱗も、ないっ!」
途中までそこかしこでざわつきがあった議場は、もう水を打ったようにしん、と静まり返り、皇帝の声の残響だけが殷々と響いた。
ここで皇帝は一息入れた。そして鋭い目で議場全体を睨んだ。
「私、元老院第一人者は、ここに親愛なる議員諸氏に申し上げる。
今、階下の統合参謀本部では、スタッフたちが第二軍から来た情報を受けて最終決定をせんと私を待ってくれている。
戦時国債の発行や募集の検討。戦時動員の可否やその適用範囲の検討、軍から上がっている追加戦費予算の承認の可否、帝国国民の開戦後の動静の報告に対する議員諸氏との情報の共有・・・。
私は、それらも戦争指導と同じく重要だと思い、参謀本部のスタッフを待たせてまでもこの討議に参加していたのだ。
繰り返すが、私には議員諸氏の討議を妨げる意図はない。
だが、今、これ以上この国号変更問題を討議されたいならば、私は退席させていただく。
この国号の問題も重要なものである。だから、このいくさが終わって後、この議題についての討論と決議の結果を伺うこととしたい。以上である」
そう言って皇帝は演壇を降り、そのまま議場の外へ、地下の参謀本部へ降りる階段のある方へ歩み去った。
一議員であれば当然、かりに元老院の第一人者を兼ねる皇帝であっても、一度議場から退席したらもうその議題の討議には参加できない。議決への拒否権も持つやんごとなき身分の帝国皇帝であっても、退席したら拒否権行使もできないのだ。
静まり返った議場に、進行役の少年議長がこう叫んだ。
「プリンチペスが退席されました。では、プリンチペスの発言の後ではありますが、親愛なる元老院議員、サー・ヨハンの発議に他に意見のある議員の発言を求めます」
静まり返り続ける議場のどこを見渡しても、いつまで待っても、その少年廷吏の目には発言を求める挙手は上がらなかった。
結局、その日の元老院における「国号変更議案」は、以降誰一人賛成も反対意見も述べることなく、提案者の貴族議員、サー・ヨハンが議案を取り下げ、廃案となった。
皇帝の厳しい言葉に、さすがに議員たちも冷静になったのだった。
我々は、ちと、調子に乗りすぎたかもしれん、と。
議場を出れば少年廷吏たちの付き添いはなくなる。
父帝の後を追って来たヤンは、足早に階下へ急ぐ父の背中に語り掛けた。
「陛下、お召替えは?」
「いや、いい。時間が無い。参謀本部の後は十人委員会に行く。緊急議題の原案作成を指示せねばならんからな」
いささかも歩調を緩めない父に、ヤンは言った。
「ご立派であられましたよ、陛下」
フン。
父帝は鼻を鳴らした。
「いにしえのローマ、神君カエサルが堕落した元老院を見限った気持ちが、よくわかったよ。
だがな、ヤン。あのかわいい廷吏くんの目を見たかね。あの目を見て、少年のころ白い碁石を掴んで初めて議場に立った時の感動を思い出した」
海の底に国土が沈んだヤーパンの生き残りたちは、自分たちの命と共に、非常にシンプルで奥の深い戦略ゲーム、すなわち「囲碁」を帝国に持ち込んだ。その魅力はたちまちのうちに帝国中に広まり、今もその愛好者を増やし続けていた。
帝都の各小学校から選抜された少年少女たちは元老院の議場に集められ、帝国皇帝が議場を背にして親しく後ろへ投げ上げた白と黒の碁石を競って拾う。白も黒も同じ12個ずつ。白を拾ったものが議場の廷吏、黒はリクトルを捧げ持つ警吏となる。その廷吏警吏選抜の風景が、毎年の年度初めの元老院の風物詩になっていた。
「あの愚かな議員たちを蔑んでいた、あの少年の目があれば、まだ大丈夫だ。まだ帝国も捨てたものではない。そうは思わんかね、ヤン。もしかすると、あの議長役の少年が未来のプリンチペスになるかもしれんな!」
地下へ降りる階段を下りながら、父帝は言った。
「ヤン。私はお前から褒めてもらえるだけで、充分だよ」
11月13日。
第二軍のクンカー攻略開始と敵主力との会敵、交戦開始の報を受け、中央軍である第一軍と南方軍第三軍が揃って西に向かって進撃を開始した。
「連隊ーィ、前へっ!」
第二軍の時と同じく、両軍は連隊単位で前進を開始した。
長距離砲はそのほとんどを第二軍に回してしまっていたため、砲が無い代わりに大口径のグラナトヴェルファーをトラックに積載して自走砲化し、前進する歩兵の援護に当てた。
すぐ目の前が山脈の麓で行き止まりになる第一軍に比べ、今次戦役主役の第三軍のほうが進撃速度が速く、予定より一日前倒しで最初の河であるアイエンの東岸に達した。目立った反撃はそれまでのところ、皆無だった。
歩兵部隊はすぐに陣営地の構築にとりかかった。
焦点である既存の橋は木造で、機甲部隊の渡河には適しなかった。予定通り、味方の援護の元、工兵隊が仮設橋を渡して機甲部隊の進撃に備えた。
その夜。
アイエン川河口の小さな街にほとんど無血で入った第三軍司令部は、これも当初の予定の通り、11月15日早朝を期して「マーケット・ガーデン作戦」の発動を決定した。
「年明けを待つまでもない。来月の初旬にはチナは降伏するだろう。今では数も少なくなったそうだが、キリスト教徒は喜ぶだろうな。なにしろクリスマスを家族一緒に迎えることが出来る」
居並ぶ幕僚たちの前で、第三軍司令官モンゴメライ大将はそう、豪語した。
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