33 空飛ぶ船

 近衛第一軍団の落下傘連隊で打ち合わせが済んだ同じころ。

 帝都の内閣府。十人委員会からオフィスに戻ったヤンは、秘書のマーサから知らせを受けた。

「閣下。さきほど統合参謀本部のコスゲン大佐から内線が入りました。至急お電話が欲しいとのことでした。」

「統合参謀本部から?」

 何か西の前線で問題があったのだろうか。

「ありがとう、マーサ。でも今夜はもう遅い。早く帰りたまえ」

 マーサがドアの向こうに消えたのを見届けて、参謀本部を呼び出した。

「ヤンだが。コスゲン大佐を。・・・ああ、わたしだ。申し訳なかった。・・・うん、・・・ん? ・・・それで?・・・。わかった。さっそく私から連絡してみよう。参謀長でいいのかね? わかった。・・・ありがとう。おやすみ、大佐」

 ふう・・・。

 電話を切って受話器を持ったまますぐに呼び出そうとフックに指を掛けた時、秘書室のドアが開いた。

 マーサが湯気の立つコーヒーの香りを運んできてくれた。

「マーサ・・・」

 ヤンは受話器を戻した。

「帰れと言ったじゃないか」

 帝国の『国務長官』は忠実で優秀な秘書を優しく叱った。

 叱られた秘書は悪びれるでもなく冬用のオシャレなブーツの足元を軽やかに運び、ヤンのデスクにカップを置いた。

「閣下、いえ、ヤン・・・」

 今日のマーサは豊かな金髪を緩やかにウェーヴさせ、その下の碧眼に憂いと潤いを湛えていた。そして、その白い頬にはうっすらと紅がさし、わずかに上気させていた。

「ヤン。わたしは、今難局におられる陛下を支える、あなたを支えたいのです。わたしでは、その任務に不都合ですか?」

「マーサ・・・」

 ヤンは立ち上がり、両手を広げた。

 マーサはデスクを回り、上司であり、長年の思い人の胸に飛び込んだ。

「お願いだから、『任務』だなんて言わないでくれ。君がそばにいてくれるだけで、どれだけぼくの負担が軽くなっているか。きっと君にはわからないだろうね」

「ヤン・・・」

 ヤンは瞳と同じく憂いに濡れた彼女の唇を盗んだ。

「ありがとう、マーサ。君が今ここにいてくれることは、ぼくにとって奇跡だ」

「奇跡じゃないわ、ヤン・・・。奇跡じゃない!」

 そう言ってマーサはやわらかなその両腕を愛しい男の首に回し、再び唇を捧げた。


 執務室を出るマーサを見送り、ヤンは交換に長距離通話をリクエストした。

「・・・ああ、遅い時間に済まない。内閣府のヤンだが、参謀長を」

 第十三軍団の司令部はこの電話を待ってくれていたようだった。少し申し訳ない気持ちがした。

「ああ、参謀長。今しがた統合参謀本部のコスゲン大佐から聞いたばかりだ。・・・うん。・・・うん。・・・なるほど。非常に興味深いね。・・・こちらは、構わないよ。一時間程度ならなんとか時間を作ろう。通訳は?・・・。そうか、それは助かる。確認だが、軍団長もご承知なのだね。・・・わかった。それでは北駅に着く時間を知らせてくれ、馬車を迎えに差し向ける。・・・わかった。それでは」

 電話を切ったヤンはオフィスの闇をじっと見つめ、やおら立ち上がると背後の窓に立った。窓の向こうにはかがり火を焚いた元老院前の広場の向こうに夜なお賑やかなスブッラの繁華街の灯りが遠く望めた。

 もし、今の電話の一件が成就すれば、北の一個軍団が節約できるかもしれない。

 いやいや。事はそんなちっぽけな話ではない。この帝国の数百年の歴史上はじめて、同盟国を持つか否かの岐路に立っているということなのだ。しかも、極めて友好的に。

 歴史が変わるかもしれない。

 まだ話は海のものとも山のものともわからない。が、この一件が成就するということは、そういうことなのだ。胸の高鳴りを抑えつつ、ヤンは思った。





 十一月十四日、深夜。

 近衛第一軍団司令部近くの第一落下傘連隊駐屯地に数十台のトラックが集まった。

 兵たちは手分けして武器弾薬食料の入ったカーキ色の専用コンテナを積み込み、大型のグラナトヴェルファーや機関銃などの重火器を積み込み、最後にはパラシュートをつけた自分たちを積み込んで駐屯地を出発した。

 トラックは長い車列を作って帝都の南西の街道を走った。

 だが、その車列は飛行機の操縦を学んだり偵察機を飛ばすために行った飛行場とは違う道を、さらに遠くまで走った。

「いったいどこまで行くんだろう。前線までかな」

 幌をかけたトラックの荷台の暗闇の中でヴォルフガングが灰色の瞳を煌めかせた。

「さあね」

 通信兵のグレタは気の無さそうに応えた。看護兵のクリスティーナは神経質そうに押し黙り、フォルカーは軽いイビキをかいていた。曹長のグレイはそんな兵たちを冷ややかに一瞥した。

 トラックは舗装していない道路を走っていたが、やがて道から外れたのか大きく揺れるようになった。ほとんどの者がそれで眠気を吹き飛ばされたが、フォルカーだけは首をぐりんぐりんと揺らせ、隣のヴォルフガングの顔にヘルメットの頭をぶつけた。

「痛ってーな、バカ野郎!」

 それでもフォルカーは起きなかった。肝が据わっているのか、やっぱり、バカなのか。

 そろそろのはず。

 ヤヨイはそんな兵たちを横目で見ながら運転台との間の小窓を開いた。助手席にはカーツ大尉が座っていた。小窓が開いたのに気づいた大尉が、言った。

「見えたぞ。あそこだ」

 彼は月明りに浮かび上がるだだっ広い草原の彼方の小さい灯りを指さした。

 トラックの列はその小さい灯りを頼りに近づき、間近に来るとその明かりを囲むように灯りにヘッドライトを向けるようにして散開し、小さな灯りはやがて目立たなくなった。

 数十台のトラックのヘッドライトに照らされた、月明りの草原のそこに、数十機の飛行機があった。

「ウァーオ!」

 幌の端に身を乗り出してそれを見たフリッツが声を上げた。

 トラックが、停まった。

「さあ、みんな降りるんだ。武器弾薬を下ろすぞ!」

 グレイの命令で皆トラックの荷台から次々と草原に降りた。

 トラックの到着を待っていたかのように、その飛行機たちをさらに数基の大型のライトが照らし出した。広大な草原に翼を並べた飛行機の群れは、壮観の一語に尽きた。飛行機は皆灰色に統一されていて翼の下と尾翼の下の脚で草原に座っていた。

「小隊、整列!」

 トラックから武器弾薬を下ろし終わった兵たちは一列に並んだ。だが、まだどの飛行機に乗るのかわからない。

「あの、小隊長。滑走路はどこにあるんですか? それと、この飛行機、プロペラが無いんですが・・・」

 フリッツ・ローゼン上等兵はその怜悧そうな、才気の迸る蒼い眼に不安を浮かべていた。

「今にわかるわ」

 とだけ、ヤヨイは言った。そして満月の空の東に顔を上げた。

「もうすぐ、来るよ」

 と。

 ヤヨイの見上げている東の空の彼方から、ごおーん、という低い唸りが聞こえてきた。

「なんだ、あれ・・・」

 それらは月明りを反射しながら近づいて来た。やがてその辺りを圧するほどの騒音を響かせながら、その巨体を次第に降下させ、数十機の飛行機と兵たちを圧し潰すようにして夜空を覆った。

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