35 「マーキュリー」の暗躍と機甲部隊の初会敵

 リヨンは夜通し自転車を漕いだ。

 月明りのあるのは有難かった。そのおかげで発見され不審を抱かれる危険もあったが、急がねばならなかった。もう15日。「マーケット・ガーデン」作戦が発動される日だ。なんとしてもナイグンまでは辿り着きたい。

 当初の計画ではアルムまで行くはずだったが、敵の予想以上の警戒態勢がそれを不可能にしていた。ここまで来る途中、何度も早馬とすれ違い、その度に道を譲った。

 中央からの急使ではないか。

 それに二度も検問があった。一つは道を大きく外れて自転車を押して山を越えてやり過ごした。だが、辺り一面の水田の中にあった二つ目のそれは、回避できなかった。しかももう夕時。普通の市井の人々が遠出する時刻ではなかった。

「こんな時間にどこへ行く、爺さん」

 リヨンはさらに老けた扮装をしていた。

 用意していた伝説、つまりナイグンに住んでいる息子夫婦に初孫が生まれたから顔を見に行くジジイ、というストーリーを話すのは面倒だった。検問の兵は正規軍ではなく、この辺りの豪族の手下らしかった。三角傘を被り綿を入れた合わせの筒袖に黒いズボン。軍帯らしい革帯をして滑とう銃を持っていたが火薬の匂いがしなかった。弾は装填していないと判断した。

「わしかね。ちょっとナイグンの橋を見に行くのだ」

「はあ? 橋?」

 おもむろに懐から銃身を短くして銃床を外した特製のライフルを取り出し、一発ずつ兵たちの脳天と胸とにお見舞いした。

「悪かったな、兄弟」

 リヨンはまだ硝煙のあがる銃を懐に収めると再び自転車を漕いだ。

 全速力で漕いでいるうちに夜が明け染めた。

 なだらかな坂道を超えたところで橋が見えた。

 が、その手前にやはり第三の検問があった。

 やれやれ・・・。

 リヨンは速度を落とし、上がった息を整えつつ年寄りらしくゆっくりとペダルを漕ぎ始めた。だが検問が近づくにつれ、その兵の多さに戸惑いを感じた。半個小隊十名以上はいる。細い石ころだらけの街道の両側にある低い灌木の手前に柵を施し、柵の前には盾を並べ、道の上にバリケード代わりの台車を置いて封鎖していた。リヨンが気づいた以上、彼らにもリヨンの姿は見えている。今から引き返すのもわき道にそれるのも不自然だ。

 ここは「伝説」を使って無難に通過する一手だと判断した。

「止まれ!」

 兵たちの手にしているのが旧式銃ではなく帝国の標準装備であるライフルであることがリヨンをさらに緊張させた。

「あら。また兵隊さんかね。今日は兵隊さんによく会う日だなや」

 暢気そうに自転車を止め、降りて押しながら検問に近づいた。

「じいさん。朝早くからどこに行くんだね」

 二人の兵のうち若い方が尋ねた。軍服は今までの兵と同じだが、立ち振る舞いはキビキビしている。甘くは無さそうに思った。

「わしかね」

 大きなため息をついて袖で汗を拭きながら、あくまでも暢気なジジイに徹した。

「ナイグンの息子夫婦ンとこに三人目のマゴが生まれただよ。そんで、祝いに行くところだあ・・・」

「ほう。こんなに朝早くからかね」

 もう片方が言った。一番年嵩らしいこの兵が、どうやら指揮官らしいと踏んだ。

「後ろに背負ってるのはなんだ?」

 最初に声をかけてきた方が訊いて来た。

「ああ、これかね」

 リヨンは大儀そうにゆっくりと背負ったズダ袋を下ろし、さも面倒そうに口を縛っていた紐を解いた。解きながら、言った。

「餅だ。今年の新米で搗いたんだ。今年は実りが良かったんでなあ。たくさん搗き過ぎてそれで息子の家の隣近所にも配るべえと持って来た。あんたらも、食うけ?」

 この辺りの方言はあらかじめ調べてあった。まず、露見することはなかろう。だが、問題は餅の下にある無線機だった。それに気づかれれば、万事休すだ。

 リヨンは一つひとつしわくちゃの紙に包まれたそれを一つ二つ取って兵に示した。

 兵のノリはあまり良くなかった。汚らしそうな餅など興味ないと言わんばかりだった。

「ジイサン、知らんのか。戦争だぞ。帝国が攻めてきているのだぞ。この先には誰も一歩も入れるなと言われている。諦めて帰るんだな。孫にはいくさが終わればいつでも会える」

 無理に通ることもない。ここは言われた通りにするのが上策だと思った。

「ここまで来たのによ。重い餅担いでよ。そんで、帰れっていうだか」

 少しは抵抗しなければ、逆に怪しまれると思った。

「ミン様の言いつけだ。従わんとジイサンでも許さんぞ」

「あのな、若いの。年寄りは敬うもんだに。あんたにも親もあればジジババもおるだら・・・」

「つべこべ言うな。帰れと言ったら、帰れ!」

 年若の方が業を煮やして銃を向けてきた。

 ここまで粘ればいいだろう。

「わかった、わかった。・・・んじゃ、帰るよ」

 取り出した餅を再び仕舞う素振りをしつつ、

「孫のためにとせっかく搗いた餅がムダになっちまった。あんたら、ほんとうに食わんかね」

 検問の兵たちは最後まで疑わしそうな眼差しを崩さなかった。

 この兵たち、ホネがあるな。軍閥の私兵でもこれほどとは・・・。

 検問から死角になるところまで来ると、自転車を降りて道端の塚の草むらに潜んだ。もしかすると怪しんで追っ手を差し向けて来るかも知れぬと思っていた。

 一息入れて竹筒の水を飲んだ。


 作戦間際のこの偵察行に意味があるのか、リヨン自身疑っていた。だが、ヤヨイの部隊の目標がナイグンだと知ってしまったらもう、止められなかった。

 機甲部隊からの偵察の依頼を受けたウリル少将は当初難色を示した。

「今からではもう遅い。アルムはおろかナイグンすら間に合わない。冒す危険に対して割りが合わぬ。やめておけ」

 ウリル少将からは止められた。

「機甲部隊の最終目的地はアルムです。その手前のナイグンの橋まで達することが出来れば意味はあります。機甲部隊や空挺部隊が橋まで行って『渡れません』ではそれだけ時間が無駄になります。半日でも一時間でも先行して状況を通報できれば味方を利することが出来ます!」

「ヤヨイが向かうからであろう」

 図星を指されて、リヨンは黙った。

「こやつ・・・。私情を挟みおって」

「行かせて下さい、閣下!」

「キャル。お前はヤヨイが来てから愚かになったな」

 だが、リヨンの決意は変わらなかった。

 ・・・ったく。

 ウリル少将は一つ舌打ちをするとギロリとリヨンを睨んだ。

「お前を行かせるには条件がある」

 と少将は言った。

「必ず生きて帰ってこい。・・・この、大馬鹿者めが!」

「ありがとうございます、閣下!」


 竹筒に栓をし、リヨンはふっ、と自嘲した。

 遠くから馬の蹄の音が聞こえてきた。

 どれ。「愚か者」の意地を見せるとしますか。

 背嚢から細い金属製の筒を取り出し、小さな、これも金属製の小箱を開けて針を仕込んだ小さな矢を込めた。

 ギャロップが近づいて来た。筒を口に当て、その時を待った。

 リヨンのすぐそばを馬が通り過ぎた瞬間に第一矢をしゅっ、と。すぐに次の矢を装填して第二矢をいずれも兵の背中に向けて撃った。馬上の兵はウッ、と言ったまま二人とも落馬した。クィリナリスの兵器部が開発した、即効性の神経毒の威力は抜群だった。

 乗り手を喪った二頭の馬の一頭は躾が悪かったのか、そのまま走り去ってしまった。もう一頭はすぐに止まり、道端の草を食み始めた。

 背嚢を背負い、二人のチナ兵の死体を道端の草むらの中に隠し、残った一頭の背に跨った。急がねばならなかった。もうじきナイグン攻略部隊が降下してくる。それまでには橋とその北の浅瀬の状況を知らせてやらなければ。

 両脚で馬の腹を蹴り、リヨンは街道を大きく北に外れて水田の畔伝いに再び川を目指した。




 クゥーン・・・。

 ドカーンッ!

 一発の砲弾が『黒騎士』戦車大隊の最先頭を走るマークⅠ型戦車のすぐ目の前に着弾し未舗装の道路の土砂を盛大に噴き上げた。

 それでも戦車は止まらなかった。

「第一中隊! 十一時の方向、雑木林を南から迂回し、包囲攻撃せよ!」

 戦闘指揮車のバンドルー中佐の無線が飛んだ。

「一号車了解! これより包囲攻撃に移ります」

 最先頭の戦車が道から外れ、すでに水の引いた田んぼに進入し速度を上げた。一号車に続き二号車、三号車も続いて田んぼに入った。『黒騎士』戦車大隊の最精鋭、旋回砲塔を備えたマークⅠ型の5両の戦車は泥濘をものともせずに軽快に敵の陣地と思われる雑木林を包囲しつつ、その旋回砲塔を巡らせて50ミリ砲を次々に雑木林の中に叩き込んでいった。さらに続く第二小隊マークⅡ型の5両が田んぼに進入し、それぞれスピンターン、左右のキャタピラーを前後逆に駆動して超信地旋回して雑木林に向け砲列を敷いて停止し、これも50ミリ砲の一斉射撃を開始した。マークⅡ型は回転砲塔がない代わりに車内が広く、より安価に製造することができた。故に『黒騎士』戦車大隊30両の戦車の内20両はこの型が占めていた。

 数門の50ミリ砲の陣地に過ぎなかった敵陣地のある小さな雑木林は、移動しながら回り込んで来る戦車と前方から一斉砲撃を加えて来る戦車たちに包囲され連続爆発の焦土と化し、たちまちに沈黙した。バンドルーは林の中から両手を挙げたチナ兵達がぞろぞろと出てきたのを双眼鏡で確認した。

「第一中隊、攻撃中止。残敵処理にかかれ! 第二中隊は第一中隊を追い越して構わず前進!」

「ラジャー! 」

 第一中隊の戦車に続いていた数両のトラックが街道の脇に停止し、すぐに歩兵部隊が降りて来て散開し、降伏した敵兵の処理と敵陣地の検分に入った。

「ハインツ! 後を頼むぞ!」

 戦闘指揮車のバンドルー中佐はハッチから半身を出すと、マークⅡ型の先頭車両を見やりながらヘッドセットに怒鳴った。その第二小隊の一両のハッチが開き、中から赤いベレー帽の中尉が顔を出して通り過ぎて行くバンドルーに敬礼した。

「了解です大隊長殿! ここが終わったらすぐに追いかけますんで美味そうな獲物は残しておいてくださいね!」

 レシーバーに中隊指揮官の軽口が聞こえてきた。

「ハハハ、バカ野郎! 選り好みしやがって!」

 バンドルーは軽く答礼すると先行する第二中隊の後を追った。そのすぐ後ろに第三中隊のマークⅡ型が轟音を立てて続く。そして機械化歩兵のトラックがそれに続いた。

 このようにして第三軍の機甲部隊はいささかもスピードを落とすことなく道を急いだ。だがこの先のゾマまではまだ60キロはある。第三軍全軍がやってきただけで敵が退却していった第一の川アイエンのようには行かないだろう。

 そろそろ、空挺部隊の連中が降下を始めるころだ。

 田園を突っ切る街道のさらに遥か西の空を望み、悪路に揺れる戦闘指揮車の握手を握りしめながら、バンドルーは覚悟を新たにしていた。そこが最初の、腕の見せ所だと。

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