39 ミン一族の思惑

 先に海軍の海兵隊が占領した、南に突き出た半島の付け根の街ゾマとナイグンとを結ぶ直線を正三角形の一辺だとすれば、もう一辺の先がこの一帯を治めるミン一族の館のある村落だった。

 村落というよりは、領主ミンの館、もしくは城と呼ぶのが相応しい拠点を中心とした城下町と言えるほどの規模があった。

 ミン一族と彼らに連なる主だった血縁親族たちや、ゾマからナイグンに至る広大な領地を治める代官たちや役人たちの家や出張所も備えた、一つの小さな王国の観さえあった。

 その城は小高い山の上に建ち天守閣すら持っていた。何重もの廓と深い空堀水堀とに守られ、天守や各郭の建物を葺く瓦がキラキラと輝き、晴天のチンメイ山を背景にここを訪れる者にその威容を誇っていた。

 先に王国の首都ピングーに軍勢を率いて出向いていた領主のミンは、その軍勢の7割をすでにナイグンやアイホー、ゾマ防衛に送り出しており、東から迫りくる帝国軍に対して防備を固めつつあった。

 居城の最も広い「三の廓」の中に建てられた御殿。そこに一族の総帥であるミンの居室があった。

 ミンは領地を現した地図を見下ろし、歯噛みしていた。

 返す返すもこの半月ほどの空費が恨めしかった。

 帝国の戦艦一隻を強奪し損ねたことから、その報復はいずれあるものと覚悟はしていた。だが、これほど早く、そしてスピーディーに、しかも広範囲に、全国境に渡るほどの大規模な侵攻をかけてくるとは。

 もしかすると、その総兵力は20万はあるのではないか。少なくとも15万は下らないだろう。

 帝国は、本気だ。本気でこのチナを潰しにかかってきている。

 まず一日に南に突き出た半島の先とその南のハイナン諸島が突如、奪われた。救援部隊を差し向けようと思っていたところにチナ王国最北方のドン一味の領地に帝国軍が侵攻してきた。そのために王都から召喚命令が出た。無視することもできたが、あの幼い王がドン一味の口車に乗って王党軍の大部分を北上させることだけは阻止せねばならなかった。

 北などどうでもいいし、どうなってもいい。

 大切なのは南であり、自分の、このミン一族の領地なのだ。

 ミンは知らなかったが、帝国が総力上げて計画した北方の第二軍の牽制行動は、このようなチナの豪族同士のエゴイズム丸出しの思惑によってその効果が失われたのだった。

 ミンがこの非常時に敢えて軍勢を引き連れて王都まで行ったのには訳があった。

 幼い国王と国王を口先三寸で騙して威勢を欲しいままにする大臣どもに睨みを利かせるためにはどうしても軍勢の力を背景にするよりほかなかった。だから、この肝心な時に多額の経費をさいてムダな王都への「上洛」をしたのだ。

 それから半月も経たないうちにすぐミンの領地の東の国境も侵された。帝国の最先鋒が国境にほど近いアイエン川を越え、すでにゾマに迫っているとの知らせをたった今受けたばかりだった。敵は歩兵や騎兵だけではない、チナがまだ持っていない装甲車両を中核とした高速機動部隊で攻めて来ていた。

「もし、ピングーまで軍勢を率いていなければ、この帝国の脅威に対してより早く手当てができたものを!」

 廓の向こう、眼下はるか南に広がる広大な領地を睨み、拳を固めてドンッ、と柱に八つ当たりした。

 老齢ではあったが、ミンはチナを構成する豪族中の雄だった。豪族同士のせめぎ合うなか、巧みにチナの政界を泳ぎ強かに勢力を拡大してきた。これまでは。

 それは今後もそうあり続けねばならぬ。

 これしきの事で終わらせるわけには絶対に行かないのだ。過去数百年の間に次々と帝国に取り込まれて行った東の天領や豪族たちのようには絶対にならない。

 そのような歴史は、自分の代で終わりにせねば。

 だが「ムダなピングー詣」のおかげでいいこともあった。先に王党軍に「忠誠の証」として無理やり取り上げられていた兵2万がわが手に戻って来たのだ。しかも帝国から盗んだ情報によって最新式に武装した強兵が、だ。

 これでミン一党の勢力はすでに各拠点に置いてある1万と「ピングー詣」に連れて行った3万、それに返してもらった2万とで合計6万となった。

 さて、それをどう使うか・・・。

 ミンは卓の上に広げた地図に今一度見入った。そして、閉じた扇子の先で西と南を交互に指し、思案を詰めていった。

 帝国は最初に南に、次いで東に現れた。主力は東から来るのか、はたまた根拠地を得た舟によって南から来るのか。

 ゾマも惜しいが西と南に兵力を分散するの愚は冒せない。ここはアイホーの線を堅持してゾマとその南は捨てるか・・・。

 帝国は強大で強力だ。その軍勢を撃ち滅ぼしきるのは至難であろう。

 幸いにもゾマには堅固な要塞があり、すでにそこに5000の兵を詰めさせてある。ここで敵の機甲部隊に消耗を強い、無力化できれば、あとはたとえ2倍の歩兵が侵攻して来て来ようとも持ちこたえる自信があった。ゾマを捨て石にして時間を稼ぎ、その間にアイホーの線に注力して防備を固める一手だな・・・。

 伝令ーっ!

 蹄の音がした。それも一騎ではなく複数の。

 屋敷の庭に面した戸口に立ってみると、斥候たちがぞろぞろと三の廓の御殿の庭先に入ってきて、中の一人が彼らを代表し、白州に片膝ついて報告した。

「も、申し上げますっ。帝国の部隊が、そ、空から降ってきてゾマ、アイホー、ナイグン、アルムの各街道の橋が奪われましたっ!」

「なんと・・・。空からとな!」

 さすがのミンも斥候の言葉を疑わねばならなかった。

「帝国の兵が空から舞い降りたというのか!」

「左様です、お屋形様。帝国の兵は各地点に傘のようなもので舞い降り、あっという間にその付近の一帯を制圧し、どうやら、橋を占拠するもののようであります」

 帝国が「飛行機」を飛ばして我がチナの動静を探っているのは知っていた。だがそれで多数の兵を送り込んできたというのか。

「帝国は、この城ほどもある大きな『飛ぶ船』から多数の『ヒコーキ』をばらまき、兵を送り込んできたのでございます!」

 ミンが言葉を失っているうちにさらに再び外で声が上がった。

 伝令ーっ!

 斥候は早馬を飛ばし続けて来たのか、汗まみれ泥まみれの姿のままレイに連れられて庭先に現れた。

「お屋形様に、も、申し上げますっ! ナイグンの橋を探っていた帝国の間諜らしき男を捕らえたとの報告を受け、お知らせに上がりましたっ!」

「ナイグンの、橋?」

 ミンはその斥候に問い直した。

「はい」

「して、その間諜は今どこにおるのだ」

「ナイグンの関守の一隊に。こちらに連行しますか?」

「いや、それには及ばん。今からそちが取って返しここまで連れてくるまでには2日はかかろう。それにナイグンには今帝国の兵が現れたらしい。時が惜しいのだ。

 誰かあるっ、レイを呼べ!」

 ははっ!

 間もなく、右手の無い愛娘が三の廓にやってきて庭に片膝をついた。

「レイ! ナイグンに行け。行って、かの帝国の間諜の意図と帝国の侵攻計画を聞き出せ。委細そちに任すがその結果は必ず早馬で報告せよ。それ次第では増援の兵を送る先も考えねばならぬでな。空から降って来たという帝国の兵に気を付けろ。敵の意図が明白になるまで、下手に手出しするでない」

「かしこまりました、父上!」

「では、行け!」

 ははっ!

 斥候たちとレイが行ってしまうと、ミンは再び沈思黙考した。

 アルムまで兵を下ろしたとあれば、敵の目的はチナ全土の占領にあるのは疑いない。

 さすれば・・・。

 もしかして、帝国と手を握るのもひとつの手では?

 このミンの領地を安堵できる可能性もあるのではないか?

 ミンは戦場の雄であるとともに老練な政治家でもあった。まだ周囲には絶対に口には出来ないが、彼の本音はチナ王国など実はどうでもいい。彼の本領の安堵とレイに首領の座を円滑に譲ること。あわよくば、チナの現在の幼王を廃してレイを新しい王朝の王座に据えること。それが出来れば・・・。

 そうすれば、今帝国に頑強に抵抗せずとも、大切な彼の私兵たちを損耗させずとも「濡れ手で粟」を期待することが出来るやもしれぬ・・・。我が帝国と手を握り、逆にチナ王朝に反旗を翻して帝国に恩を売る・・・。

 そうだ。そのためにはピングーに王党軍がいない方がいいかもしれぬ。

 さすれば・・・。

「誰かある!」

 ミンが声を張り上げた。すぐに手下の一人が現れた。

「今出ていったレイを追って申し伝えよ。帝国の間諜は絶対に殺すな、と」

「かしこまってございまする、お屋形様」

 手下は風のように去った。

「そうだ・・・」

 ミンは独り言ちた。

「片手でいくさをし、もう片方の手で手を握る。それが出来れば、この修羅場は切り抜けられるやもしれぬ!」

 権謀術数の限りを尽くしてチナの複雑な政界を生き抜いてきたミンは、己が皺の寄った両の掌を広げ、いつまでもそれに見入り続けた。

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