05 ヤヨイ、首実検をする

「コン・ミリーテス(戦友諸君)! どうかそのまま。会議を続けてくれたまえ」

 皇帝は、すでに慣例となっている、いにしえのローマ帝国で実質的な最初の皇帝となったユリウス・カエサルが軍団兵に呼びかける時の言葉を使った。この呼びかけが許されるのはただ一人、帝国皇帝、帝国軍最高司令官のみだった。

 帝国に生まれた子弟ならば、小学校で、リセで、一度は必ず読修させられる「ガリア戦記」と「内乱記」。人文系の苦手なヤヨイも必修であったために一度は通読した。三千年前のユリウス・カエサルのその著作は、全てではないにしても記憶の片隅に残っていた。



 そのハイライトは何といっても「ガリア戦記」の巻末の「アレシア攻防戦」の記述だ。

 ユリウス・カエサルは、数年にわたるガリア地方制覇のクライマックスを迎えていた。

 ガリア人の聖地であるアレシアの丘にガリアの雄であるヴェルチンゲトリクス率いる敵八万を追い込みこれを敵よりも少ない五万の軍勢で包囲陣を作り攻城戦に持ち込んだ。だがガリア全土から増援部隊がやってきて逆に包囲される始末。増援部隊の数、およそ26万。5万対34万。内と外に敵を迎えるという、戦史上も稀な陣形を余儀なくされて絶体絶命の危機を迎えたカエサルだった。並の司令官なら外の包囲網を一点突破で打ち破って退却を図るか、降伏か、あるいは野蛮人におめおめと虜囚の辱めを受けるくらいならと玉砕覚悟で突撃するかするだろう。

 だが、カエサルはそのどれでもなかった。

 外に対しても陣営地を強化させ、捕虜を詳細に尋問した結果、敵の総攻撃が近いことと攻撃地点を知った。そこに十分な手配りをした後、自ら馬を駆って各拠点を回り内と外、腹背に敵を迎えた配下の兵たちを激励した。

「コン・ミリーテス(戦士諸君)! 諸君らのこの数年に及ぶガリア戦役での果実を得る絶好の時が来た! 今こそ奮励し、勝って偉大なるローマとカエサルの兵の名を高らしめよ!」

 そして敵味方の全てから見えるほど高い櫓を建てさせ、そのてっぺんに登った。

 陣営地の兵たちは皆櫓の上の総司令官の深紅のマントを見上げた。

 数日間に及ぶ攻防戦は兵たちを疲労困憊の極みに落していたが、その深紅のマントが風に靡き始めるや身体の内から沸々と湧き上がる闘志を抑えきれぬかのように皆剣を取り槍を構え、口々にこう言って敵陣に殺到していった。

「みんな、我らがカエサルが見ているぞ。ローマ軍の精鋭として恥じない働きをするのだ!

 そして我らが総司令官が感謝せずにはいられぬほどの戦果を挙げようではないか! 」

 激闘数時間。最後には深紅のマント自らが増援を率いて駆けつけ、ついに外の敵は背を見せて退却してゆき、中の敵は降伏した。

 


 分厚いテキストのその部分だけは眠くならずに読み通し、それで今でも覚えていた。

「ユリウス・カエサルという人も、こんな人だったのだろうか」

 深紅のマントを揺らしながら颯爽と正面の席に向かう帝国皇帝の後姿を見ながら、ヤヨイは思った。

 軍装の皇帝陛下は、同じくトーガではなくマントのない軍服のヤン議員を伴っていた。

 帝国軍最高司令官はまっすぐ演壇に向かい、統合参謀本部の黄色いマントの大将の隣、最も演壇に近い座席に着席した。ヤン議員はその後ろの席に控えた。一同はやっと歓呼と唱和を終え再び席に着いた。

 説明を中断していた作戦部長は最高司令官に一礼し、話を再開した。

「では、大まかな作戦行動の概要に移ります」

 作戦部長は棒の先をグッと下げ、チナの大きな半島の南に突き出た先の諸島を指した。

「全ての作戦に先立ち、海軍のフレッチャー中将指揮による第一、第二、第三各艦隊の連合艦隊がこのハイナン諸島を攻撃。海兵隊を上陸させこれを占領します。続く半島の一部にも部隊を上陸させ、ここに補給基地を設けます。

 この後に最北方の第二軍が非武装地帯を超えて進軍。この辺りの戦略要地であるクンカーの街を攻略して橋頭堡を築き、ここを軸にして西に深く進攻し・・・」

 まだ若干二十歳にしてすでに百戦錬磨のヤヨイであったが、睡魔という最大の敵に遭遇し、苦戦し始めた。だがなんとか敵を撃退し、無事会議の終幕を迎えた。幸運なことに会議で質問をされることはなかった。

「ううむ、睡魔め。・・・侮れん」

 すでに大略は決まっていてここに集う将官らには伝達済みだったのだろう。帝国挙げての大攻勢を前にしてのセレモニー的な位置づけの作戦会議であろうことが感じられた。

 登場と同じく敬礼と歓呼に見送られ、まず最高司令官が退席した。出口でリヨン中尉と並んで敬礼し最高司令官の退席を見送った。

 下級士官であるヤヨイたちは、皇帝に続き大勢の閣下方が退席し馬車に乗ってそれぞれの司令部に散っていくまで待たねばならなかった。だが、その間に次々と「難敵」を迎えた。

「やあ! ヴァインライヒ少尉ではないか!」

 退席する海軍のフレッチャー中将に声を掛けられた。先のミカサ事件の折は彼の協力で無事任務を達成できた。ヤヨイにとって彼は、言わば恩人であった。

「その節はありがとうございました、閣下」

「正式に士官に任官したと聞いた。陸軍にいるのだな。キミのような優秀な人材が軍で活躍してくれるとは頼もしい限りだ!」

 フレッチャー中将はエネルギッシュな提督であった。

「今はウリル少将の特務機関に所属しております」

「そうか。頑張ってくれたまえ!」

 彼が乗っていたヴィクトリーという艦は隅々まで闘志が漲っていたのを思い出す。今は連合艦隊旗艦となったらしいミカサも新しい司令長官を迎えてさぞ活気ある艦になっていることだろう。

 彼を見送ると、数人の閣下たちに囲まれた。

「ミカサの英雄というのはキミか!」

「是非握手させてくれ」

「キミのような手練れを求めていたのだ」

「是非我が軍団に迎え入れたいものだ」

 彼女の背後で終始ニヤニヤしているリヨン中尉がウザかった。頼みもしないのに、

「この方は○○軍団長□□中将。この方は△△軍団の参謀長××少将・・・」

 次から次へと紹介してくれるものだから余計に手間取った。

 先のミカサ事件の功績により、ヤヨイは軍人に与えられる最高の名誉である鉄十字章を授与された。徴兵途中の、しかも下士官だったヤヨイは、通常なら軍団長から授与されるその勲章を元老院という帝国最高の舞台で、しかも帝国皇帝臨席の元に華々しく与えられたものだから、その余波が尾を引いていたのだ。

 この胸の鉄十字章の略章のせいか。

 つ、疲れる・・・。

 北の野蛮人やチナ兵相手に格闘するよりはるかに疲れた。

 そんな風にふやけそうなアタマでボーっとしていると、マントだらけのこの場には珍しく、金の月桂樹の階級章を着けた大佐が目の前に立った。

「少尉、この方は近衛第一軍団のグールド大佐。今度新設された第一落下傘連隊の連隊長であられる」

「はじめまして、大佐」

 疲れてはいたが、閣下方にしてきたのと同じように略式の敬礼をした。

「貴官がヴァインライヒ少尉か。意外に小さいな」

 大佐は見上げるような偉丈夫だった。彼もまた毛むくじゃらの腕を差し出してきて握手を求めてきた。ゴツゴツした岩のような大きな手。ミカサの時の第一艦隊通報艦艦長ヘイグ大尉を思い出した。あのマッチョな彼を10歳ほどフケさせるとこんな感じじゃないかな・・・。

「貴官は偵察機の操縦もできるそうだな」

 大佐は意外な情報通らしかった。

「はい、いちおう・・・」

「貴官は高いところが好きか」

「は?」

 そのひげ剃り跡の濃い、盛り上がった顎を思わず見つめてしまった。

「バカは高いところが好きだという。オレは今、そういうバカを探している。貴官は、バカか?」

「はあ・・・」

 いったい、なんという質問だろうか。

 あまりな質問に、答えに窮した。サラッと受け流すことが出来ずに、素で悩んでしまった。

 たしかに、大学に帰って研究の道に立ち戻ることもできたのに、士官の道を選んでしまった自分は、バカかもしれない、と。

「そうですね。バカ、かもしれません・・・」

 ヤヨイは素直に答えた。

「あっはっはっはっは! いいな、気に入った!

 是非ともオレの連隊に欲しい人材だな。考えておいてくれ」

「はあ・・・」

 グールド大佐は会議場を去っていった。


 それにしてもリヨン中尉の、顔と名前を記憶する能力には脱帽せざるを得ない。彼がウリル少将の副官として重用されているのは偏にこの驚異的な記憶力のゆえなのだろう。

「もしかして中尉は帝国軍中の閣下方を全部記憶してるんですか?」

「ま、仕事だからね」

 事も無げに彼は言った。

「あ。ほら、ヤン閣下が来たよ」

「ヴァインライヒ少尉!」

 彼のカーキ色の軍服姿の胸元には銀の月桂樹が輝いていた。

「キミも来ていたのか」

 ヤヨイは今日何十回目かになる敬礼をした。

「はい。ウリル少将の命令でこの会議のための資料を届けに参りました」

 元老院議員が同時に軍にも籍を置くのは珍しいことではなかった。貴族の子弟が陸軍士官になるのは帝国の慣例であり、そこで軍務の経験を積んだ者が元老院の議席を得る。議員となった後も軍に残るものは多く、特に将官には顕著だった。

 ヤン議員は東洋風のサッパリした顔の持ち主だったが、その額や頬にはどこか疲れが滲んでいた。

「閣下、先日の叙勲の節はありがとうございました」

 ヤヨイの鉄十字章受章を推薦してくれたのがこのヤン議員だった。

 彼は現皇帝の養子でもある。先ほどの会議でも言及されていたが、彼は皇帝の名代として帝国の外交にも関わっているらしい。

「うむ」

 と彼は言った。

「私の目論見通り、あの叙勲のおかげで市民たちの意識も我が軍の士気も大いに上がったようだ。むしろ、私から礼を言うべき筋かも知れない。・・・疲れたかね?」

 今までの閣下方とのやり取りを見られていたのだろう。こんな細やかな心配りのできる人だったのを知り、心が和んだ。

「その疲れたところを申し訳ないが、少し時間を貰えぬだろうか。ついてきてくれたまえ」

「はい、閣下」

「はは。『閣下』はいいよ」


 彼が30年前にチナとのいくさで帝国に保護された「盾の子供たち」の一人であることを、ヤヨイはウリル少将から聞いていた。

「盾の子供たち」

 30年前、宣戦布告もなく、突如チナは帝国にいくさを仕掛けてきた。

 6万の軍勢を帝国に侵攻させてきたチナは、兵力には勝るが武装と火力に劣っていた。

 迎え撃つ帝国軍は2個軍団2万。兵力では劣勢だったが、射程500メートルのライフルと大量の迫撃砲という最新兵器で武装していた。奇襲を受けた形ではあったが、帝国軍は楽観していた。

 だがチナ軍は、劣勢を補うため、侵攻する兵たちに特殊な盾を装備させていた。それは卑劣過ぎるものだった。

 なんと、年端もいかない子供を盾に張り付け、その陰に隠れて弓矢や槍を放ってきたのだ。

 兵器で優越していた帝国軍はこの「盾」の前に為す術もなく、一時は撤退を迫られた。泣き叫ぶ子供たちに銃を向けることが出来る兵は帝国軍には一兵もいなかったからだ。

 しかし、司令部の作戦の妙のおかげで戦線崩壊だけは免れた。万が一のためにと高台に伏せてあった騎兵隊が敵の背後から襲い掛かり、盾の無い後方を脅かされたチナの軍勢は総崩れとなって退却した。

 この絶好の反転攻勢の機会を、帝国軍は活用することが出来なかった。敵兵が逃げ去った後に大量の「子供を張り付けた盾」が遺棄されていたからだ。

 兵たちは構えていた銃を下ろし、皆盾に縛られていた子どもたちの縄を解き手に背中に抱え背負いその場に捨てられた全ての子供を助けだして陣営地に戻った。

 その後、救出された約2万人に及ぶ子供たちは、帝国の様々な家庭に里子として預けられ、養育された。

 レオン事件の時のチャン軍曹。ミカサ事件の時のミカサ副長チェン少佐、そして今ヤヨイを案内するヤン議員もまた、その折の「盾の子供たち」だったのだ。

 ヤヨイはウリル少将から聞いて初めてそれを知ったが、ヤン閣下が30年前に第十軍団の大隊長だった今の皇帝の家に引き取られた「盾の子供たち」の一人であったことは、帝国中の全ての国民が知っていた。

 子供を道具のように使い、捨てる国。

 捨てられた子供を拾って大切に育てる国。

 どちらの国が人の道と理に叶っているか、明らかだった。


 地下の会議場を出て燭台が灯された広い回廊を進むと、美味しそうな匂いが漂って来るドアがあった。

 そこは大きな厨房だった。

 この上の元老院議場の周りには内閣府があり、新設された統合参謀本部があり、内閣府に所属する各省庁のオフィスがあり、帝国皇帝の住まいである皇宮があり、それら政治と軍事の中心地を警護する警備隊の司令部もある。

 そこに集い仕事をする文官や武官たちのための昼間の食を提供したり、他国の王族をもてなすための料理を作る施設と職員は当然に必要になる。その厨房もその一つだった。

 美味しそうな匂いを嗅げば、当然に腹が鳴る。偵察から戻って今まで、ヤヨイはロクに食べていなかった。腹が鳴ったのをヤン閣下に聞かれたのではないかと、赤面した。

 だが、彼はヤヨイとリヨン中尉に何かをごちそうするためにここへ案内したのでは無さそうだった。

 すでに厨房の火は消えていて、薄暗いカンテラの下では二三のコックが明日提供する料理の仕込みをしているだけだった。

「シェフ、預けていたものを見に来たのだが」

 ヤン閣下は、仕込み中の料理人の中の一番年嵩な男に声をかけた。

「ではどうぞ、これをお使いください」

 そう言ってシェフはカンテラの一つを持たせてくれた。

「こっちだ」

 編み上げの軍用サンダルをスタスタと響かせて厨房を通り抜け、閣下はその奥にあった暗い階段をさらに地下へと降りていった。

 急に寒気を感じた。氷室だ。

 冬の間に帝国の北から切り出された氷を運び込んで積み上げ、食材の保管庫として利用するのは帝都では珍しくはなかった。ある程度の資産を持つ貴族の家や、金持ちの家には備えられているものだった。だが、ヤン閣下に案内されて入ったそこは、はるかに規模の大きなものだった。

 壁に積み上げられた氷は半ば溶けだしてはいたが、地下であるために保温が効いているのか身震いするほどの寒さを感じた。

 カンテラを翳すリヨン中尉に、

「こっちだ」

 と、声をかけた閣下の足元に灯りを移した。

 そこに薄く切った木か竹の板を組んで作ったような、丸い容器が置かれていた。

「まだ国民には知らせていないが、ひと月前、わが帝国はチナに対し断交を通告した。その半月後にチナの特使が持参したのが、これなのだ」

 そう言って閣下はその容器の蓋を開けた。

 中に、女の生首が入っていた。

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