04 ヤヨイ、御前会議に出席する

 クソ暑い飛行服を軍服に着替えて馬を飛ばした。人使いの荒い上司の悪口を口ごもりながら。

「ん、も! 命からがら帰って来たのに。『大変だったなあ』とか、『ご苦労だった』の一言もないんだから!」

 丘を降りると急に人通りが多くなった。とてもギャロップなどはできず、次第に速歩に、そして並足になったので馬を降りて引いた。とっぷりと陽が暮れた都心は西部国境の緊張などとは別世界の賑わいの中にあった。

 


 今、ヤヨイが向かっている「統合参謀本部」については多少の説明が要る。

 あの「ミカサ事件」のあと、政府の中枢や軍の中で裏切り者の摘発が相次ぎ、人事も大幅に刷新された。それと同時に「機構改革」も大胆に、大規模に行われた。

 陸軍省と海軍省が統合され、新たに「国防省」となり、陸軍参謀本部と海軍軍令部もまた「統合参謀本部」として再編成された。軍がチナへの多数の内通者を出したという不名誉は、一面で組織の在り方を再考させる絶好の機会を与えもしたのだった。この改革によって無駄な部局が廃止され、特に予算編成での陸海の競合や、軍令における重複や齟齬が劇的に減った。

 国を挙げての大規模な軍事作戦である今回のチナ侵攻を遂行するにあたり、

「是非とも成し遂げておかねば」

 と、元老院の重鎮たちを説得して回った、例のヤン議員の大きな功績だった。

 統合参謀本部が主催する「統合幕僚会議」の議長は慣例として陸軍から出すことも決まった。海軍はその性質上政治にはあまり関わらない。それに比べ陸軍は時に交戦国の有力者と直接交渉したりする機会も多い。しかも帝国は元々が内陸国家である性格が強かったし、海軍の歴史が浅かったこともあった。その一件、つまり統幕議長を陸軍から、という話はむしろ海軍から申し入れた。陸軍に否応のあるはずがなかった。その点では帝国軍の組織改革は大規模な割に非常にスムーズに済んだ。

 そしてもう一つ、大きな改革があった。

 陸軍の編成について、である。

 それまでは、

 軍団→旅団→連隊、であったのが、

 軍→軍団→師団→旅団→連隊、に変わった。

 より有機的に軍を活用し兵力の投入削減を容易にするための配慮だった。

 陸軍は、北の野蛮人相手には旅団の指揮で中隊や小隊規模で動き、今回のように西の大国チナを相手にするような場合は軍団をいくつも束ねて「軍」とし、他の軍団からも連隊大隊規模で容易に戦力を融通し適材適所の巨大な力を結集することもできる、極めてフレキシブルな組織になっていた。

 それまで「馬と人間の脚」のみであった陸軍は、「機械化」によって大きく変わりつつあったのだった。



 ヤヨイが元老院を訪れたのは、あの「鉄十字章」授与以来だった。

 他国の王侯貴族を招待する格式の緋毛氈などはなかった。その代わりに、本会議場のある巨大なドーム前のエンタシスを見上げる広場にはいくつかの松明が灯され、そこを埋め尽くしていた多数のカーキ色の馬車を照らしていた。軍の高官の使用する馬車であることはすぐにわかったが、通常は馬車の側面に書いてあるはずの所属軍団を示すローマ数字が全て消されていた。ミカサ事件で帝国内部に深く浸透していたスパイ網が一斉摘発されたが、その影響であろうことはヤヨイにも容易に想像できた。

 馬を曳いた彼女を目ざとく見つけ、野戦用のヘルメットを被った警備兵がつかつか近づいて来た。

「Ave CAESAR!(アヴェ・カエザル! 敬愛なる皇帝陛下!)」

 彼はヤヨイの少尉の階級章と黒い月桂樹の略章を目にとめるや、たぶん帝国一華麗ではないかと思われるような敬礼をした。

「少尉殿、馬はこちらでお預かりいたします!」

「・・・ありがとうございます。あのう・・・」

 馬を連れて行こうとした警備兵を呼び止めた。

「なんでしょうか」

「統合参謀本部に届けものがあるのですが」

 警備兵は元老院本会議場の地下への入り口まで案内してくれた。ここにも入り口を警戒する警備兵がいた。所属姓名階級を申告すると、なんと詰所の中にミカサで何度も見たあの伝声管があり、それを使ってどこかに問い合わせを始めた。懐かしさに少し和んだ。

「ヴァインライヒ少尉。確認できました。どうぞお通り下さい」

 厳重な管制だ。ウリル少将が電話でアポイントメントを入れてくれたお陰だった。ここにもミカサ事件の余波が来ているのを思わざるを得なかった。

 緊張を増幅しながら、ヤヨイはちょうど本会議場の真下にある新設の統合参謀本部までの石段を降りていった。

 降りてすぐに事務局があった。その窓口の女性兵に来意を告げ携えてきた写真を手渡して帰ろうとすると、

「ヴァインライヒ少尉!」

 すぐに呼び止められた。

 同じ事務方の金髪の大尉が事務室の奥からやってきた。右手を上げて敬礼し、

「なんでしょうか」

 その赤い頬をしたつぶらな瞳の大尉に尋ねた。真面目だけが取り柄。そんな人柄を思わせる人だ。

「貴官が来たら案内しろと言われている。来たまえ」

 彼は届けたばかりの写真を手にヤヨイをさらに奥に誘った。

 どこかに発電機があるのだろう。そのクィリナリスの外壁と同じ黒御影石の壁の地下の通路は海軍の軍艦のように淡い照明で照らされていた。黒や茶色や灰色のマントのニ三人の将官が立ち話していた。黒は准将。茶色は銅を模した少将の、灰色は銀を模した中将の階級を示す。

 閣下方のたむろしているそこに、大きな扉があった。

「少尉。ここではいちいち敬礼しなくてもいい。閣下方も答礼が面倒なのでな」

 目が合った時だけ目礼でいいと言われた。

「あの、大尉。ところで小官は何をするんでしょうか」

「後ろで控えていればいい。質問があったら答えるように。もう少し早く来てくれていれば我々が説明を代行できたんだが、時間がない。もう会議が始まる」

 遅刻の代償というわけか。

 わたしのせいじゃ、ないのにな・・・。

 大尉が扉を開いた。

 大尉が扉が開くのを待っていたように、灰色や茶色の閣下方が扉の中に入って行った。大尉に促され、ヤヨイも扉の中に足を踏み入れた。

 入り口すぐの壁際の粗末な椅子を勧められた。

 椅子に座る前に、その会議場を見渡した。

 そこは地下に設けられたとは思えないほどの広大な空間があった。

 廊下と同じ黒御影石の壁。

 はるか正面には一段高い演壇があり、その背後に帝国全土の地図と西部戦線とチナの領土をトリミングした部隊配置図とが左右に大きく掲げられているのが照明で浮き上がって見えた。そして何よりも壮観だったのは演壇を挟んで両側に居並んだ大勢のカーキ色の、黄色、灰色、茶色のマントの群れ。

 陸軍の野戦部隊でも、バカロレアでも、海軍でも、スブッラの繁華街でもそうだったが、この将官の見本市のような閣下方の群れを眺めても、帝国の様々な人種が見て取れた。帝国はその軍隊の指導部を構成する人選でも人種や肌の色で差別したりはしないのだと感得することが出来た。それは帝国の人種比率とほぼ同じように、そこにあった。

 最も多いのはヨーロッパ系でその中でもヤヨイと同じドイツ系が多い。次いで多いのは南の国出身の将官。帝国皇帝がそうだから、これは頷ける。それにヨーロッパ系の黒人の将官やチナ系もいる。

 女性の比率だけが全体の10分の1ほどで、一般の部隊とは違って少ない。だがそれはヤヨイにも頷ける理由によるものだった。それは単純に性差の違いだと。

 ヤヨイの母、「レディー・マリコ・フォン・シュトックハウゼン」もそうだが、女性には「国母貴族」となる道が開かれているのだった。

 帝国が指定する夫を受け入れ12人の子をなした女は、帝国から養育費を受けられる他に、その余生を何不自由なく暮らせるだけの「慰労金」を受け取ることが出来る。

 しかも「国母貴族」の名の通り、一代に限って貴族の称号まで手にすることが出来るのだ。女として生まれた利点を存分に生かそうと考える女性は多かった。それが領土に比べて人口の少ない帝国の人的資源の供給元となっていたのだ。

 帝国にとって、人は、資源なのだ。

 もちろん、職業の選択は自由だから、ここに居並ぶ女性将官のように軍で実績を積んで頭角を現し出世の道を選ぶ女性もいる。だが、それはやはり少数派なのだということを改めて思わされる情景ではあった。そもそも、士官学校を志望する女性が少ないのだと、いつだったか聞いたことがある。

 将官の列には少ないながらもネービーブルーの軍服もあった。

 よく見れば、フレッチャー中将ではないか! それにラカ中佐の顔も見える。幕僚と共にこの会議に参加しているのだろう。彼らにはミカサ事件でだいぶ世話になった。

 そして将官の列の壁際には平服の人々もいた。

 その中に見覚えのあるバカロレアの先生の顔も見つけた。このチナに対するいくさは、まさに「軍・官・産・学」。帝国の、文字通りの総力上げた一大イベントなのだと感じられた。

 呆然と立っていると聴き馴染みのある声を掛けられた。

「すごいだろ。もし今ミカサを爆破した爆弾がここで炸裂したら、今回の戦争は無理だな」

 何を不謹慎なことを!

 そう思い振り返ると、やっぱりリヨン中尉だった。

「そろそろ始まる。座れよ」

「マーキュリー」は、澄ました顔で金髪を掻き上げると、ヤヨイの袖を引いた。

 


「それでは、皇帝陛下、最高司令官がまだであるが、定刻となったので会議を始める」

 統合幕僚会議議長を兼ねる統合参謀本部長の黄色いマント、誰だか知らない陸軍大将が席を立ち、宣言した。

「まず、今回のチナへの侵攻について、本会議に先立ち、皇帝陛下の御前で行われた予備会議で承認された作戦案の概要を説明する。シュタイン作戦部長!」

 ファイルを持った灰色のマント、陸軍中将が席を立ってつかつか演壇に上がった。この人も、誰だかわかんない。

「それでは、この度のチナ侵攻計画について、まず部隊配置からご説明させていただきます」

 そして、あのバカロレアの、気持ちよく眠りを誘うナガオカ教授の「人類史概論Ⅰ」を彷彿とさせるような、長い、退屈な説明が始まり、疲れ切っていたヤヨイは自動的に眠りを誘われた。

「すでにご承知の通り、北の国境の牽制として行われた、東から第七、第十五、第十三、第四の各軍団の作戦は予定通りに終了し、現在各部隊は宿営地に帰還して防衛体制に入ったと報告を受けています。また、東のノール王国については敬愛なる元老院議員ヤン閣下のご尽力により、厳正中立を守る旨、約定を取り交わしたとのことであります。

 しかし、万が一のためにこの国境沿いに、」

 そう言って作戦部長は演壇向かって右の帝国全土の地図を長い棒で指し、

「北から第二、第三、第九、第五の各軍団が港町キールまでの国境に展開し、さらに首都防衛のために近衛第一、第二の各軍団が守りについております」

 作戦部長はここで演壇に供されたカップの水を含んだ。

「そして西部戦線となる作戦配置がこちらです」

 長い棒を向かって左の拡大図に移した。

「すでに諸兄諸姉ご尽力頂いた通り、今回の侵攻を踏まえ陸軍は大規模な戦時編成改革を行いました。この図をご覧いただければわかります通り、」

 棒の先が一番上の第二軍を指した。

「北から順に第二軍、中央軍として第一軍。そして南方軍として第三軍という軍単位の配置を行っております。

 北方第二軍ハットン中将旗下には北から第十七軍団、第八軍団、第十六軍団がすでに平時の拠点から移動し非武装地帯に近接する陣営地を築いております。現在第二軍に参加する第二十、及び第二十四各軍団が内陸から移動中で、先鋒の三個軍団の後詰に入ります。その下、中央軍として第一軍をホート中将が、第十、第一軍団を率いており、同じく第十九軍団が第一軍の増援に入ります」

 最前列に座っている閣下方は自分の名前が出るたびに胸をそびやかし胸の略章を煌めかせた。

「そしてその南、港町マルセイユまでの区域をモンゴメライ大将の第三軍が担当します。

 第三軍旗下にはすでに第六、第十一及び第十二軍団が配置しており、さらに増援として第十四、第十八、第二十三各軍団が現在西部国境へ向かっており・・・」

 その辺りが限界だった。

 それまでの疲れが押し寄せて睡魔に勝てなくなり、ヤヨイの頭は次第に前に垂れ始めた。

 十分ほども意識を失っていたろうか。肘をちょんちょんと突かれて、

「ふぁ?」

 と、起きた。

「失礼なヤツだな。居眠りしてるのをウリル少将に告げ口されたらどうするんだ」

 隣でリヨン中尉がニヤニヤ笑っていた。

「統合参謀本部の連中がざわめきだしたぞ。いよいよご登場だ」

 あまりにも失礼な言い方で、彼は演壇脇に居並んでいる閣下方を呼んだ。

 と、脇のドアが開き、

「帝国軍最高司令官、皇帝陛下の臨席を賜る!」

 事務方の士官が大声で宣言した。

 最高司令官、帝国皇帝がカーキ色の軍服に深紅のマントを身に着けて現れた。その広大な会議室に集まっていた総勢100名ほどの将官全員が一斉に起立し、右手を斜め上に上げて敬礼した。もちろん、ヤヨイも「マーキュリー」も起立し、手を挙げ、唱和した。

「Ave CAESAR!」

「Ave CAESAR!」

 石造りの壁に将官たちの皇帝を湛える声が反響した。

「コン・ミリーテス(戦友諸君)! どうかそのまま。会議を続けてくれたまえ」

 皇帝は、すでに慣例となっている、いにしえのローマ帝国で実質的な最初の皇帝となったユリウス・カエサルが軍団兵に呼びかける時の言葉を使った。この呼びかけが許されるのはただ一人、帝国皇帝、帝国軍最高司令官のみだった。

 この少し前に、元老院でアイゼネス・クロイツの受章を受けた折に、純白のトーガ姿の皇帝陛下は見ていたが、小学校やリセの教科書の挿絵、そして新兵訓練所にあった壁画でしか知らなかった深紅のマントを着けた帝国皇帝を、ヤヨイは初めてナマで見た。

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