遠すぎた橋 【軍神マルスの娘と呼ばれた女 3】 — 初めての負け戦 マーケット・ガーデン作戦 —
美作 桂
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今を去ること千年前。
旧文明の20世紀中ごろのことである。
1944年、我が帝国人の故郷であるヨーロッパは、カギ十字の旗印を掲げるナチス・ドイツと、彼らを駆逐しヨーロッパを解放しようとする連合国とが厳しく対峙していた。
その前年の1943年にはナチス・ドイツと枢軸を結んでいたイタリアが降伏。連合国はここに兵力を置きナチス・ドイツを南から圧迫しようとしていた。
明けて44年6月。もう一つの西部戦線を構築するべく、ドーバー海峡を渡った連合国軍の大兵力が、ナチス・ドイツ支配下にあったフランスのノルマンディーに上陸した。
連合国側第二十一軍を率いるモントゴメリー大将 (バーナード・ロー・モントゴメリー Bernard Law Montgomery 1887 -1976)は、同じく連合国側の南方軍第三軍のパットン中将(ジョージ・スミス・パットン・ジュニア George Smith Patton Jr. 1885 -1945)に異常な対抗心を燃やしていた。そして、
「クリスマスまでにこの戦争を終わらせる!」
と豪語し、連合国軍総司令官アイゼンハワー大将(ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワー Dwight David Eisenhower 1890 -1969)に、ある作戦を提案した。
ベルギーのアントワープからドイツ国境に近いオランダのアーンヘムまでの数百キロを機甲師団と空挺部隊の協同作戦により電撃突破して一挙にナチス・ドイツの喉元に迫り、これに降伏を促す、というものだった。
アイゼンハワーはあまりに楽観的過ぎる作戦見通しに当初許可を与えることを渋りつつも、連合国間の政治的配慮からこれを裁可した。
そしてその年の9月。かくして、3個空挺師団4万人の空挺部隊と百数十機の輸送機。数百両の戦車部隊と機械化歩兵部隊を中核とする3個機甲師団による一大作戦が開始された。
作戦はアーンヘムまでの行程にある5つの橋に空挺部隊を先行して下ろしこれを占拠させ、そこを機甲師団が遮二無二驀進するというまことにダイナミックで壮大なものであった。
だが、事前の偵察の不備、補給路確保の困難、架橋作業の遅れ、敵ナチス・ドイツのSS機甲師団による頑強な抵抗に遭い、作戦は頓挫。機甲師団は4番目の橋ナイメーヘンには辛うじて到達できたが、最後のアーンヘム橋に辿り着くことはできなかった。明らかに、作戦の計画そのものに無理と誤りがあった。
5番目の最後の橋、アーンヘム橋を守るイギリス第一空挺師団第一パラシュート旅団第二大隊長ジョン・フロスト中佐(ジョン・ダッドン・フロスト John Dutton Frost 1912ー1993)率いる部隊は、頑強に抵抗し橋を守ったが、機甲部隊の撤退を知り、やむなく降伏した。
それから千年を経た現在も、十全な偵察行動や補給路の確保、無理のない作戦計画の立案等、我が帝国軍が学ぶべき点が多々ある戦闘であった。
その、作戦名は『マーケット・ガーデン』と呼称された。
帝国陸軍史料編纂室監修。「実録、第二次世界大戦」より抜粋。
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なお、史実においてアーネム(アーンヘム)の橋は作戦後に連合軍の爆撃によって破壊されましたが、戦争終結後速やかに架け直されました。奮戦したフロスト中佐に敬意を払い、当時のままの姿で復旧した上で「ジョン・フロスト橋」と改名され現在(21世紀)に至っています。
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