47 3000年後の「ガイウス・クラウディウス・ネロ」
機甲部隊のゾマ攻略を受けて、アイエンにある第三軍の司令部は強襲歩兵部隊の編成と出発を下令した。
北の第二軍の戦線とは違い、第三軍はチナの避難民を追い出し、追い返したりはしなかった。
アイエンからゾマにかかる地域の占領を恒久的なものにするため、住民は基本的にそのまま居住を許すことになり、その円滑な実施と残敵掃討に当たるべく、2万の歩兵部隊が機甲部隊を追うようにして第三軍陣営地を後にした。
2万の兵を全て乗せることのできるトラックはなかった。
通常徒歩行軍の歩兵部隊の移動速度は一日に30キロとされていたが、それを倍以上の80キロ踏破するために各軍団の精鋭が選ばれた。
携帯兵器背嚢全て身に着けたフル装備での徒歩行軍は時速にして約10キロ。
それは非常に過酷なものだったが不可能ではなかった。
前例がある。
古代ローマ時代のある将軍は、配下の兵たちに一日100キロ以上もの超強行軍を課し、敵を粉砕することに成功しているのだ。
ガイウス・クラウディウス・ネロは紀元前207年度の古代ローマ共和政期の執政官である。
同じ「ネロ」でも、あの帝政時代の「暴君ネロ」ではなく、神君カエサルの登場より200年ほど前の政治家であり軍人である。
この時、ローマはその建国以来の危機を迎えていた。
紀元前219年。
北のアルプスを越えて突如イタリア半島になだれ込んだ、かの有名な大国カルタゴの名将「ハンニバル」に、ローマは散々な目に遭っていた。
ハンニバルを迎え撃った執政官率いる最初の4個軍団はあっさり蹴散らされ、「カンネの会戦」ではローマ軍は全滅させられた。生き残った市民兵は全て捕虜にされギリシアに売り飛ばされた。その後もハンニバルは我が物顔でイタリア中を蹂躙し続け、一時は首都ローマにまで肉迫をゆるしていた。
だが、ローマ人は強かった。
まともに会戦するとやられてしまうのがわかったので、しつこくハンニバルに食い下がり、かつ会戦には応じずにただひたすら後をつけ、彼の不在中のハンニバル軍には容赦なく襲い掛かるを繰り返したのち、ハンニバルをイタリア半島の南の爪先であるカラーブリア地方に追い込むことに成功していた。
そして、紀元前207年。
その年執政官に選ばれていたネロは対ハンニバルの最前線で2個軍団を率いていた。
ある日、彼の軍団の兵が怪しい農民を捕らえた。それは農民ではなく、追い詰められたハンニバルを救うべく、はるばる地中海の南から同じくアルプスを越えてイタリアにやってきたハンニバルの弟ハシュドゥルバルの遣わした密使だったのである。
ネロは、決断した。
6000の歩兵と1000の騎兵が選抜され、イタリア半島の南からアルプスのふもとまでの800キロをたった7日間で踏破した。
ネロが戦場に到着するや行われた「メタウロ川の会戦」で見事敵将ハシュドゥルバルを打ち破り、その首を持ってまた800キロを取って返した。
そろそろ弟が軍勢を連れてやって来るころだと期待していたハンニバルは、陣営地の柵越しに投げ入れられた弟の首に対面し、全ての望みを絶たれたと思ったのか、それ以降カラーブリアから外に出ることはなく、逆に本国カルタゴに侵攻したローマの司令官、スキピオ・アフリカヌスの活躍によって追い詰められたカルタゴから召喚され、失意のうちにカルタゴに戻された。その後行われたスキピオとの最終決戦でハンニバルは破れ、その後、カルタゴは滅亡した。
帝国が、いにしえのローマ時代を彷彿とさせるほどに第三軍本隊を急行させたのは占領地域の支配を恒久的なものにするためと述べた。
本隊2万は大隊ごとに占領地域の隅々まで送られ、捕虜にした兵はもちろん、全ての13歳以上の男子を奴隷として帝国に護送し、残された女子供には、あるプレゼントを配った。
この長いヤヨイの物語に当初からお付き合いいただいている読者は覚えておられるだろうか。
ミカサ事件の折にミカサ拿捕に使われた『小舟の子供たち』のことを。
チナの策略によって積載燃料を減らされ推進器を壊された最新鋭戦艦ミカサは、チナ沿岸を航行中に多数の小舟に乗せられた子供たちのために停船を余儀なくされた。ヤヨイたちの活躍によってミカサは拿捕を免れたが、ミカサを停船させるために使われた子供たちは全員が第一艦隊に救助され、ターラントやキール、マルセイユといった帝国海軍の母港に分散されて保護されていた。
第三軍の強行軍のあとにノロノロ走る石炭蒸気トラックに乗せられてやってきたのは、第一艦隊に助け出された『小舟の子供たち』だったのである。
帝国は保護した子供たちを三十年前の『盾の子供たち』のように帝国内の家庭に里子に出したりはしなかった。
すでにこのチナ戦役を想定していた内閣府は、時が来れば彼ら彼女らの家に帰そうと計画していたのだ。
数百人もの子供たちをチナの各地からわざわざ連れてきたりはしないだろう。集めるのならば必ずミカサ拿捕地点に近い沿岸部からだろうと。
その推測は誤ってはいなかった。連れてこられた子供たちは何か月ぶりかで母親らの元に返された。
子供たちは口々に離れていた間のことを母親に話した。
「ご飯はとても美味しかった!」
「海に連れてってもらって泳いだら、皮むけちゃった!」
「毎日いっぱい遊んだよ。友達もたくさんできた!」
「帝国のおじちゃんやおばちゃんたちはみんな優しかったよ!」
連れ去られる前にも増して元気いっぱいの我が子に再会した母親たちは、望外の喜びに、みな泣いた。
無理やりに子供を奪っていったチナと、子供の面倒を見て連れ戻してくれた帝国。
地域の住民たちがどちらに感謝したか、言うまでもなかった。
母親たちの多くは帝国の法の順守と国家への誓約をして帝国人として生きる道を選んだ。そして母親が誓約した家に限り、一時は奴隷とされた夫や息子に手紙を書くことが許された。
「わたしは帝国に従う道を選んだ。だからあなたも帝国に誓約して帝国人になって! そして一日も早く帰ってきて!」
彼女たちの手紙の内容は、おおよそみな、そのようなものだった。
その後、第三軍の兵の一部は陣営地を建設して駐留、安堵した地域の治安維持と産業の復興に当たった。
そして、占領地域に一番最後にやって来たのが、資源調査院の係官たちだった。
ヤヨイの偵察機に同乗して不時着したアラン・フリードマン調査官も同僚調査官たちと共に機材を積んだトラックでやってきた。そして、航空偵察で目星をつけていた場所に櫓を組みボーリング調査を開始した。
数か月後、そこから最初の原油が地上に噴き上がるに至るのだが、それはまた、別のお話。
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