42 『覗き魔』、ナイグン北方に敵影発見す

 話は、それから数時間前のナイグンに戻る。

「中尉、あの、あたしたち、全然気にしてませんから」

「そうです。男の子たちが勝手に言ってるだけですからね」

「元気出してください、中尉」

「中尉・・・♡」

 ナイグンの橋を望む丘の上の掩体壕。

 ラインハルト・ウェーゲナー中尉は女性兵たちから迫られ、慰められて困惑していた。困惑しつつも、

「ごめん、みんな。少し北方の敵情を見たい。ありがとね」

 そう言って疲れ切ったように丘の上の掩体壕を出て夜間の歩哨に立っていった。

 壕の中に残された女性兵たちは皆ギロリと男性兵たちを睨んだ。

「・・・ったく。あんたたちのせいよ!」

「そうよ! 『覗き魔』だなんて、ヘンタイな名前つけるから!」

「あんなに優しい士官、いないのに」

「いいこと? 中尉がヤル気失くしてこの小隊が全滅したら、あんたたちのせいだからね!」

「この、バカッ!」

「覗き魔」小隊は男性兵よりも、女性兵のほうが威勢が高かった。

「少しでも反省する気持ちがあるんなら、中尉の代わりに歩哨に立つぐらいしたらどうなのっ?!」

『覗き魔』小隊の小隊長、ウェーゲナー中尉は意外にも女性受けが良かった。

 男連中はそれぞれ隣同士で肘をつつき合い、一人が立って掩体の上に登った。

「中尉。お疲れですよね。歩哨、代わります」

 兵の一人が、北の方角に双眼鏡を構えるウェーゲナー中尉に申し出た。

「ああ、ジェイコブ。いいんだ。ありがとう」

 と、ラインハルトは言った。

「こうしていると、落ち着くんだよ。気にしないでくれ。キミももう、寝たまえ」

 渋々掩体壕に降りていったジェイコブは、予想通りに女子たちの袋叩きに遭った。

「この、ヘタレ! なんでそのまま降りてくんのよ!」

「バカかお前は! 何のために行ったんだっての!」

「もう一回行ってこい! せめてラインハルト中尉の肩でも揉んで来いっつうーの!」

 もしかするとこの作戦終了後、「覗き魔」小隊の男性兵たちは皆、女性不信に陥ってしまうかも知れなかった。それもこれも、皆彼らが無思慮につけたコールサイン、下品な小隊名のせいだった。

 掩体壕の中が男性兵たちにとっての修羅場になっているとも知らず、ウェーゲナー中尉は北と、反対側の橋の両端とを交互に監視し続けた。

 街の灯りはその半数が消えていたが、半数はまだ生きていた。昼間擲弾筒で大きな爆発をお見舞いした辺りはもちろん暗かったがその南には淡いカンテラか蝋燭の灯りが辛うじて生きていた。ということは、その中にはゲリラになるかもしれない敵勢力が潜んでいるかもしれないということだった。グールド大佐は言っていた。

「敵のど真ん中に降下して、そこでのうのうとしていられるのはバカしかいない。だからオレはバカを集めたんだ」

 いざ自分がその敵中に孤立した丘の上に居てみると、大佐の言った言葉が身に染みた。

 そうだ。オレたちは類まれなるバカだと。バカでなければ、神経が持たない。

「覗き魔」がなんだ、と。そんなの、大したことないじゃないか、と。

 ウェーゲナー中尉も士官の端くれだった。彼はやっと、グールド大佐の真意に気付いた。

 どうせなら「覗き魔」に徹してやる。街の南にも北の脅威にも、ここが、この丘が敵を覗くのに最も適した、ナイグン防衛のために最も要になる場所なのだ、と。

 もう一度、北に転じた。

 月齢は15。満月。15日だから当たり前だ。快晴の満月に照らされた降下地点、広大な田んぼは気持ちの良いほど遠くまで見通せた。

 と。

 はるか北の田んぼの向こうの地平線、チンメイ山脈の山裾辺りに淡い光が灯ったのに気づいた。それは次第に数を増して行き、やがて地平線全てを覆いつくすほどの勢いを示した。

 来やがった!

 ウェーゲナー中尉は掩体壕を見下ろし、声を抑えて叫んだ。

「誰か、フェリクスを起せ! 無線機を!」

 通信兵は無線機を背負い上がって来た。寝入りばなを起され明らかに不機嫌そうに見えた。

「ふぁい、中尉殿・・・」

 ダメだ、こいつ・・・。

 ウェーゲナー中尉は自ら無線機の電源を入れてヘッドセットを着けた。

「『覗き魔』より、『学者』へ」

「こちら『学者』」

「マルス」小隊の通信兵が出た。

「真北に『お客さん』発見! 繰り返す。『お客さん』が真北の地平線に現れた模様!」

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