37 「学者」大隊、無事降下を完了する
ヤヨイの降下に遡ること3時間前。
「マーキュリーより『ガーデナー(庭師)』へ」
ズズ・・・。
「こちら『庭師』」
雑音混じりだが、応答は明瞭だった。
「ナイグン北の川の浅瀬、水深は膝下。十分に徒歩での渡河可能。しかし、やはり土手が高い。『猟犬』の渡河には不適。橋が使用不可の場合、さらに30キロ北までの迂回を要す。当方はこれより川沿いに南下し、橋を目指す」
リヨンは『庭師』こと、『猟犬』機甲部隊の飼い主であるフロックス少将の司令部に通報した。
「了解、マーキュリー。軍神マルスの加護のあらんことを。アウト」
すぐに馬に跨り、発見されることを懸念して川の土手の上ではなく土手の法面の下を疾駆した。馬を駆けさせれば土埃が舞い上がり、当然に遠目にも人目を惹く。だが、彼には時間がなかった。ヤヨイたちが守るに適する橋か否か。それを通報することが、空挺部隊の兵たちの運命を左右する。橋が戦車の通行に適さない場合、機甲部隊は橋を捨てて北に迂回する。もしそうなれば最悪の場合、戦闘が落ち着くまでナイグン橋を守る四百名は捨て置かれる可能性があった。それが戦争の現実なのだ。
絶対に情報を知らせねば。
リヨンは疲れた馬にさらに喝を入れ、南に急いだ。
橋まで二キロはあるだろうか。そこでリヨンは馬をとめた。
遠目にも東から橋を渡って西に逃れようとする避難民の群れが見えた。
人目在り過ぎだろう。
リヨンは思わず舌打ちをした。
ここまで辿り着いておきながら。くっそーおっ!・・・。
と。
橋の左手、東側に三角帽子の黒い兵たちが騎馬でやってきて橋を渡ろうとする避難民の群れを止め、東に押し返しはじめた。ナイグンの西はチナの天領になる。そこは同じチナでも「異国」であり、この地域の住民の「無断難民移動」を阻止せねばと差し向けられた兵たちなのだろう。チナという国の、なんと複雑なことか。
だがそれでリヨンにチャンスが巡って来た。
橋の付近が無人になったころ合いを見計らい、リヨンは馬を降りた。馬は尻を思い切り蹴とばして彼方の方角へ駆けさせた。チナ兵が乗っていた馬が見つかるとマズいからだ。到底言い訳などできない。
リヨンは駆けた。
人影を見れば身を伏せ、草むらに潜んだ。そしてまた、駆けた。
そうやってやっとの思いでナイグンの橋の下に身を潜めることが出来た。
石造りの橋は、頑丈だった。これならマークⅠ型の20トンでも十分に通行可能だ。
すぐに通報せねば。
と、橋の下のほぼ中央部に異様な黒い物体があるのに気づいた。
あれはなんだろう。
もしや、爆薬?
だとすれば、まずそれを取り除かねば。
背中のズダ袋を下ろし、橋の構造が戦車の通行に耐えることと正体不明の橋桁下の物体について通報せねば。無線機を取り出そうとすると、
ヒヒーンッ!
背後で馬が嘶いた。
たった小一時間。共に走っただけの間柄なのに、その躾の良い馬は乗り手のリヨンを慕ってついてきてしまったのだった。
「お前・・・」
硝煙の匂いが漂った。リヨンは身を固くした。
「貴様。そこで何をしている!」
彼を慕って追って来た優しい馬を責めることは出来なかった。リヨンはただひたすらに、天運尽きたおのれだけを責めた。
あの荒野の訓練所で何度も降下したように、ヤヨイは5点着地で無事に田んぼのど真ん中に降りた。
稲刈りが終わったばかりの水田はまだ土が柔らかく、被害と言えば切られた稲の株の切っ先が少し痛かったことぐらいだった。心配していた降下中の敵兵の狙撃も高射砲の攻撃もなかった。幸先が良すぎて怖いぐらいだ。
辺りを見回すと「マルス」だけではなく他の小隊たちも次々と、おおむね無事に初めての降下を終え、皆広がったパラシュートを掻き集めつつ、降下地点を離れ自分の小隊を探し始めていた。
ポケットから笛を取り出して、吹いた。
ぴっぴぷー、ぴっぴぷー・・・。
加えてヘルメットの顎紐を少し緩め、鉄棒を後ろに跳ね上げてブルネットを風に晒した。「気持ちのいい秋の風を受けたかったから」、というよりは、この方が兵たちに自分が見つけられやすいと思ったのだ。
「少尉!」
真っ先にカーツ大尉が寄ってきてくれた。
それにあのヤンチャなフォルカー。
ビアンカにヴォルフガング、看護兵のクリスティーナ・・・。
そしてグレイ曹長までもが、皆モーツァルトの笛の音を聞きつけて集まってきてくれた。
最後にフリッツが息せき切ってやってきて、パイロット2名を除く30名と大隊長カーツが揃った。
「みんな揃ったわね。では大隊長、グライダーへ」
「ウム。・・・すごいな。やればできるもんだな!」
大尉という上官でありながら、カーツは少しも威張ることも衒うこともなく、素直に陸軍最初の空挺部隊の初降下の感想を言い講評を述べた。こういう人は好かれやすい。よい指揮官の条件の一つだと、ヤヨイは思った。
そこから少し離れたところにグライダーたちが次々に着陸していた。そこまで歩いた。
みな自然に駆け足気味になった。
無理もなかった。
ここは敵地のど真ん中。兵たちは緩衝材としてジャンパーで包み胸に括った小銃以外ほぼ丸腰なのである。
肝心の通信機も重火器も食料も弾薬も、全部グライダーに載せたままなのだった。
他のグライダーたちのように着陸の衝撃で胴体が折れたり翼が飛んだりしているのに比べれば、グライダー「マルス」号はまずまずの着陸を見せてダイコン畑の畝の上に機体を乗り上げて止まっていた。
カールとミシェルの操縦の腕前は抜群に良かったと言っていいだろう。もしかすると、偵察機を壊してしまったヤヨイよりもはるかに上かもしれない。
「小隊長殿~!」
機体の尻のドアをバールでこじ開けていたカールが「マルス」の面々を見つけて手を振っていた。
「ミシェルは?」
ヤヨイは姿の見えない女性パイロットの所在を尋ねた。
「アイツはその・・・。えっと、ですね・・・」
カールはハニカミながら言葉を濁した。
と、少し離れた雑木林の中からテクテクと女性兵が歩いて出てきた。無事に着陸してホッとしたのだろう。タフな兵たちだとヤヨイは思った。
「これで全員揃ったわね。まずは飛行機から荷物を取り出しましょう」
ヤヨイが兵たちを指示して荷物の取り出しをている横で、カーツは真っ先に通信機を持ち出したグレタに寄り添い、ヘッドセットを着けた。
「『学者』より各小隊。状況を知らせろ。『優等生』応答せよ」
一番最後に降下を始めたヨハンセン中尉の6個小隊の最後尾の小隊が応答すれば、ほぼ全機無事に降下を終えたことになる。
降下はすでに終了し、乗って来た飛行船も帰投の途に就いた。
だが、予想以上に散らばった降下兵たちが集合するまでにはまだ時間がかかりそうだった。戦争の現実はシミュレーションのようには行かなかった。
ヤヨイと同じ飛行船から降下した『覗き魔』小隊の小隊長ラインハルト・ウェーゲナー中尉はまだ降下地点にいた。
「えー、『覗き魔』小隊、集合せよ・・・『覗き魔』は集まれェ・・・」
まるでヤル気のない、物売りが売り口上を述べているように、半ば不貞腐れつつ、ウェーゲナー中尉は小隊の兵を呼び集めていた。三番船から降下した小隊はもう彼の小隊だけしか残っていなかった。
「あの、小隊長殿。小隊全員、揃いましたが・・・」
見かねた下士官がウェーゲナー中尉に声をかけた。
「あっそ・・・。そんじゃまあ、ぼちぼちグライダーまで行くかね」
そう言ってトボトボと歩き出した。
「『覗き魔』小隊! グライダーまで、駆け足!」
いろいろと察した下士官が中尉の代わりに兵たちに号令した。
号令に反応して駆け足で小隊長を追い越した兵たちの何人かは、いかにもやる気の無さそうな小隊長に興味本位でふざけた小隊名を贈呈したことを後悔し始めていた。
だが、この『覗き魔』小隊が後に殊勲賞ものの活躍をすることになるのだから、いくさ神であるヤヌス神のなさることは凡庸な人間たちには計り知れないことなのだった。
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