第四章 第三軍、出撃!
27 チナ王国と諍い合う豪族たち
帝都の郊外にある飛行場を飛び立ち、真っすぐに西に向かう。
歩けば10日ほど。早馬でも5日はかかる。西駅からの急行列車でも、安い三等車なら丸2日は固い座席を耐えねばならない終点駅を、ほんの2時間足らずで真下に見下ろせる。その先には国境があり、今眼下には第一軍二万が南北に細長く布陣して進撃命令を待っている。
そこからさらに幅50キロほどの非武装地帯を飛び越えれば、そこはもうチナの領土である。延々と続く広大なブドウ畑を飛んでいると、すぐ目の前に雪を頂いた4千メートル級の山々が連なるチンメイ山脈が立ちはだかる。
残念ながら帝国の航空機はまだこれを飛び越えてさらに西に向かうことが出来ない。そのためにはエンジンにさらに改良が必要だった。
が、想像の翼はその山々を飛び越える。
白く高い尾根を越え、その西には、チナ王国の心臓部、中核をなす広大な土地が広がっていた。
山の麓から梨園、タカキビ(高黍、コウリャン)畑が緩やかな斜面に作られ、その終わりほどから長閑な田園が広がる。そこここにいくつかの集落も見える。二毛作が可能な水稲も、今は農閑期を迎え田畑に出ている農民の姿も少ない。
そしてさらにその向こうの空を黒いもうもうたる煙が覆っていた。
近年拡張されてきつつあったチナの大工業地帯である。
帝国と同じくチナの主要なエネルギー源は奴隷と石炭である。その石炭を動力に使った原料、加工の重軽工業がひしめき合っている上を飛び越えれば、その霞の向こうに巨大な碁盤の目のような大都市が広がっていた。
それがチナの王都、ピングーであった。
王都の北に、高貴な色とされる紫と金で葺かれたひときわ目を惹く壮大な王宮を持つ。その左京右京南京を黒い甍が整然と埋め尽くす。気候は温暖。冬でも雪が積もることはない。
今、その王都を取り囲む城壁の外には夥しい軍勢が終結し、軍馬が群れと集い、あちこちから兵たちの炊爨の煙が上がっていた。
この早朝から、王宮は戦闘詳報を携えてやってきた北からの伝令を迎え、騒然としていた。
紫と金の甍の王宮。その最奥部の広大な書院には、揃いの黒色の直衣を着た大臣たちと光り輝くカラフルな直衣を身に着けた大勢の豪族の長たちが、書院の上座、奥を隔てる御簾の左右に居並んでいた。つい先ほどまで下座で宦官が奏上していた、北の大都クンカーを襲いつつある危機の情報について皆口角泡を飛ばして大激論の最中にあった。
「だからわしは申していたのだ。進軍してきた敵の、帝国の狙いは北からこの王国の中心部を貫通することにあると!
これ以上は待てん。早急にクンカーに増援部隊を出すべきだ。それも、陛下直属の王党軍を、だ!」
彼の直衣は黄金がかった山吹色の目が覚めるようなものだった。だがあまりの昂奮に身振り手振りが大きくなりすぎ、そのせっかくの直衣に描かれた天女の美しい刺繍柄がしわくちゃになって台無しになっていた。
「ドン
ドン、と呼ばれた男の真向かいに座を占める渋い銀の直衣の老人が鷹揚に諫めた。
「当然だ! 陥ちてたまるか!」
ドンは、激高のあまり膝前の小卓をドンッ、と叩いた。載っていた茶の器が飛び、せっかくの旨茶がこぼれ、床を濡らした。
「ミン大人。貴殿は海の者。だから山の危機にそのように暢気なのであろう」
「ドン大人。今の御一言、聞き捨てなりませんな」
ミンと呼ばれた鬢の白い老人は、ゆっくりと席を立って居並ぶ高官たちの背後を半ばまで歩き、立ち止まって御簾の奥の上座に向かい拝跪した。
「国王陛下。陛下はご存じでありましょう。
先だっての帝国の戦艦を
その折、輩はこう申し上げました。
そのようなことは必ず帝国の上層部に露見する。しかも、戦艦というもっとも大きな軍艦を手土産になど絶対にあり得ぬ、と。そんなことを帝国が許すはずがない。そう申し上げたのでございます。
しかるに、でございます。
このドン大人は自説を曲げず、しかも海のことは海に詳しい者が処決すべきだと。それで輩は国王陛下への忠義のため、それにとりかかったのでございます」
「フンッ! 失敗した者が何を言うか。あわよくば分捕った戦艦をわがものにしようとしておったのではないか?」
ミンは、ドンの礼を欠いた揶揄には取り合わず、言葉を繋いだ。
「ですがやはり輩の危惧した通り、事は最初から露見していたのでございます。
帝国はこの一事を逆手に取り、ワザと戦艦を囮にし、しかも武術の手練れを潜ませて輩の計画を妨害してまいりました。それだけではありません。事が発覚したあおりでそれまで帝国に潜ませてあった輩や陛下の情報資産、すべて悉くを失いました。陛下御苦心の、営々とお育てなされた王国直属の海軍兵力も、全て、でございます。
結果についての責めは甘んじて受ける所存でございます。
が、不確かな情報に基づいて陛下の御心を惑わせ、陛下の資産を悉く失わせておきながら、今また自領のあるクンカーが危ういからと陛下の兵を無心するとは・・・。
輩はつくづく、このドン大人に失望致しておるのでございます」
「何を言うか、ミン大人! そちらこそ、今の御発言、聞き捨てなりませぬぞ!」
「ですが、事実を申したまで。他意はござらん」
クッ!
ドンは言葉を呑み込み、奥歯を噛み締めた。
「陛下。畏れながら私見を申し述べます」
ミンは再び首を垂れた。
「思うに、今回の帝国の北の侵攻は囮ではございますまいか。
我らの気を北に引いておいて、その実は南から、王国の天領であるアルムを狙ってのことではありますまいか。先にハイナンの島々を奪ったは戦艦の一件の単なる報復ではなく、向かうところ敵なしとなった帝国の海軍部隊がアルムを狙ってその根拠地を得ようとのことなのではありますまいか。
残念ながら、帝国に潜ませてあった手下どもが悉く捕縛されたる今、確かな情報が手に入りにくくなっております。ですが、東の国境に配置しておる輩が手の者の話では北を上回る軍勢が国境の向こうに集められているとか・・・」
居並ぶ宦官や黒い直衣の大臣たちがざわつき出した。
ミンは、続けた。
「さらに、でございます。
帝国は飛行機なるものを作り、ここのところ頻繁にわが王国上空に飛来させてこちらの動静を探っているやに見受けられます。つい先日もチンメイの山の南にその飛行機が落ちました。
北ではないのであります、陛下。虎視眈々、帝国が狙いを定めあるは、明らかに南である! そう、輩は断言致します。
かくなる上は、陛下の天領をお守りするため、輩も手勢を率い南に向かいたく、陛下の御裁可を
「それは詭弁であろう。その実は貴殿の自領であるナイグンからゾマにかかる一帯を守らんがためであろうが!」
「なにが詭弁でありましょうや」
ミンは蔑みの目でドンを一瞥した。
「輩の陛下と王国への忠誠は不変でございます。この老体の後継者にと目しておった我が掌中の珠、レイまで捧げ、不憫にも娘はもう貴人に文も書けぬ身体になりました。
自身は何もせず、不確かな情報をもたらして陛下の御心を惑わせ、王国と陛下の富を損ない、今また私利を守らんがため、自領の安堵を図らんがために陛下の兵を無心する方とは、違うのでございます」
「私利を守らんがためだと? ええい、無礼者! 今の一言、もはやカンベンならぬ!」
「ドン大人!」
成り行きを見守っていた黒衣の大臣がようやく声を上げた。
「ドン大人。陛下の御前ですぞ! お控えあれ!」
そう言って席を立ち、恭しく御簾に寄り、その奥のチナの支配者に伺いを立てた。御簾の奥から弱々しい少年の声が流れ、その場にいた一同の耳にも微かに届いた。
大臣は御簾に一礼し、再び席に戻って一同に一礼し、言った。
「今、ご聖断が下りました。国王陛下はこのように仰せられました。
ミン大人、」
「はは~っ・・・」
ミンは拝跪した。
「ミン大人。即刻軍を率い、南から来るものと思われる敵に備えよ!」
「謹んでお下知承りました。この上は天領アルム防衛のため、この老体に鞭打ち、粉骨砕身、見事敵を迎え撃って御覧に入れまする。そこで、大臣閣下、お願いの儀がございます。
王党軍に貸し出したる我が兵ら二万を、一時お返しいただきたいのでございまする。
アルムは国王陛下の直轄地。我がチナの牙城であります。
ここを陥とされればこのピングーは丸裸同然になります。しかも、我が王国にとり重要な兵器廠もある。現在の我が手の者だけでは兵力が心もとないのでござりまする。
アルムの前哨であるナイグンは死守せねばなりません。
ドン大人が自領を守ると仰せなら、我らミン一党は王国と国王陛下をどこまでもお守りする所存にございまするっ! 」
よきに計らえ。
国王のその一言を得て、ミンは王宮を後にした。
ミンは、勝った。
この上は、得られた王宮内での勝利を確実に形にするために、是が非でも自領を守る。それがひいては王国を守ることに繋がるのだ。そうすれば、数多の豪族中のミンの力はもはや誰にも追随することのできぬ巨大なものとなる。
そしてその果てには・・・。
「父上!」
城壁から出てきたミンは愛すべき愛娘、レイの出迎えを受けた。
「すぐ馬車を出せ。急ぎナイグンに戻るぞ。話は馬車の中でしよう」
「わかりました、父上」
そう言うとレイは手首の無い右腕を翳し、集結していたミン一党の軍勢に下知した。
「皆の者、帰るぞ!」
ミンは、多くの彼の子たちのうちで最も知力と胆力に秀でた愛娘が馬車のステップに立って全軍に号令するのを眩しく見上げた。
老い先短い今のミンの、まだ絶対に誰にも明かすことのできない夢は、是非ともこのレイを新しい王国の女王として君臨させることだった。
帝国の戦艦を強奪しそこない、一度は挫折を見たその夢が、今一度叶う機会を得られたことは僥倖に近いものだった。
だが、その夢は必ず叶う。必ずや実現して見せる。この目の黒いうちに、必ずや・・・。
ミンは決意を深く胸に刻み込み、娘と共に馬車に乗り込んだ。
あくまでもチナ王国内の内紛であり、豪族同士の力のせめぎ合いの結果だった。
ところが、その内紛が図らずも帝国の意図を見破ったものとなりチナをして利することになるのだから、歴史とは過ぎてしまわねばその全容がわからない、まったく不可思議なものなのだった。
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