55 ヤンの戦い
「ここで解体できるか?」
「それは無理です。まずこの覆い全部を取り外すのに足場が必要です。川の中に足場を組んで、そこに覆いを下ろして、それから爆弾本体を解体して、下ろして・・・ですからね。資材も工具もありませんし」
「そうだな。たしかに戦争の最中にやることじゃない」
拠点に戻ったヤヨイはカーツ大尉の口述を暗号に翻訳してグールド大佐に送った。
ナイグン橋の下に設置されている物体はやはり爆発物で総重量は500キロほどはあること。足場を組むなどの予備工事なしには解体は不可能なこと。配線は無力化したが被弾すれば誘爆の可能性があること、を伝えた。そして、設置されたのは少なくとも半年前に遡ると推測されることも併せて通報した。
ナイグン橋の爆弾の情報はすぐに統合参謀本部に報告され分析された。
ナイグン橋の爆弾はミン一族が設置したものとは考えにくい。設置は明らかにチナ本国の手になるものであり、ミン一族とミンの所領の住民たちがアルムに入るのを防ぐためのものだ。もし仮に帝国が攻め込んできてアイホーが陥落するか、あるいはミン一族が反旗を翻してチナ本国に敵対してくるような場合は、橋を爆破するつもりだったのに違いない。
そして、こう結論付けた。
チナ本国はイザとなればミン一族を切り捨てるだろう。
交渉に臨むヤンは帝都を立つ前にその情報を得ており、胸中にはすでにその予測があったのだった。そしてクィリナリスのウリル少将に、ある手配りをした上でこのミカサにやってきたのだった。
そして話は11月21日、アイホー河口のはるか沖あいに浮かぶ、第一艦隊旗艦ミカサの幕僚室に戻る。
ミン一族の名代を前に、ヤンは言った。
「では、この度の貴家のご提案を改めて伺いたい。その条件も併せてご提示いただきたい」
静謐な中にも猛々しい闘志を秘め、それを意志の力で強引にねじ伏せている。
ヤンには、ミカサに乗りこんできたこのアルカイックな美貌を持つ女がそんな風に見えていた。
「では申しあげる」
ミン・レイは言った。
「わがミン一族は、チナ本国の支配を脱し、貴国と同盟し、貴国と共闘する用意がある。もちろん、条件がある。すでに貴国の支配下に入っているアイエンから現在の貴軍の最前線までの土地の返還である。それが叶うならば、アルム攻撃の先鋒を担ってもよい」
マーキュリーが、リヨン中尉が携えてきた要求と条件、それと同じものであることをヤンは確認した。
「質問を、よろしいか」
ヤンは言った。
「Do sprechen kannst. 」
あなたは話すことが出来る、というなんとも硬い言い回し、鋭利な刃物を思わせる言葉の響きだった。それに対してヤンはあくまでも柔和に柔軟に、を心がけた。
「貴家の、その『わが帝国との共闘』のご意思は一体いつからのものなのか。そのご意思は貴家が、貴殿がこのミカサを拿捕せんとした折にもそのお心うちにあったものなのか」
「貴官のお気持ちは理解できる」
ミン・レイは言った。
彼女は手首の無い右手を隠そうともしなかった。テーブルの上に裸のまま置き、時折ヤンの視線をそこに導くかのように既に癒えたその傷口に左手を添えたりもした。
「当家は代々チナ王国を構成する豪族であった。過去には王家に連なる血筋に関わったこともある。王国の指示で数々のいくさに出、武功を重ねてきた。
それは
先刻貴官は今回の帝国の宣戦の理由として、過去の我が国による様々な工作や軍事情報の盗奪を理由に挙げられたが、それらはチナ本国の為したることで我が一族とは無関係である。むしろそのようなことをすれば必ず帝国を怒らせ、抜き差しならぬ事態を招くと諫めたほどである。
このミカサの拿捕を図ったときも同じである」
ミンの娘はヤンとフレッチャー中将に挑戦的な眼を向けた。
「確かに、それを実施したのは今貴官の目の前にいるこの我だ。
が、それらはすべてチナ本国からの命令であった。
貴国の一高級士官、戦艦の艦長が我がチナに亡命を希望している、と。彼がその手土産に戦艦を一隻携えてくる。ついてはその受け取りを、チナが我が一族に命じてきた、というのが真実なのだ。
仮に戦艦一隻拿捕したところで、それだけでは運用は難しいのは承知している。軍艦を適切に運用しいくさに使用するには僚艦が不可欠であるし、膨大な燃料と設備の整った港湾が必要である。その整備には莫大な金がかかる。
我が一族の私兵は6万になる。だが、その維持だけで手いっぱいでとても海軍兵力を運用する力はない。それにわがミンの土地には石炭を産出する山もない。
貴国の艦隊が破壊した船も港湾設備も全て王国のものであり、わがミン一族の所有ではない。
繰り返すようだが、わがミン一族に貴国に対する私怨はない。全ては我が一族の存続のため、止むにやまれぬ行為であったのだ」
「つまり、貴家からのこの同盟の提案は、我が帝国の侵攻を受けての場当たり的なものではなく、はるか以前からの貴家の願望であり、すでに我が軍と干戈を交えているこの状況はあくまでも単なるきっかけに過ぎないと、そう言われたいのですな」
「そうだ」
ヤンは柔らかに反論した。
「あなたは今ミン一族の存続のために『止むにやまれず』我が帝国に対する敵対行為を行ったと言われた。チナ本国の命令によって、と。
では伺うが、それならば何故貴家はわが軍が北への侵攻を開始した直後数万の軍を引き連れて王都ピングーに出向き、王都を取り囲んだのか。主家の根拠地を大軍で取り囲む配下というのは到底理解しがたい。
我々は天の目を持っているのだ!」
ヤンは右手を大きく挙げて幕僚室の天井を指した。
誤魔化しは通用しない。そういう含みを持たせた言葉だった。
ミン・レイは乗り出していた身体を椅子の背に凭れさせ、吐息を吐いた。
「・・・飛行機だな」
「貴家の行動はどうにも不可解である。天の目から見れば貴家は、到底今の貴殿の言葉のごとくチナ本国の言わば主命によって運命を左右される弱者ではない。
むしろ逆ではないのか。
貴家はチナ本国を軍勢によって脅しあげ、さらにチナ本国の主力の一部を増援として引き連れてきた。それが真実ではないのだろうか。
一方でチナ本国の圧政に喘ぐ弱者を演じながら、一方ではチナ本国を脅しあげ、その国政を左右する権能を有しそれを隠している。
一方で我が帝国に共闘を申し出ておきながら、もう一方で我が軍の攻勢に対して軍勢を増強する。
帝国は未だかつて同盟国を持ったことがない。ましてや、そのような二枚舌、ダブルスタンダードは絶対に受け入れられないし、許さない!」
交渉場となった幕僚室に厳かな沈黙が訪れた。そこには大海原のうねりをわずかに伝える、五千トンの大艦の緩やかなたゆたいのみがあった。
交渉は始まったばかりだったが、早くも決裂の時がやってきたかのように見えた。
だが同盟を結び共にチナと戦うなら、それだけは言わねばならない。
「提案があるのだが」
長い沈黙を破って、ミン・レイは言った。
「互いの立会人を退席させ、一対一の秘密会を設けたい」
ヤンはようやくこのチナの大豪族の本音、核心に迫る機会を捉えた、と思った。
「Ich stimme zu.」
同意する。と、ヤンは答えた。
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