第36話

 あたしたちは机を抱えて、いつぞやの空き教室の前までやってきた。

 この通りは、放課後とかテスト前とか関係なく静かだ。ただ一応、誰かが廊下を通りかかる可能性はある。

 

 まあ正直に理由を話せば、別にそこまでコソコソする必要はないのだけど⋯⋯勝手に空き教室に入ったことをなじられる恐れはある。

 

 戸口をガタガタとやって教室に入ったあたしは、なるべく手早く済ませようと机を吟味する。

 ここで前に交換した千尋の机を引いて持って帰ったらちょっと面白い。

 なんてふざけてる場合でもなく。

 

「んーちょっとガタガタしてるなー」


 この前はすぐいいのを引けたけど、今回はなかなか手こずる。

 もしかするとここにある机って、もともとちょっとダメだったやつが集まっているのかもしれない。


「これ、いい感じですよ」


 千尋が持ってきた机を確認する。

 表面には目立った傷もない。がたつきもない。


「よろしい。汝に机ソムリエの称号を与えよう」

「なんですかそれ」

「ようし、キミに決めた!」

「静かに」


 なんてやりながら、持ってきた机を入れ替える。

 さてここまではいいけど、これ持って帰ったらまたみんなに変な目で見られるかもなぁ⋯⋯。 


 なんてあたしが考えている間にも、千尋は手でホコリを払っている。

 そういうの、気にもとめてない様子。ちょっとは気にしたらと思うけど、今はやたら頼もしい。

 

「何してるの?」

 

 そのとき静かだった空気を裂くような冷たい声がした。

 あたしと千尋は、声のしたほうを同時に振り向いた。暗い教室の入口には、背中に西日を受けた影が立っていた。敷居をまたいで、ゆっくり近づいてくる。


「ねえ武内さん。さっきのわたしの話……聞いてた?」


 突然現れた聖奈はあたしではなく、まっすぐ千尋に詰め寄った。

 見たこともない怖い顔だ。その剣幕に押されてか、千尋はうつむいた。

 

「その落書き」


 けれど千尋は怖くて顔を伏せたわけじゃなかった。いつものすました表情のまま、教室から運んできた机の端を指さしていた。

 

「バスケ部員がやったって。彼女が」


 机をさしていた指を持ち上げて、千尋は聖奈の背後を指し示した。

 教室の入口には、いつの間にかもう一つ、小さな影が立っていた。音もなく近づいてくる。


「なに? どういうこと? 咲希」

  

 後ろからつけられていたこと、聖奈も今気づいたらしい。驚いたようにショートカットの女子生徒を見おろした。

 咲希は何も答えず、じっと机の表面を見つめていた。沈黙になる。


 ちょっと前に、あたしの身に起こっていた怪奇現象。

 机の落書きもそうだけど、机に入れてある筆箱がなぜかトイレに落ちてたり。上履きが妙に汚れてたり。


 これが噂に聞くそういう行為か、と思った。

 いろいろ思い当たるフシはあった。ありまくりだった。


 聖奈に気に入られてるのが目に付くのかなーとか。

 翔と仲良くしてるのがあれしたのかなーとか。担任の先生からもかわいがられてたからなーとか。


 けれどもう、今はぱったりやんだ。あたしが退部届を出してから。

 だからもう解決済みだ。よく聞く話よりはずっとかわいいものだったし、これ以上あれこれ騒ぐことじゃない。

 あたしは黙ったままの咲希の代わりに答えた。


「そのことはもう終わったことだから。解決済み」

「どこが? なにがどういうこと? 何も解決してないでしょ?」


 口ぶりからするに聖奈は関与どころか、まったく認知すらしてないらしい。

 してたらもっとめんどくさいことになってたと思うけど。


「もしかして、ひまりが部活やめたのって⋯⋯そういうこと?」

 

 さすが聖奈さん。察しがいい、のか悪いのか。

 でもそれは違う。もともとどうするか迷ってたから、それで背中押してもらったって感じ。

 

「とりあえず先生にも話しましょ。ひまりの退部を取り下げてもらうように⋯⋯」

「いやいやそういうのいいから。勝手に余計なことしなくていいって」

「勝手に退部届け出したのはひまりでしょ?」


 聖奈の責めるような口調になる。そこに関しては、あたしに落ち度があると言わんばかりだ。

 ぐっと喉が詰まるような感覚がした。けどここで黙るわけにはいかない。


「だからそれとこれは、関係ないから。もともとやめようと思ってたし」

「もともとって⋯⋯どうして? なにが気に入らないの?」

「なにがって⋯⋯なんか、楽しくなくなってきたなあって」

「それは、武内さんにそそのかされて?」

「は? なんで千尋が出てくんの?」

「部活やめてから、ずいぶん仲良しみたいだけど」


 聖奈はなにか思い違いをしている。

 真面目ないい子なんだけど、一度思い込むと周りが見えなくなるって、まさにそれ。

 

 千尋と仲良くなったのは、本当にただの偶然だ。

 そもそもあたしが退部届けを出したのは、机をガリガリしてた千尋に出くわす前の話。誰にも相談することなく出した。

 

「ほんとに千尋は関係ないから。どっちみちさ、戻れないよ。あたしみんなに嫌われてたから⋯⋯」

「ちがう」

 

 あたしを遮って否定したのは、それまでずっと黙り込んでいた咲希だった。


「みんな、聖奈が好きだから。ひまりが特別扱いされるのが、羨ましいんだって。だから本当は、ひまりが嫌いってわけじゃ、ない」

 

 声はところどころ震えていた。この子がこれだけしゃべるの、珍しい。

 あたしは咲希に向かって小さく笑いかける。


「ん、フォローありがとね。でもあたし、嫌われてるよね、ふつーに。自己中だし」

「ひまりは練習、ふざけててもサボったりしても、うまいし、活躍するから。男子からもモテるし⋯⋯ちょっとは嫉妬もあると思う。アタシも、その場にいたから⋯⋯」


 咲希はふたたび机に視線を落とした。


「『咲希もなんか書きなよ』って、言われて⋯⋯書きたくなかったけど、書いた」

「へー。咲希はなんて書いたの?」

「⋯⋯顔面バスケボール」

 

 あたしは吹き出した。

 

「あれお前か! まあそうね、寝不足だったりするとたまに顔パンパンになるからね!」


 ヤリマンとかビッチとか書くよりはずっとセンスある。

 ちょっと見直した。静かだけど、結構面白いやつなのかもしれない。


「咲希」


 不意に聖奈が名前を呼んだ。

 その直後、ばちん、と早いパスをカットしたときのような音がした。聖奈が手のひらで咲希の頬を叩いた音だった。

 

 あーあ、やったわ。

 こうなりたくなかったから、極力おもしろおかしくしようとしたのに。


「謝りなさい」

「⋯⋯ごめん、なさい」

「わたしじゃなくて、ひまりに」


 咲希はあたしに向き直ると、消え入るような声で、改めて謝罪の言葉を口にした。

 ただでさえ小さい体が、さらに限界まで縮こまっていた。けれど聖奈の鋭い声は容赦がない。

 

「一緒になってやってたのは誰? 全員教えて」

「⋯⋯それは、言えない」

「どうして? 教えて」

「⋯⋯言ったら、試合できなくなる」


 咲希はそれきり口をつぐんだ。

 けれど聖奈は収まりがつかなそうだ。片時も視線を離さず、うつむく咲希を睨みつける。二発目が飛び出しそうな予感がして、あたしはすぐさま二人の間に割って入った。

  

「だからもういいって言ってるでしょ。あたしは部活じゃなくて、たまに楽しくバスケできたらそれでいいんだって」

  

 やっぱりあたしはガチ勢向きじゃなかった。

 今のこういうガチな感じもホント無理。もう顔面バスケボール女でいいから、ギャグにして笑い飛ばしたかったよ本当に。


「いいわけないでしょ! そんな一人を仲間外れにするなんて、そんな部活、潰れたらいい!」

「いやあたし調子こいてたからさ、しょうがない部分もあるよ! あたしだって逆の立場だったらイラっとくるもん!」

「ひまりはなにも悪くない!」

 

 ダメだ。

 聖奈は一度こうなったら聞きそうにない。

 もうこっそりフェードアウトしようと思ってたのに、最悪の展開になった。これまでの苦労⋯⋯あたしになりにあれこれ考えたつもりだったけど、全部意味なかった。

 

 あたしはアホな頭をフル回転させて、必死に考えた。

 どうしたらいいんだろう。どうやってこの場を切り抜けたら。うまく収めたら。

 

 けど頭の中はやばいやばいどうしようばっかりで、何も出てこなかった。冷静なときにゆっくり考えても答えが出ないのに、こんな状況で出るはずがない。

 結局またおんなじことを口走ろうとしたとき、横あいから声がした。

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