第24話

「なあ、立派な傷害だぞ? 出るとこ出たらどうなるかわかってんだろうな?」


 机の向こう側から、身を乗り出すようしてすごんでくる。

 登校して自分の席につくなり、彼はやってきた。昨日私が頭を踏みつけた男子生徒――たしか名前は山下といった。


「おい聞いてんのか? なあ」


 初めてまともに顔を見た。

 眉毛が変に細かった。肌がムダにきれいだった。鼻が若干低い……のは私が踏みつけたせいではなく、もともとらしい。

 

 顔に傷という傷は見当たらなかったが、弁明をするつもりはなかった。私は静かに応対する。


「すみませんでした」


 素直に頭を下げる。

 いきさつはどうあれ、暴力を振るったことに関しては謝罪しなければならない。


 しかし我ながら、どうしてあんなことをしたのか。頭に血が上っていたのは間違いない。けれど当事者でもないのに、なぜ後先もなく行動に出たのか。

 

「いやすみませんじゃねえんだよ。どう落とし前つけてくれんだよ?」

「病院には行きましたか? 治療費などあれば⋯⋯」

「はあ? 病院なんて行くまでも⋯⋯いや、行ってねえけど、草だよ草! 草と土が口の中に入ったんだよ! あとはその、あれだ、精神的苦痛でだな、」

「はいはいすとーっぷ!」


 横から声が割って入ってきた。誰かと思えばひまりだった。

 両手を上げて、山下をなだめる仕草をする。肩にカバンを下げているのを見るに、今しがた教室にやってきたようだ。

 

「まぁまぁ、ここは一つ落ち着いて話をしようじゃないか山下くん」

「なんだよ、ひまりはもうカンケーないだろ」


 少しだけおかしな間が流れる。

 昨日あれだけしつこくしておいて、もう関係がない、とはずいぶん割り切ったものだ。


「立派な傷害事件だぞ。オレが教師にチクったら停学……いや退学だろうな」

「いやいやそれぐらいで退学にならないっしょ。だいたい傷害ってどのへんが? べつに怪我とかしてなくない?」


 ひまりが山下の顔を指差す。

 私と同じ感想だったが、だからといって私のした行為がなくなるわけではない。


「怪我とかどうとかって、そういう問題じゃねえんだよなぁ~。気持ちの問題だよ気持ちの」

 

 口ぶりからするに、すでに教師に告げ口されたわけではないらしい。なにか要求するつもりなのか。回りくどい。私は彼の意図を尋ねる。

 

「じゃあ、どうすればいいですか?」


 正面から上目遣いに見つめ返すと、山下は少したじろいだ。

 それから私の顔を値踏みするようにじろじろと見て、ゆっくり目線を下ろして、胸元のあたりで止めた。


「ん~~じゃあ、ハグして痛いの痛いの飛んでけしてくれたら許す」

「ふざけんなボケ」


 ひまりが食い気味に遮った。


「なんだよ、なんでひまりがキレてんだよ」

「キレるだろ。先んじてキレといたよ、ねえ千尋」


 というが、不当に金銭などを要求されているわけでもない。本当にそれで不問してくれるなら、それほど悪くない話だ。


「まあ、それで気が済むのなら⋯⋯」

「あほか! ダメに決まってるでしょ! だめだめ!」


 なぜひまりがムキになっているのか。自分がやらされるわけでもないのに。

 私たちのやり取りを眺めていた山下が、腕組みをしてふんぞり返る。


「じゃあ⋯⋯お詫びにあれだ。今度の休みに⋯⋯映画に付き合え」

「さっきから面白いギャグ言うね? またドタマ踏まれたいの?」

「だからなんでひまりがキレてくんだよ。オレを振ったやつに文句言われる筋合いないわ、あっちいけあっちいけ」


 ひまりに向かって手を払う仕草をすると、私の席に取り付いてくる。

 

「ミンスタのアカ教えてよ」

「やってねえっつうの」

「ライン交換しよライン」

「しねえっつうの」


 ひまりが勝手に答える。山下がじろりと横目で見た。

 

「じゃあいいよわかったよ、ひまりも来いよ。それならいいだろ」

「は? なんであたしが⋯⋯」


 食ってかかろうとするひまりに対し、山下は急に真面目な顔つきになった。 


「昨日はオレもさ、勢いであんなこと言ってさ。悪いと思ってるわけ実は。だからこれでお互い水に流して、仲直りしようって言ってんの。おわかり?」


 ひまりは少したじろぐ。むっと口をつぐんで、まだ腑に落ちない表情をした。


「んじゃ、あとでなー。連絡するわ」


 山下は手を上げて去っていった。残されたひまりと目が合う。 


「なーんかうまく言いくるめられた気がする⋯⋯」


 冷静になるとひまりも一緒に、というのもよくわからない。

 最初に無理な提案をして、それから譲歩案を飲ませる。

 以前読んだ本にそんな交渉術があるというのを見た。もしや彼はそれを駆使した⋯⋯のかもしれない。それかまったくなにも考えてないか。


「やっぱ腹立つわあいつの顔~……。てか千尋、ほんとに行く気?」

「まあ、それで向こうの気が済むのなら。これは私の問題ですから」

「いやいや、もとはあたしの問題だっての」

 

 お互い睨み合う。けどここは譲れない。

 私が一人で後始末をつければ、やっと彼女に借りを返せたことになるかもしれないのだ。


「でもさ、ずるずる要求してきそうじゃない? 次はおっぱい触らせろ~とかってさ」


 ひまりが私の胸元に向かって手を開いたり閉じたりする。なにやらいかがわしい手つきだ。私は尋ねる。


「そんなに触りたいものなんですかね」

「そうなんじゃないの。あたしも触ってみたいし」

「は?」


 無言で顔を見ると、彼女は急にすました表情に戻って手をおろした。私はひまりの胸を指差す。

 

「自分のがあるじゃないですか」

「ちがうちがう、感触がどうとかって話じゃなくて、千尋がどういうリアクションするのかなって」

「え⋯⋯」


 私はふたたびひまりの顔を見た。彼女は弁解をするように慌てて手を振る。


「い、いやいや冗談ですよ? やだなそんなドン引きしないで⋯⋯」

「別に、どうってことはないですけど」

「やめろやめろここでさわるな」


 自分で自分の胸に触れてみる。ひまりに手首を掴まれて引き剥がされた。腕組みを始めたひまりは、難しそうな顔でうなる。

 

「んー……」

「なんですか?」

「不安要素しかない」


 登校時間終了のチャイムが鳴る。ひまりは最後に、いろいろ独断で動かないように。と私に念を押して、席に戻っていった。

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