第23話

「イラッシャイマセ」


 慇懃に頭を下げる。ファーストコンタクトは重要だ。

 私は深く腰を折り曲げた後、ゆっくりと面を上げた。ぽかんとした顔のひまりと目が合った。


「いやホテルの支配人か。旅館の女将か」

「ゴチュウモンはお決まりでしょうか」

「なんかAI音声みたいだね」

「……ゴチュウモンは?」

「スマイル一つ」

「冷やかしならお帰りください」

「じゃあキャラメルフラペチーノ。シロップ増量のチョコチップマシマシで」

「そんなメニューはありません」

「ん~? お客様の要望にこたえられないのかな? このお店は」

「しつこいようならカスハラで訴えますよ」

「ちょっとマスター! このウエイトレスどうなってんの!」


 ひまりがカウンター内に向かって声を荒らげる。

 無茶な要求をしてくる客には毅然とした態度で接するべきだ。


「もー全然ダメじゃん! じゃあ次あたしがウエイトレスやるから、千尋お客さんやって」

「なんかそれ、コント漫才の入りっぽいね」

 

 叔父が茶々を入れる。止めるどころか、面白がって眺めている。

 ひまりに背中を押され、ポジションを入れ替え。店員となったひまりが私のそばに立つ。

 

「はい、いらっしゃっせ~お決まりでしょうか~?」


 唐突に始まった。変に語尾の上がった甲高い声。

 これは喫茶店ではなくショップ店員とかのノリだ。声だけだとやけに板についているが、笑顔がくどい。


「こちら本日のおすすめ、意識高めシェフの気の迷いサラダはいかかでしょうか~?」

「そんなメニューはないですけど」

「では本日限定裏メニュー、キャビアにいくら山盛りパスタはいかがですかぁ? こちら店主自腹の、赤字覚悟の出血大サービスでございますー!」

「そんなものはないよ」


 叔父からもツッコミが飛んできた。

 ひまりは「君らノリ悪いなぁ」とふてくされたあと、備え付けのメニュー表を手に取った。

 メニュー表といっても両面一枚だけの簡素なものだ。ひまりはぺらぺらと裏表にしながら、叔父に尋ねる。

 

「ていうかメニューって……これ少なすぎじゃないですか?」 

「いや、あんまりいろいろ手を伸ばすとコストが……」

「コーヒー飲めない人お断り感ありますよね」

「まあ、それはコーヒーショップだから……」

「で、どうですかあたしの接客。千尋よりはやれそうですよね」


 ひまりがちらっと私に目線を向けてきた。なぜか勝ち誇ったような顔。

 負けじと睨み返すと、叔父がなだめるように両手を上げた。


「あ、ああ、とりあえずバイトに雇うって話は一回保留で」

「えー合格って言ったじゃないですかー」

「いやいや、さすがに冗談だから。けどまあ、ちょっと考えさせてもらっていい? 今日はとりあえず、お客さんとして様子見てってよ」


 叔父はさきほどからひまりの言動を観察しているようだ。意外に抜け目がない。

 前回のアルバイトの件があって慎重になっているのか。というか本当に雇うつもりなのか。


「うーん、お客さんって言っても頼むものがないというか……」

「ええと、一応ココアとかだったら出せるかな」

「それ! ココア!」


 ひまりがぴっと指をさす。

 叔父は苦笑しながら「かしこまりました」と言って準備を始めた。


 飲み物を待つ間、ひまりはなにか勘違いしたのか思案顔で店内をあちこちチェックし始めた。窓枠の下を指でなぞって埃の有無を確かめて、意地悪な姑のようなことをしている。


 しばらくしてカウンターに二つティーカップが置かれた。ふだんは見ることのないココアが湯気を立てている。ついでに私の分も用意したらしい。叔父が小声で言う。


「ひまりちゃんいいね、明るくて元気で。でもああいう子ってなにかあると急に手のひら返すんだよね」

「トラウマになってるじゃないですか」


 おそらくやめたアルバイトの子のことを言っているのだろう。相手に強く出られて押し切られたのかも。なんとなく絵面の想像がつく。

 見回りをしていたひまりがカウンターに戻ってきた。やはりどこかしっくりこないのか、若干首をかしげるようにする。

 

「ん~いまいちファンシーさにかけるかなぁ。それとあそこに竹刀たてかけてあってなんか怖いんですけど」


 カウンター脇の壁を指さした。言うとおり竹刀が立てかけてある。しかしあそこがれっきとした定位置であり、なにかの間違いとか置き忘れだとかそういうことではない。


「私の竹刀です。暴漢が現れたときのためです」

「そんな暴漢現れますここ? 世紀末ですか? ていうか千尋が撃退するつもり?」

「多少は覚えがあります。一応中学の時に二段は取りました」

「え、そうなのすごっ。ってことは今もバリバリやってるの?」

「今はやってないです。剣道じゃ生きていけませんから。お金にもならないですし」

「そう? なるかもよ? 剣道美少女みたいな感じで動画撮ってさ」

「え?」


 思ってもみない提案をされた。

 独り立ちには、なんと言っても経済的安定が必要。お金を稼ぐだとかそういう面では役に立たないと考え、ひとまず剣道はやめた。それは本当だ。

 

「それ、お金になります?」

「やたらくいつくね? 本当にやる気?」


 半分冗談で言っていたのか。

 視線で叔父にも意見を促すと、


「いやぁ、どうなんだろう。僕はそういうのあんまり詳しくないから」

「千尋がやる気ならあたし手伝うよ。おもしろそう」

 

 ひまりは何事か企んでそうな笑みだ。おもちゃにされそうな予感。やはりあまり真に受けないほうがいいだろう。

 

「あ、いただきまーす。……うわ、おいしい! いい豆使ってますねぇ」


 豆の違いがわかるとは思えない。

 ひまりはふぅ、と息を吐いてティーカップを小皿の上に戻す。思い出したようにふところからスマホを取り出した。


「あの、ここのSNSとかってないんですか?」

「や~そういうのも疎くて、あんまり」

「え~、そんなだからお客さん来ないんじゃないですか?」


 痛いところを突かれている。

 叔父は私に負けず劣らず、そういうのには疎い。


「制服もそんなダサいエプロンなんかじゃなくてメイド服にしましょうよ。お客さんが来たら『おかえりなさいませご主人様~』って千尋に言わせて⋯⋯」

「それはもう別のお店でしょ」

「これいま流れてる曲なんですか? 古臭いオルタナロックみたいな」

「お、わかる? いいねえ話せるねえ」

「そんなヌルいのじゃなくてゴリゴリのメタルかけましょうよ」

「いやどういうお店それ? 無理無理」


 ピシャリと遮る。さしもの叔父もそこは譲れないらしい。


「あーあ、あたしを雇ってくれたら、そういうSNSの宣伝とかもきっといい感じにできると思うんだけどな~」

「いや~でも、そんな大繁盛されても困るっていうか……」

「どうしてそんな弱腰なんですか? 私だって手伝います」


 煮え切らない態度の叔父に、私もつい口を挟んでしまう。

 彼なりに考えがあるとしても、こんな閑古鳥の状態で赤字を垂れ流しているのはどうかと思うのだ。


 叔父は私を見てたじろいだ。別にそんな怖い顔はしてない。ひまりがうれしそうに身を乗り出してくる。

 

「お、珍しく意見があったね~」

「別に意見は……あってますか?」

「あってるあってる。じゃあここは、二人でやっちゃいますか。ねえ?」


 笑いかけられて、頭が勝手に想像をする。

 笑顔で元気に、ちょこまかと動き回る姿。彼女を中心に笑い声が絶えず響いて、お店は見違えるように活気づいている。


 私はどこにいるだろう。やっぱり裏方か。いや、負けじと張り合っているかもしれない。上手にできずに、からかわれているかも。


 けれどそこまで悪い気はしなかった。不器用でも、彼女は笑って受け入れてくれるような気がした。なんとなく楽しくなりそうな、そんな予感がした。

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