第9話

 雑貨屋を出ると、ひまりは私を振り返った。


「さて、もうここに用はなし……あ、行きたいところあったら言って?」


 特にない。この建物自体、一人ではめったに来ない場所だ。

 そう告げると、ひまりはそのまま百貨店を出た。他に寄りたい店があるという。


 自転車置き場を素通りして、駅前の通りを歩く。こころなしか彼女の足取りは軽くなっていた。

 並んで歩きながら夕方の混雑に飲まれる。よその学校の制服を着た生徒と何度もすれ違った。

 ひまりが肩を寄せてきて、耳元で言う。


「千尋ってさ、正直あんまり隣歩きたくないタイプだよね」

「そうですか。さよなら、帰ります」

「ちがうちがう! 悪い意味じゃなくて!」


 悪い意味でなくてなんだというのか。

 睨むとひまりは慌てた口ぶりで、


「いや、こっちが気後れするっていうか……比べられると、ねえ?」


 私の顔に向かって同意を求めてくる。

 ひまりは前かがみに私の膝元へ目線をやった。


「スタイルいいよね~。それ、足の長さバグってない?」


 そうは言うが自覚はない。というかこうやって誰かと身体的特徴の話をすることがない。

 

 お返しに彼女の全身に視線を走らせる。そういう自分も均整の取れた体つきをしている、と思う。足は程よく肉づきながらも、よく引き締まっている。なにかスポーツでもしているのか。


「……そんな、卑下するほどですか?」

「え? なに? どういう意味?」

「周りは、そんなに他人のことなんて気にしてないと思います」


 首を傾げられたので別のことを言った。

 私はどうして慌てて言い直したのか。


「そんなことないでしょ、美少女見かけたらガン見するでしょ~……あ、ここね」


 ひまりが軒下を指さす。看板にはCD・DVD・本と書いてある。

 自動ドアをくぐって入店。こぢんまりとしたリサイクルショップのようだ。初めて来る。


 ひまりは勝手知ったる足取りで、奥にある棚に取り付いた。棚にはぎっしりとCDが隙間なく詰められている。ひまりが目を細めてCDの吟味を始める隣で、私は手持ち無沙汰にそのさまを眺める。


「今どきCDですか?」

「言うねえ今どきっぽくない人が。なんだかんだでCDがいいのよ。一曲だけ買うとかは邪道だね」

「何探してるんですか?」

「メタル」

「めたる?」

「メタルは最強の音楽」


 なんだかよくわからない。

 大特価洋楽、とPOPのついた棚と、じっとにらめっこをしている。ひまりはその中の一枚を引き出して「ほらこういうの」と見せてきた。おどろおどろしい風景画のようなジャケット。さっぱりわからない。


 しばらくしてひまりは「ダメだ、今日は不作だ」と言って探すのをやめた。なにやら安いCDを探すという行為自体が楽しいらしい。


「CD貸してあげるよ今度。ひまりちゃんおすすめパック」

「いえ、結構です」

「ふだん音楽とか聞かないの?」

「うーん、あんまり……」

「ていうか趣味は?」

「趣味は……読書とか、映画鑑賞とか」

「で、出た~無趣味なやつの筆頭」


 ひまりはけらけらと笑って店内を闊歩し始める。

 人を笑うが自分だってたいがいだろう。ひまりのあとについて、コミックや書籍が並ぶ棚にやってくる。


「読書ってどんなの読む? 最近読んだの何?」

「国盗り物語を読みました」

「知らんなあ。なんかおっさん臭い匂いがするぞ」


 家にあった本だ。

 早くに亡くなった父が残していったものの中から、ランダムに選んだだけ。

 

「あ、そうそう本といえば」


 思いついたように立ち止まったひまりが、カバンの中から一冊の本を取り出した。

 そのまま手渡してくる。


「これ貸してあげる」 

「いや、けっこう……」

「騙されたと思って読んでみ? 面白いから」


 無理やり押し付けられた。茶色い紙のカバーがかけてあり、表紙はわからない。中をめくろうとすると、「ちょだめ! 家で読んで家で!」とカバンにしまわされた。

 

 結局何も買わずに店を出た。通りはあいかわらず人の往来が激しい。スーツ姿のサラリーマンも増えてきた。


 私とひまりは駐輪場に戻った。自転車が増えている。

 茶色い髪をした男性が近くに自転車を止めた。視線が鍵を外そうとかがんでいるひまりの腰元を見ている気がした。私は遮るようにその間に自分の自転車を引き出した。

 さっきのひまりの言葉を思い出して、少しだけ考えを改めた。 


「え~あっちの方から来てるの? 遠くない?」


 お互い自転車にまたがって、家どこなの? という話になる。

 私の家は学校から片道4~50分。遠いけれども自転車で行けない距離ではない。

 聞くところによるとひまりの家は、私の家と学校のちょうど中間地点にあるらしい。

 

「でも方角一緒じゃーん。これから一緒に帰れるね」


 ひまりは自転車を漕ぎながら笑った。

 しかし私は誰かと一緒に帰る、というようなことをしたことがない。

 このペースだと、家まで片道一時間を越えてしまうのではないかと思う。

 

 ひまりはまた途中で寄り道をした。

 少しだけ遊具の置いてある閑散とした公園だった。


「付き合ってもらったから、おごり。どれがいい?」

 

 入り口に並んでいる自動販売機の前で、彼女は私を振り返った。

 別に喉は渇いていなかったが、断ると長引きそうだったので温かいコーヒーを選んだ。

 小さな缶を手に、近くのベンチに座る。


「コーヒーとか渋いね~やっぱ」


 ひまりがすぐ隣に腰掛けてくる。

 そういう彼女は何も持っていない。自分は飲まないらしい。


 このまま蓋を開けずに持ち帰ろうかとも思ったが、ひまりは私が飲むのを待っている。

 おごり、なんて言われるのは初めてだ。今飲まないと、なんとなく無礼に当たるような気がした。


 結局開けて、ゆっくりと缶を口に傾ける。いつも飲んでいるコーヒーには遠く及ばないが、新鮮な感じがした。こんな風に外で飲むのだって初めてかもしれない。


 ほっと一息つく。

 夕日が傾いて白いベンチが朱に染まった。周りに人影はなかった。冷たい風が吹いて、ひまりが肩をすくめた。


「あれ、なんか急に寒くなってきた。4月ってこんな寒いっけ?」


 両手をこすり合わせて膝の間にはさんだ。みっともない。

 見かねた私は、コーヒーの缶を差し出して言った。


「これ、飲みます?」

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