第4話
「あー……眠くなってきちゃった。最近寝不足なんですよねぇ」
独り言かと特に相づちもうたなかった。
ややあって、なにか言ってほしそうな目がこちらを見てくる。仕方なく一言つける。
「そうですか」
「そうなんでございますよ。まあいろいろと、悩み事の多いお年頃ですからね。そうでもない?」
面倒と思うことはあれど、悩み事かと言われるとそこまででもない。
それに今日で大きな懸念ごとが一つなくなった。落書きを目にしなくてもすむようになったこと。だけど正直に言ったら笑われそうなので、聞き直してごまかす。
「たとえば?」
「まあ、ざっくり言うと人間関係……かな。キリッ」
おどけるように真顔を作ってみせた。これ以上詳しく話す気はないのだろう。ここで悩み相談をされても困るけれども。
「癒やしがほしいよ癒やしが」
「癒やし?」
「ヒールかけてヒール」
また顔を近づけてくる。冗談なのか本気なのかよくわからない。そもそも意味がわからない。
「そうだ、ちょっと枕貸してもらっていい?」
「枕? 持ってないですけど」
「やだもう、あるじゃないですかそこにぃ」
そう言って彼女が指をさしたのはスカートの裾のあたり。ちょうど膝の部分。
疑問符を浮かべつつも、軽く膝を曲げてみる。
「なんで膝たてんの。それ膝蹴り枕じゃん」
「ひざ……枕ってことですか?」
「あ、今気づいた? ボケたわけじゃなくて? 天然?」
「こんなとこで寝たら服汚れますよ」
「大丈夫でしょ、毎日掃除してるし。え? ていうか膝枕オッケーなの?」
「嫌ですけど」
「絶対そう言うと思った」
ひまりは声を上げて笑った。
けれど絶対、なんて言われるのは頭の中を見透かされているようで癪だ。ほぼ初対面、ほんの十数分のやりとりで、人の何がわかるというのか。
「わかりました。じゃあこれでいいですか」
膝を伸ばして、手でスカートの表面を払った。
隣にじっと視線を向けると、ひまりは視線を泳がせて焦りだした。
「え、えっと~やっぱちょっといきなり膝枕は、ハードル高いかなって⋯⋯」
「なんなんですか、自分で言い出しておいて」
「それはほら、ほんの冗談っていうか……なんか軽く半ギレだし?」
指摘されて我に返る。私は何をムキになっているのだろうか。変だ。
少し顔が熱くなる。悟られまいと、目をそらしてうつむく。ひまりの口が耳元によってきた。
「じゃあさ、倒れるから受け止めて」
「はい?」
「受け止めてね絶対」
突拍子もないことを言う。
わけがわからないでいると、ひまりは私に背を向けて座り直した。
そのまま背中を倒してくる。危ない。
私はとっさに両腕で体を受け止めた。ブレザーごしに、手のひらに体温が伝わってくる。思ったよりずっと柔らかい感触がした。
「ナイスキャッチ」
すぐ近くで彼女の顔が私を振り返った。
目がきれいで、まつげが長い。髪の毛がさらさらで、いい匂いがするのは自分だって同じじゃないかと思った。
私は体を支えながら聞き返す。
「……なんですか? これ」
「うふ、こうすると後ろからハグしてるみたいで、てえてえっしょ?」
「はあ?」
発言の意味がわからない。
ひまりはいたずらっぽく笑って、さらに背中を押し付けてくる。その拍子に髪が私の鼻先をかすめた。やっぱりいい匂い⋯⋯好きな匂いだ。
「ん~⋯⋯」
ひまりは私に体を預けながら腕を伸ばしてきた。
私の顔の輪郭を撫でるようにして手のひらを宙に浮かせる。
「なんか、あたしたちって、似てる? かわいいし、背も同じぐらいだし」
返答に困った。こういうときなんて答えればいいのか、私の頭の中の引き出しにはない。
似てるどころか、誰がどう見ても真逆に属する人種だ。少なくとも私は、自分で自分をかわいいと言ったことは一度もない。
「ん、結構⋯⋯あるね? なにカップ?」
私は寄りかかっていた背中を前に押しのけた。
前のめりになったひまりが、口をとがらせて振り返ってくる。
「む~いいじゃんそれぐらい教えてくれたって。机運ぶの手伝ってあげたでしょ」
「そんなの知ってどうするんですか」
「いや、勝ってるか負けてるかなって」
私は無言で見つめ返した。敵対するつもりならこちらもそうする。
「んもう、冗談でしょ。そんな真顔になんないでよ」
ひまりは笑って、私の頭に手を伸ばしてきた。
一瞬なにをされたのかわからなかった。けれど髪を撫でられていると理解したとたん、頬がカっと熱くなって、慌てて首を振っていた。
「あ、嫌だった? でも今の首ぶんぶんするのかわいい」
また笑われて、私は逃げるように顔をそむけた。
その先で、ちょうど入れ替えたばかりの自分の机が目に入った。
自分一人の力で解決するつもりだった。これまでずっとそうしてきたように。
でも助けられた。半ば強引だったけども、私は初めてクラスメイトに借りを作ってしまった。
⋯⋯なんてちょっと、大げさかもしれない。
けれど少なくとも、私はそう思ってしまった。
「千尋って、なんか面白いね。仲良くなれそうかも」
「⋯⋯」
「無言で首をぶんぶんするな」
「ぶんぶん」
「だからって口で言うな」
ひまりはけらけらと笑ったあと、「改めてよろしくね」といった。私とのことは今回限りではなく、まるで今後があるかのような口ぶりだった。
いずれにせよ、このままで済ますわけにはいかない。
人から借りたものは、必ず返さなければ。
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