第5話
あたしの机には落書きがある。
ビッチヤリマンぶりっこだのと書かれている。左下の隅の方に、小さい字でちょこちょこっと。
本当にしょーもない落書き。
この席を割り当てられたときには、なかったと思う。いやきっとなかった。あたしが気づいたのは、二年になってクラスが変わってたしか三日目の朝だった。
落書きは変に角張ったような字体だった。寄せ書きみたいに、ちょっとずつ字体が違う。何人かで書いたか、筆跡を変えたのか。
どっちにしても不気味。気持ち悪い。
さらにご丁寧に油性マジックで書かれている。
ためしに消しゴムでちょっと擦ってみると、なんとか消えなくはないけど、という感じ。
ヤリマンをマンにしたところで力尽きた。あんまりごしごししていると不審がられる。
洗剤とか使えば簡単に消せるっぽいけど、そこまでするのもなんかシャク。
そこまで気にすることもないかって、最初は放置することにした。
けれど一日終わって、家に帰って。お風呂の中で。夜ベッドの中で。
考える。疑心暗鬼になる。
この場合問題なのは、落書きの大小ではなく消せるかどうかでもなく、これを書いた人間がいるということ。悪意なのかただのいたずら心なのか。通り魔的犯行の可能性もある。
どのみちそんなふうにそしられる覚えはない。身も心も清い乙女に向かって、失礼な話だ。
SNSをはじめいろんな嫌がらせツールが充実したこの時代に、ずいぶん古典的なことをする。
アーティスト性を発揮するのはいいけど、そういうのは自分の机でやってほしい。
それにぶりっこ? 鰤の子供?
わかんなくてスマホで調べちゃったじゃないの。またこれずいぶん古臭い表現をする。どうせならかわいいかしこい巨乳とか書いてってくれればいいのに。
あえて見ないようにして、数日放置してた。
で、あるときちらっと見たら、なんか落書きが増えてる。この「顔面バスケボール」ってなんだよ。誰が顔パンパンだよ。ちょっとおもろいじゃん。
こういうのって本当は先生に言ったほうがいいんだろうけど、まあ、あれだ。
あんまり大事にはしたくない。
誰かに相談……は考えなかった。もちろん友達がいないわけじゃないけど、これ系はちょっと引かれるというか、迷惑かなと。シャレにならない雰囲気になったら困る。
ていうか、あたしってやっぱ友達いないのかも。
めんどいので机ごと交換するという荒業も考えた。前に教えてもらったサボるとき用の空き教室には、ごっそり机が余っていた。勝手に交換したところでバレはしないだろう。
けれどそれこそ大げさだ。そうしたところで根本的解決にはならない。本当に犯人がいて、あたしあてのメッセージを書いたというのならば。
迷った挙げ句、やっぱムカつくから消すことにした。
調べたところによると除光液でいけるらしい。お姉ちゃんの化粧箱から拝借してわざわざ持ってきた。
どうでもいい授業にちょっと遅れることにして、ちゃちゃっと済ませようと思う。
移動教室の前の休み時間。ちょっとお腹痛いからトイレ行く先行ってて、と言って逃げてきた。お腹が痛かったのはまじで本当。
トイレの個室で待っている間、なんかもう帰りたくなった。あたしなにしてるんだろうってわけわかんなくなってた。
授業開始のチャイムが鳴ったあと、こっそり教室に戻った。
教室には誰もいない――はずだった。けれどあたしは、そこで不審な人影を見た。
すらりとした体型。肩までかかるまっすぐな黒髪。標準丈のスカートから伸びる長い脚。背中を少し丸めながら、じっと机の角を見下ろしている。
奇妙な光景だった。一体何をしているのか。今は間違いなく授業中のはず。背後に立っても、彼女はまったく気づく気配がない。
背中越しに、がり、がりと小さく異音がする。彼女は何かを削っているようだった。不気味なことこの上ない。
どうするか迷った。けれどまさか無視して自分の机に向かうわけにもいかない。
あたしは意を決して、彼女に声をかけた。
「何……してるの?」
それがあたし左藤ひまりの、武内千尋へ対する第一声だった。
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