第6話

 左藤ひまりはそれなりに人気者らしい。


 クラスでも目立つタイプだ。

 人の集まりによく顔を出して、男女問わずコミュニケーションを取っている。


 聞こえてくる笑い声に、彼女の名前が混じることもある。

 彼女が「あたしのこと知らない?」と聞いてきた理由が、今になって何となくわかった。


 ふだんの彼女がどうであろうと、私には関係のないことだ。

 クラスでの立ち位置がどうとか、交友関係がどうとか。

 けれど私は、気づけば彼女の姿を目で追うようになっていた。あくまで相手に気づかれないよう、こっそりと。

 

 そんなことをするのはもちろん理由がある。

 この前の、教室でのこと。いきさつはどうあれ、彼女に借りを作ってしまったのは事実だ。


 私はどうにかして、その借りを返さなければならない。そのためには情報が必要だ。私は彼女とクラスメイトであること以外、なんの接点もない。彼女のことを知らなさすぎた。

 

 私は焦っていた。落書きの問題こそ解決したけれど、あれから気持ちが落ち着かない。あの日のこと、思い出すたびに心が乱れる。


 傷をさらに彫りつけるなどという行為は、やはり思慮に欠いていた。そして何より、そのことで彼女に弱みを握られたようで、ずっと気分が晴れない。



 授業合間の休み時間。

 お手洗いから教室に戻ってくるタイミングで、私は数人の女子とすれ違った。端を歩く私に対して、向こうは横並びに廊下の中央を闊歩していた。

 

「よっ」


 すれ違いざまそのうちの一人が、元気よく手を上げた。左藤ひまりだった。

 私はとっさに目をそらした。そして気づかなかったふりをして素通りをした。どう反応すればいいのかわからなかった。

 だけどそんなことで、また何か一つマイナスを背負った気がした。




 昼食は基本的に自分の席で食べる。

 もちろん一人だ。誰と会話することもない。


 食事は簡単に済ませる。自分で作ったお弁当を持ってきたり。もしくは事前にスーパーで買ったパンを持ってきたり。


 食べ終えたら、いつも学習室か図書室に向かう。

 わざわざやかましい教室にいる必要性を感じない。

 その日も早々に昼食を終えて、弁当箱を片付けようとしたときだった。


「あのーお隣、いいですか?」


 ななめ後ろから声がした。

 振り向くと、左藤ひまりがわざとらしく笑顔で小首をかしげていた。紙パックの飲み物と、袋に入った惣菜パンを手にしている。購買で買ってきたものらしい。


「私の席じゃないので、私に聞かないでください」


 隣は空席だった。隣の男子生徒は、昼休みが始まるなりどこかに消えた。

 ひまりは「すいません、お借りします」などと一人で小芝居をすると、隣の席の椅子を引き出して座った。そして勝手に私の机の上に飲み物とパンを置く。


「なんですか?」


 私が尋ねると、ひまりは不思議そうな顔をした。


「なんですかって、なんですか?」


 おうむ返しされて、私は言葉に詰まる。彼女は楽しそうに笑った。


「あれ、ご飯は?」

「もう食べ終わりました」

「はやっ。てかさ、いっつも一人で食べてるの?」

「そうですけど」

「まじか。やばい一人だよ一人、とかってならないの?」

「別に⋯⋯。それでなにか害があるなら対応を考えますけど」

「ふぅん? なんかロボットみたいだね君」


 へへへ、と笑いながらひまりは紙パックにストローを突き刺す。

 一度口をつけて離すと、かすかに紅茶の香りが漂った。


「なんかこの前とイメージ違うね。もうちょっと熱い人なのかと思ったけど」

「熱い?」

「だって、必死な顔でさ。彫刻刀持って」


 急にかっと頬が熱くなる。

 もっとも触れられたくない部分だった。的確に急所をえぐってくる。頭の中を見透かされているのかと思った。

 気づけば私は声を荒らげていた。

 

「だ、だからそれはっ……!」

「お、珍しいとこにいるじゃ~ん」


 私の声は遮られた。

 机の前で、二人組の男子生徒が立ち止まった。クラスメイトのようだが、もちろん私の知り合いでもなんでもない。声をかけられたのは私ではなく、隣のひまりだ。


 そのはずが、やけに視線を感じる。二人のうちの片割れが、じろじろと私の顔を見てくる。

 もう一人の背の高い男子がひまりに声をかけた。


「お前、武内さんに変なちょっかい出してんなよ」

「え? 翔知り合いなの?」


 男子生徒の口から私の名前が出て少し驚く。私はこの男子のことを知らない。もちろん会話したこともない。

 真ん中で分けた髪は不自然に茶色い。ブレザーの前を全開。ネクタイを緩めている。


「武内さんってめちゃめちゃ頭いいってさ。学年でも片手で数えるぐらいだって。先生が言ってた」

「まじ?」


 ひまりが目を丸めて私を見た。

 この学校ではテストの点数の張り出しなどは一切されない。私自身、誰かとテストの点数を共有するようなこともない。

 彼が特別教師と仲がいいということなのかもしれないが、ずいぶん管理がずさんだ。


「カラオケの話聞いた? お前、なんで断ってんだよ。ヒマだろどうせ」

「は? ヒマじゃないしぃ」


 私のことをそっちのけで、男子生徒とひまりが会話をする。

 私は席を立ち上がって、図書室に向かおうとした。背後から呼び止められる。


「あ、武内さん。ひまりと仲いいんだったらさ、どう? 今日カラオケ一緒に」


 男子生徒の目が私を見ていた。一同の視線が集まるのを感じる。

 私はためらうことなく答えた。

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