第19話

「どうか、頼む、ぅっ!? うゔッ!?」


 頭を踏みつけられた土下座マンは変な奇声を上げて、手足をばたつかせた。踏みつける足の力は緩むどころか、ぐっと強まったように見えた。

 あたしは慌てた。どこからともなく現れた彼女に言う。


「え、ちょっ……な、なにしてんの!」

「何って、聞くに堪えないから踏んでるだけですけど」


 千尋はいつもの淡白な表情と口調で言った。

 足に力を込めながら、無機質な目で見下ろしている。 


 その横顔を見て、一瞬背筋がぞくりとした。

 怖い……というのとはちょっと違う。もちろんヤバイ……というのもあったけど、なんていうか、あれだ。


 かっこいい。

 とか、そんなふうに思ってしまった。


「ちょ、あ、あぁっ!?」


 変なうめき声が聞こえる。突然のことに山下も状況が把握できていないようだ。

 あたしも視線を地面と千尋の顔を行ったり来たり。


 どうしようどうしよう、と混乱していると、唐突に腕を引かれた。千尋はそのままあたしを引っ張って、走りだす。

 後ろから怒鳴り声が聞こえたけども無視。一緒に走って走って、昇降口前に出て、駐輪場へ。


 千尋は自転車のカゴにカバンを突っ込むと、すごい早業で鍵を外してサドルにまたがる。もたつくあたしを、早く早くとせかしてきた。


 あたしも急いで鍵を外して、ハンドルを引いてチャリにまたがった。千尋のあとについてペダルを漕ぎだす。裏手の門から、逃げるように学校の敷地を飛び出た。


 山下が追いかけてくる気配はなかったけども、あたしたちは無言で自転車を漕ぎ続けた。結構なスピードで。

 千尋を先導に縦並びに走行。車道の端っこを競輪選手みたいに走った。


 点滅する青信号に滑り込む。あたしはギリギリ赤で置いていかれそうになった。

 千尋さんチャリ漕ぐの速い。一人だといつもこんな調子なのか。

 

 けれど千尋はときどき後ろを振り返ってくれた。追手もないしもう急ぐ必要はないと思ったけど、なんだか楽しくなってあたしは黙ってあとをついていった。




 自転車を止めたのは、この前帰りがけに寄った公園だった。

 相変わらずもの寂しい公園だ。自転車を二台並べた横で、あたしたちはベンチに腰掛ける。


「さすがにここまでは追ってこないでしょう」

「当たり前でしょ」


 あたしは笑いながら千尋に突っ込みを入れる。

 冗談で言ったのか本気なのかわかりにくい。

 そもそも学校を出た時点で、山下が追いかけてくる気配はなかった。


 カバンからスマホを取り出して確認する。

 山下からなんか連絡がきてるかと思ったら、それすらなし。


 電話もメッセもなく沈黙。逆に不気味。というか明日の学校がこええ。

 今のうちにブロックしとこうか迷ったけど、結局そのままスマホをカバンに戻す。


「にしてもなんてことすんの、いきなりドタマ踏みつけるとか……」

「私、口下手なので」

「私失敗しないのでみたいに言うな」


 なにをドヤ顔で言うか。

 ここは一つお説教をしてやらないといけないかもしれない。


「ダメでしょ? いくらムカついたからって、いきなり靴で踏んだりしたら」


 なんだか子供を叱っているみたいだ。

 あたしが真面目な顔をすると、千尋は珍しくしゅん、とした表情をした。


「その、困ってるみたいだったので……。聞いてたら、ついカッとなって」


 また悪い癖が出たらしい。

 千尋は急に力なく首をうなだれた。強気な態度から一転、しっかり反省はしているみたいだ。

 あたしは自然と千尋の頭に手を伸ばしていた。


「でも、千尋はあたしのこと、助けようとしてくれたんだよね」


 髪に触れる。

 少しボリュームのある黒髪は、見た目に反してさらさらと柔らかい。

 優しく指先で撫でつけると、頭が動いて、アーモンド型の瞳があたしを見た。

 

「ありがと」


 見つめ返して笑いかける。

 嫌がられるかと思ったけども、千尋はあたしの手をのけたりはしなかった。

 ちょっとだけ目をそらして、撫でられるがままになる。若干顔が赤い。


 意外な反応だった。

 というかなんであたしもあたしで、当然のように頭を撫でているのか。よく考えるとおかしい。


 今になって急にドキドキしてきた。頭に血が上ってくるような感じがして、顔が熱くなる。

 でもなんか突然やめるのもあれだし、髪の手触り気持ちいいし……。


 ベンチに座ったまま、しばらく無言で千尋の頭を撫で続ける。

 横の道路を車が通った。自転車に乗ったおじさんが通った。でも見られてはいない。気づかれてない。


 いやそういう問題じゃない。

 千尋はなんも言ってくれない。視線を足元の石畳に落としたまま。

 

 このままだときりがない。一度手を止めて、おそるおそる千尋の顔を覗き込む。

 困ったような怒ったような、とても複雑な表情をしている。


 千尋のことだからそんな表情というほど大げさなものではないのだけど、いつもの仏頂面とは違うのがわかる。

  

 なんだろこれ、なんか変な空気。気まずい?

 異変を察知したあたしは、やっとこさ頭から手を離す。そしてごまかすように、千尋の背中を手のひらで叩いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る