第37話

「一回、落ち着いたらどうですか」


 冷水をぶっかけるような声を発したのは千尋だった。そういう本人の声は至っていつも通り。落ち着いている。

 はっとしてあたしが振り向くと同時に、聖奈は千尋を睨みつけた。

 

「武内さん。あなたは部外者でしょ? 余計な口挟んで邪魔しないでくれる? この話には関係ないんだから、さっさと出ていって?」


 聖奈の口ぶりには容赦がなかった。

 けれど彼女のいうとおり、千尋は部外者だ。


 それこそ巻き込みたくなかったし、知られたくなかった。そういうのとは無縁のところで、仲良くなったはずだったのに。

 

 あたしにとって、彼女とのことはとても大切なことだったのかもしれない。友達が増えてくると、仲良くなるのはその友達の友達とかばっかりになる。

 初対面からある程度話が通ってたり。あのバスケ部の~で下駄履かせてもらったり。

 

 けど千尋はあたしのことを知らなかった。

 初めての友達って、こんな感じだったんだろうかって、新鮮な気持ちだった。やらかしてきた失敗を全部リセットして、また一からやり直しているような、そんな感覚だった。


 でも結果、こうなった。

 きっと今回のことで嫌われただろうな。千尋は感情とか、考えとか、はっきり口にしないからわかりにくいけど、心の中ではあたしに失望しているに違いない。


 別に騙すつもりとか、隠すつもりはなかったんだけど⋯⋯いや、隠すつもりはあったか。

 ごめん、なんて心のなかで謝っても、聞こえるはずもなく、伝わるはずもなく。やっぱあたしって、最初は人当たりよくても、最後は嫌われるんだなって。薄っぺらいから。 


 あたしはもう千尋の顔を見れなかった。

 これ以上迷惑かけたくなかったし、いっそのことあたしも「千尋は関係ないから出てって」って言おうかと思った。

  

「いえ、部外者じゃないです」


 なぜか千尋は変に食い下がった。

 やっぱりあたしは千尋に出ていくように言おうとした。 


「私、ひまりのこと好きなので」

 

 場が、しいん、となった。

 

 なんて言ったのか、一瞬耳を疑った。

 でも千尋はたしかに言った。はっきりと、聞き取りやすい声で。


 ⋯⋯えっ?

 それって⋯⋯なに? 

 あたしのこと、すき⋯⋯?


 ひまりのこと好きって⋯⋯なにそれ。どうしちゃったの急に。

 え、ていうか、まじで? なんで? ほんと? どういうこと? やばいって。やばいやばい。

  

 急になにもかもがどうでもよくなった。

 落書きとか犯人とかバスケ部とか。ガチで今もうそんなのどーでもいい。 

 そんなことより千尋の話を聞きたい。今すぐ話をしたい。

 

「ち、千尋?」


 あたしはおそるおそる千尋に視線を向けた。

 千尋は恥ずかしそうに顔を赤らめて、照れた顔で、あたしをじっと見つめて⋯⋯なんてことはなく。


 これ以上なく真顔だった。

 そしてあたしじゃなくて、まっすぐ聖奈を見つめ返していた。


「な、なにを⋯⋯」


 千尋に見つめられた聖奈がたじろいだ。

 ガチギレモードに入って、まさに般若のようだった聖奈が。


「アタシ、聖奈のこと好きだから!」


 今度はいきなり咲希が叫んだ。

 は? と一同の注意が向く。すっかり目を見開いた聖奈が、悲鳴みたいな声を上げた。


「な、なに!? 咲希も、急になに!」

「聖奈は、どう思ってる!」


 ほっぺたを赤くして半泣きになりながら、咲希が聖奈に詰め寄った。

 なんだこれ、どうなってる。

 理解が追いつかない。いやまあ、普段からはたで見ていても、そんな気がしなくはないけど。

 けどなんで今? なんで今言った? 千尋に乗っかった?


「わ、わたしも、咲希のことは好きよ? でも、今回のことは⋯⋯」

「それはみんなに言ってるやつでしょ。そういうんじゃなくて!」

「そ、そんな、急に言われても⋯⋯」


 聖奈は先ほどとはうってかわってうろたえはじめた。

 そんなこと、思いもよらないみたいな反応だ。聖奈も聖奈で咲希のこと、なんとなく察してるのかと思ったら、そんなことなかった。どこぞの鈍感主人公ばりにめっちゃ焦ってる。


「じ、じゃあひまりは! ひまりは誰が好きなの!」

「え、えぇ!?」


 かと思えば急にあたしに振ってきた。

 なに? なんなのこの流れ。いきなり告白合戦みたくなってる。


 あたしはちら、と千尋の顔色をうかがう。

 千尋は表情一つ変えずに無言で、顔の近くでピースサインを作った。

 なんだそのアピール? やる気あんのか。煽ってないか。


「そっちがそっちとくっつけば丸く収まるじゃん! だから話したのに!」


 咲希がいきなりあたしの背中を押してきて、千尋の側に寄せようとする。

 もしかして咲希が無関係なはずの千尋にゲロったって、そういう理由?

 

「ち、ちょい、おすなおすな!」

「なに言ってるのよ、そんなの認めるわけないでしょ!」

 

 聖奈に横から腕を引っ張られる。

 あたしと目が合うなり、聖奈は顔を真赤にして顔をそむけた。

 

「わ、わわ、わたしは、その、ひ、ひまりがっ、べつにそのっ! 好きとかって、そういうあれじゃないけど!」


 とかいいながら、ゆでダコのように顔が赤くなっている。

 なんだその、いにしえのツンデレみたいな。聖奈のこんな表情、初めて見た。

 あたしが戸惑っていると、千尋がさらりと口を挟んだ。

 

「聖奈さんはひまりのことが好きだそうです。そう言ってました」

「ち、ちょっとっ! な、なんでバラすのよっ! あ、じ、じゃなくて!」


 え? 聖奈もあたしのこと好き? 

 なに? なにがどうなってる? もうわけわかんないよ。


 だって聖奈って、顔を合わせればあたしに小言言って、文句言って、たまに思い出したかのように優しくご機嫌取ってきて。 

 

 でも基本根が真面目だから、あたしみたいなテキトー女とは合わないんだろうなー嫌いなんだろうなーって思ってたんだけど。

 聖奈はみんなに好かれてるし男子からも人気あるし、それでなんでよりによってあたし? って感じなんだけど。


「ずっと前から好きだったって、長々と語ってたじゃないですか。聞いてもないのに」

「ち、ちがっ! だからそれは! それ、今ここで言うことじゃないでしょ!」

「口止めも何もされてませんけど。てっきりオープンにしてるのかと」

「あーもううるさいうるさい! だいたい『私ひまりのこと好き』って、あなた人の真似したでしょ!」


 聖奈が千尋に食ってかかって、今にも取っ組み合いになりかける。

 止めに入ろうとすると、ぐっとシャツの腰のあたりを引っ張られた。咲希が恨めしそうな顔で見上げてくる。


「結局ひまりは誰が好きなの! 一人だけ言わないのずるい!」

 

 ずるいってなんだ。 

 もうここで何言っても荒れる未来しか見えない。


 けどさっきのガチシリアス雰囲気よりは、こっちのほうがずっとやりやすい。むしろ得意分野かも。あたしはここぞと声を荒らげる。

 

「ずるいってか、あんたらが勝手に始めたんでしょーが! 巻き込まないでよ!」

「ふん、だいたいどこがいいのこの顔面バスケボール女の!」

「はああ? うるせえ顔面ミニバスボール! おっぱいトラベリング!」

「ど、どういう意味!?」

「おめーはいつもぎりぎりで余計なパス投げてきやがって! そんであたしが外したらドンマイじゃねーよ自分でいけよ!」

「パスパスうるさいからでしょ! すぐスタンドプレーだから嫌われるんじゃん!」


 くっそこのチビ泣かしたろか。

 てか文句あるなら落書きとかじゃなくて、こうやって正面から言ってくれたらまだやりようあったのに。

 

「いいのよ咲希、ひまりは天才なんだから言う通りにすれば」

「聖奈がそんなだからダメなんじゃん! このままだとダメになるって、みんな言ってたんだよ!」

「もうダメなんじゃないですか。体育で素人相手にファールしてるようじゃ」

「はい? あれぐらいで大げさに転んで、そっちのフィジカルが弱いだけでしょ!」

 

 みんなすっかり興奮してしまって、落ち着きがなくなっている。言いたいこと好き放題言ってる。

 収集がつかなくなっていると、突然千尋がすっと手を高く上げた。


 今度はいったい何事かと、みんなの視線が千尋に集まる。やけに堂に入った態度に、一瞬場が静かになった。 

 一息置いて、千尋は一同を見渡した。それからやたら通る声で言った。


「じゃあ、わかりました。バスケで決めましょう」


 ⋯⋯は?

 

 千尋をのぞいた全員が、ぽかんと口を開けた。

 みんなの視線の先で千尋は、これ以上なく真面目な顔だった。

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