第38話

「いやいやそれじゃ全然わかんないから。千尋の頭の中ではわかってるのかもしれないけど」


 ひまりがテーブルに広げた数学のノートをシャーペンでつつく。

 昼下がりの静かな午後。喫茶オルターナに私たち以外のお客さんの姿はなかった。

 叔父はカウンターの奥でラジオを聞きながら、暇そうに新聞を眺めている。


「なんでそれでわからないのか逆にわからないんですけど」

「なんで煽ってくるのか意味がわからないんですけど」

  

 私とひまりは学校帰りの制服姿だ。

 初日のテストが終わった足で、そのままここに立ち寄った。


 明日からの土日を挟んで、まだテストは続く。私はひまりに請われて、最後の追い込みを手伝わされていた。もう遅い気もするけど。


「あーもう一回休憩! マスターおごりのココアおかわり!」


 ペンを置いたひまりが奥へ呼びかけるが、返事がない。

 どうやら叔父は寝落ちしているようだ。ひまりは頬杖をついて口をとがらせる。


「何この店、やる気あるの? はぁ⋯⋯てかさ、テスト土日挟んでくるとか嫌がらせでしょガチで」


 コロコロと話題が変わる。 

 口では不満そうだが、ひまりの顔に陰りの色はない。それどころかなにか思い出すように、おかしそうに口元を緩めた。 

 

「あれ最後さ、おもろかったよね。変なのが乱入してきて」


 さんざん揉めたあと、体育館に忍び込んで四人でバスケをした。

 けれど結局なにも勝負はつかなかった。というか、なにをどう決着つけるつもりか考えてなかった。


 2on2ではしゃぎながら普通にバスケしただけ。

 みんなハイになってたこともあって盛り上がった。途中でペアを変えて、私が聖奈と組んだりもした。


 そのうちになぜか山下と佐藤翔が顔をのぞかせて邪魔をしてきた。

 私たちがごちゃごちゃやっていたのが気になって、後をつけていたらしい。


 小花咲希が「男は消えろ!」だとか言って彼らにボールをぶつけ始めた。ひまりや聖奈も面白がって真似をした。いつの間にかバスケからドッジボールになっていた。

 そのうちに教師に見つかって、体育館をつまみ出された。


「本当は落書きした全員を引きずり出して土下座させたい気持ちはありましたけど」

「君ざまぁするやつとか好きそうだね。聖奈と君やっぱ似てるね」

「ひまりがやめろって言うから」


 結局、ひまりはバスケ部には戻らないことを決めた。


 私は小花咲希を屋上前の踊り場に追い詰めたときに、彼女からだいたいのあらましを聞いた。

 ひまりが周囲のやっかみで、軽いいじめを受けていたこと。もしバスケ部に戻るとなると、また荒れるかもしれない、ということ。 

 

「本当によかったんですか?」 

「だーかーら、何度も言ってるでしょ。あたしは、たまーに楽しくバスケできればそれでいいって」


 彼女の言葉は、一見強がりのようにも聞こえる。自分から身を引くために、そう言っているようにも聞こえる。

 

 けれどあのとき、四人でバスケをしたとき。

 ひまりはこれ以上なく楽しそうだった。私がまだ見たことのないような笑顔をしていた。生き生きとプレイする姿は、傍目にも輝いて見えた。つられて私も楽しくなった。


「でも、ひまりが一人だけ、割りを食うみたいなのは⋯⋯」

「ワリオ食う? ワリオなんて食わねーよ」

「損するってことです」

「あたしだけ損? 全然そんなことないよ。むしろ得してる」

「え?」

「だってそのおかげでこうやって、千尋と仲良くなれたんだから」


 思いがけないことを言われて、私は口をつぐんでしまう。

 そんなふうに言われたら、もう私には何も言えない。これ以上は、それこそありがた迷惑。余計なおせっかいというやつだ。

 

 ただ問題は、聖奈まで部活をやめる、と言い出したことだ。

 とりあえずそれはちょっと待て、で話が止まっている。彼女としては、ひまりの意を汲んで公にはしないにせよ、犯人たちに謝罪はさせるべきだ。という考えらしい。

 テストが終わったら本格的に動くと言っていた。もしかすると、また一波乱あるかもしれない。


 そしてその後、聖奈は私に泣きながら謝ってきた。

 勘違いでおかしな言いがかりをつけてごめんなさいと。 


「お詫びにごちそうするから、テスト終わったら二人でパンケーキ行きましょうって⋯⋯」

「それ狙われてんね」

「は?」

「武内さんってなんか、ブレなくてカッコイイねって言ってたよ」

「え?」

「思い込みが強いって、そのぶん惚れやすいって。彼女ちょいヤンデレ気質あるからね」


 おごりなら、とすでに申し出を快諾してしまったあとだ。

 まあきっと、ひまりの冗談だろう。なにもないとは思うけども。

 

 ひまりはほとんど中身の入っていないはずのティーカップを口につけた。それを傍らに置いて、変な間を開けてから言った。

 

「でもその前に千尋さ、あのとき、あたしのこと好きって言ったよね」


 ちら、とご機嫌でもうかがうように私の目を見た。まっすぐ見つめ返すと、ひまりは目を横にそらした。


「ええ、言いましたが」

「い、言いましたがって、そ、それって⋯⋯」

「売り言葉に買い言葉で」

「は?」

「だって部外者が邪魔しないで、って言われたら、そうやって返すしかないじゃないですか」


 私が言うなり、ひまりはがたっと椅子を立ち上がった。テーブルに手をついて身を乗り出してくる。


「はぁああ~? なんだそれ、お前騙したのかあたしを! 嘘つきか!」

「騙したってなんですか? じゃあ好きって言ってほしかったんですか?」

「えっ? そ、それは⋯⋯」


 せっかく立ち上がったかと思えば、ひまりはすごすごと腰を下ろした。

 顔を赤らめてうつむきながら、口先だけでモゴモゴ言う。  


「そ、そりゃあ⋯⋯嫌いって言われるより好きって言われるほうが、いいに決まってるじゃん」

「じゃあ、いいですよそれで」

「え? それって?」

「ひまりLOVEで」

「なんだそれ」


 真顔でつっこまれて、今度は私が目をそらす番だった。

 正直なところ、他に言いようはあっただろう。けれど直前に聖奈から「ひまりのこと好きなの」と言われ、つい負けん気を出してしまった。


 でも本当に、それだけなのだろうか。 

 もちろん彼女のこと、嫌い、ではないし。普通、というのも変だし。

 なら好き、というところに収まるのは妥当だろう。何も変じゃない。

 それで嘘つき呼ばわりされるのは心外だ。


「ん? それか、いま恥ずかしくてわざとふざけたか~?」


 ひまりがにやつきながら、私に向かって人差し指をくるくる回してくる。

 そういう当てこすりはだいたい外れるけども、たまに的を射てくる。急に前言撤回したくなってきた。

 

「ま、知ってたけどね! 千尋があたしにぞっこんだってことぐらい」

「そっちこそなんか、照れてます?」

「は、はい? ど、どこがですぅ?」


 恥ずかしくてわざとふざけてる、はひまりのほうこそだ。

 とぼけるふりをして、若干顔が赤らんでいる。ひまりは急に話をそらすように、がらんとした店内を見渡しだした。

 

「それよりあたしここ、ガチで気に入った。この静かで今にも潰れそうな感じがいいよね。汗臭い体育館なんかよりね」

 

 ひどい言われようだが、今日はたまたまだ。

 いつもはもう少しお客さんの影がある。


「あのさ、この前のバイトの件やっぱダメかな? 『ここで働かせて下さい! ここで働きたいんです!』ってしつこく言ったらいけるかな?」

「なんですか? それ」

「え、うそ知らないこのネタ? 千尋なのに?」


 私はカウンターの奥をちらりとのぞき見た。

 叔父は椅子にもたれて、こっくりこっくりうたた寝をしている。以前にもそんな話はしたが、あれはあの場限りの冗談ノリかなにかだと思っていた。

 

「本当に働く気あるんですか? 冗談じゃなくて?」

「当たり前ですよ、本気と書いてガチですよ。⋯⋯はぁ、鈍いなぁ。つまり千尋ルートを選んだってことなのに⋯⋯」

「じゃあ叔父が起きたら聞いてみましょう。私からもお願いしてみます」

「え? それはどういう心境の変化⋯⋯」

「でもその前に、コーヒー飲めるようにならないとダメですね」


 私の手元で湯気を立てているティーカップをすすめる。ひまりは無言で手を押し返すようなジェスチャーをした。無声映画のような身振りで飲めません、のアピールをする。


「あのさ、千尋。ありがとね」

 

 急に彼女の声がトーンダウンした。

 微笑の上で真剣な眼差しが、まっすぐ私を見つめていた。


「なんですか、突然」

「いやなんか、言いたくなって」

「それは⋯⋯何に対して?」

「ん~いろいろと。とにかく、たくさん」

 

 彼女はどこか気恥ずかしそうに、けれどうれしそうに笑った。カーテンから漏れた光が横顔を照らして、笑顔をよりいっそう眩しくした。 

 

「千尋には頭上がらないね。もうこんな感じ」


 ひまりはべたっとテーブルの上に突っ伏してみせた。

 手を小さく上げて、降参、のポーズをとる。 


 とうとう完膚なきまでに、認めさせた。

 私の一番最初の、目的。


 助けられた借りを返すに始まり、勝手に変な負い目を感じては、彼女の行動をこっそり追っては機会を伺って。

 助けたつもりがまた助けられて、まるでシーソーにでも乗っている気分だった。


 けれど今ならあのときの借りを返せたって、胸を張って言えるかもしれない。

 やっとのことで、重荷から解き放たれた。そうしたらきっと、晴れ晴れとした気持ちになると思っていた。


 でも、違った。

 伏せった彼女を見下ろしながら、胸のもやもやは大きくなっていた。

 気分は晴れるどころか、どんどん暗く淀んでいく。


 なぜだろうと考えた。

 ひまりの問題は、完全に解決したわけじゃない。よくできた物語のように悪者を見つけてやりこめて、きれいさっぱり終わりになったわけじゃない。

 

 私がもっとスマートに、賢く物事を運んでいたら、また違ったのかもしれない。

 そもそも私のしたことは、正解だったのだろうか。私が彼女を助けた、なんていうのは、当事者がそう思い込んでいるだけであって、第三者が冷静に見たらそうではないのかもしれない。


 なんて考えだしたら、きりがない。

 それに、どれもこれも見当外れだと思った。

 

 なぜなら答えはきっと、もっと単純なことだったから。

 誰にだってできるはずの、シンプルなこと。それなのに、なぜか私はそうしなかった。意固地になっていたのか、すっかり頭から抜け落ちていたのか、今となっては定かじゃないけれど。 

 

「ひまり」


 私は彼女の名前を呼んだ。

 自分が発したものとは思えないほど、柔らかい声だった。 

 顔を起こした彼女も驚いたような表情を浮かべていた。


 私はその顔に向かって言う。

 ずっと言ってなかった⋯⋯本当はいちばん最初に、伝えなければならなかった言葉を。

 不器用なりに、めいっぱいの笑顔を作って。


「ありがとう」 






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お読みいただきありがとうございました。ここでひとまず完結となります。

よろしければ評価などいただければ幸いです。

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陽キャ女子に弱みを握られたので握り返してやることにしました 荒三水 @aresanzui

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