第二十八話 お布団みたい

 その後、二、三の確認をして、話を切り上げた。長い話し合いを終えた四人の腹づもりは各々わずかに異なるものだったが、目先の目標は同じくしていた。


『ギルバード・アスターの王立中受験を無事に終えさせる』

 立場も住まいも違う四人に、奇妙な連帯感が生まれていた。


 帰る前に、ギルバードに一度挨拶をしたいとブランドンが言うので、授業中の彼を教室の外に呼び出す。先のメンバーが待つ、応接室まで連れていった。


「ねえ、さっきの人、誰ですか?」

「今から会わせる。お前の叔父さんだ」

「おじさんって……」


 信頼している、という姿勢を見せなければ、うまくいくものもいかない。ブランドンに対する嫌悪感は飲み込んで、ギルバードに奴のことを紹介した。


 応接室の扉を開く。カイがまた何かされていないかと気が気でなかったが、何もなかったようだ。ギルバードを見て、心配そうに目を細めていた。


 ブランドンは、お前そんな顔できたのか、と聞きたくなるような優しげな微笑みをギルバードに向けた。マキシアンの顔にも、同じことが書いてある。


「初めまして。ギルバード。僕はブランドン・アスター。君の叔父に当たるものだ」

「初めまして」


 握手を交わす。一般的な間をおいて、すぐに離れる。


「僕は王立中で教師をしている。君がうちの学校を目指して、勉強を頑張っているってカイに聞いたよ。叔父として、とても嬉しい。君が来るのを心待ちにしている。何か困ったことがあったら、オリバー先生を通じてで構わないから、僕に教えてくれ。必ず力になる」


 伝えたのはそれだけだった。常識的な対応をするブランドン、というタイトルをつけて額に入れたくなるほど、珍しい姿だった。


「ありがとうございます。がんばります」


 ギルバードも素直に答えて笑ってみせた。

 カイに目を向けると、なんとも言えない微妙な表情をしていた。そりゃそうだ。


「今は授業中だったよね。ごめんね、途中で抜けさせてしまって。もう戻って大丈夫」


 ブランドンが、ギルバードのために扉を開ける。少年は恐縮して頭を下げて、扉をくぐり、カイに向けて小さく手を振る。

 扉を閉めてから、ブランドンが言った。


「ギルバード素直でいい子じゃん。召使なんかに育てられて、どうなってるのかって心配だったけど、やっぱ血は水より濃いね」

「そうですね、小さい頃から、ギルは優しいいい子でした」


 傷つく様子もなく、カイは穏やかに答えた。


「カイが父親がわりをして育てたから、ギルバードは素直なんだろ」

 オリバーが反論するが、ブランドンは取り合わない。


「目的も達成したし、じゃあ、次はマキシアンの娘さんに会いたいな!」

「いや、会わせないけど」

「は? やだ」

「うるせーうるせー。若い男の子いじめるろくでもない奴を、娘に会わせるわけないだろ」

「ええー」


 次はマキシアンが取り合わなかった。ちらっとオリバーとカイに目をやって片方の口角を上げてみせた。ちょっとした仕返しらしい。


◆◆◆


 ブランドンとマキシアンが、言い争いながら去った後、カイと二人で応接室にいた。


「ああ、今日の仕事、もう間に合わないや」


 陽の傾き具合を見て、カイが落ち込んだように言った。


「すまなかった、こんなことになって」

「オリバー先生悪くないし」

「いや、もっと早く言っておくべきだった」

「こないだ、気になることがあるって言ってたのが、ブランドンさんのことだったの?」

「そう」

「なかなか会えなかったもんね」


 気遣うみたいにオリバーに身を寄せて、微笑む。二人きりで話せるのは嬉しいが、表情に出ないように気をつけた。


「その……さっき大丈夫だったか。ブランドンになんか、されたの」

「大丈夫。だけど、恥ずかしかった……」


 唇を尖らせて、俯く。愚問だった。


「そうだよな。悪い。……しかし、あんな奴に従う必要なんて一つもない。嫌なら嫌と言っていいのに」

「ううん……俺は生まれた時からアスター家の召使いだから、ああするのが当然なんだ。

 偉い人は偉いと立てるのが、一番楽。まあ、ギルバードに危害を加えるならそうはいかないけど」


 常識が違うらしい。オリバーにとってブランドンは嫌な同窓生だが、カイから見ると、言うことは絶対の高名な方。思わず唸ってしまう。


「なんで、あの人と知り合いなの?」

「ああ……王立中で同窓だったんだ」

「そうなんだ。じゃあ、仲良し?」

「そう見えるか?」

「いや、見えない」


「あいつは、俺が祖父との事件を起こしたときに、きっかけになった奴で……。ブランドンが箒から落ちて、それを祖父が受け止めて腕を折ったんだけど」

「ああ……、因縁の相手なんだ」

「そうだ、ずっと何かしらある」


「……さっきあの人、殺してもいいとか言ってたけど。魔法ってそんなことができるの?」

 王立中での、ブランドンとの会話を思い出して、気分が悪くなる。


「基本、魔法で人を傷つけることはできないようになっているらしい。俺は、祖父の件で、それができてしまった。……一度使えた魔法を忘れることはないから」


 カイがオリバーのことをじっと見つめる。何を考えているんだろう。下がった眉に心配が滲んでいるのを感じ取って、なんでもいいから言葉を継ぎたくなる。


「でも、オリバー先生はそんな魔法二度と使いたくないでしょ? つまりできないってことだ」

「ああ……そうだな。そのせいで治癒魔法もまともにできなくなって、本当役たたずって感じで自分が嫌になる」


 カイは黙り込んで、瞬きを繰り返している。申し訳なさそうに、唇を噛んだ。


「役立たずなんかじゃないよ。……ごめんね。オリバー先生のこと励ましたいのに。俺は、気の利いた言葉を知らない」

「いいよ、励まさなくて。俺も同じだ。嫌な目にあったお前を元気づけたくても、どうすればいいのか分からない」


 澄んだ瞳にオリバーが映る。彼の素直な言葉に癒されている自分に、ふと気づく。励ましたい、という気持ちを持ってくれている人がいるというだけで、どんなに救われるか。


「……仕事なくなったんなら、飯でも食べにいくか。暇なら付き合ってくれたら嬉しいんだが」

「いいね。あ、そうだ」


 カイはソワソワしている様子を見せた。

 可愛い、と心の中で呟いてしまいながら、普通の顔して聞いてみる。


「どうした?」

「あの……こないだ。ギルがオリバー先生が気晴らしで夜間飛行に連れてってくれたって、自慢してて」

「ああ」


 内緒話をする時みたいに、丸めた手を口元に翳して、オリバーの耳に顔を寄せた。


「俺も……空、飛んでみたい。おねがい、してもいい?」


 ちょっと恥ずかしそうに声を顰める。堪えていたはずなのに、オリバーの頬は緩んでしまった。カイを見つめるまなこに燈る優しさは、本人には自覚ができない。滲み出るものだった。



 オリバーは、カイのお願いを聞き入れて(断るわけがなかった)、空を飛べる場所まで行くことにした。それは街外れの森の中。カイと初めて話した森の入り口を通った。ここならば、低く飛んでも文句は言われないだろう。


 箒を浮かすと、カイは目を輝かせて、それに指先で触れた。


「これ、どうやってるの?」

「魔法の素……、魔法持ちなら感じられる粒子みたいなのがあるんだけど、それで気流を作って浮かせている」

「すごい」

「物を浮かせるのは初歩中の初歩だけどな。ほら、先に跨って」

「はーい。……こう? であってる?」


 つま先だちでわずかに尻を突き出すのが、なんというか……。オリバーは邪な気持ちを捨てるために、額に拳を押し当てた。


「間違ってる?」

「……いや、あってる。悪い。ちょっと頭が」


 オリバーはその後ろにまたがり、緊張しながら、彼に腕を回す。抱きしめるわけではない、ただの固定だ、と自分に言い聞かせて、ぐいとその体を自分の胴に引き寄せた。


 ああ、細い。骨の当たる感覚と柔らかな腹の感触、集中できそうになかった。あまり高くは飛ばない方がいい、これは。


 そんなオリバーに気づきもせず、カイは感嘆の声をあげた。

「オリバー先生、やっぱり体大きいなあ。お布団か冬眠前の熊みたいだ」


 顔を振り向かせた。頬と鼻先が触れ合いそうなほどの至近距離で、カイは笑っていた。


「早く飛びたい。飛ぶ時はどうするの」

「ああ……気流で自分ごと包むみたいにして、地面を蹴って、勢いよくっ飛び上がる」

 説明しながら、同時にその通りの動作をした。木の隙間を縫って、空に浮く。


「飛んでる! すごいすごい」


 カイが楽しそうで、オリバーは素直に嬉しい。

 木のてっぺんに当たらないギリギリの低空を浮遊して、森の上を何周か回ってみる。


「オリバー先生、ありがとう。元気出た」


 そんなカイの言葉を締めに、地面に降りた。もっと高く、とおねだりされなくて、本当に良かった。心臓が破れそうだった。


 箒から降りて、笑顔のカイがオリバーに向き合った。

「楽しそうで良かった」

 思わず漏れた言葉だ。優しい顔をするオリバーを、カイは眩しそうに見る。


「オリバー先生が笑ってくれると嬉しくなっちゃうな」


 顔が熱くなる。口説くような言葉を一切の邪心なく贈ってくる。やっぱりギルバードが素直にまっすぐ育ったのは、こういう男に育てられたからだろう。


 顔の火照りを誤魔化すために、帰るぞと一言だけ返して、歩き出す。

 カイは、お布団みたいな彼が、照れているのを分かっているのか否か。軽い足取りでついていく。


「ねえねえ、魔法の素ってどうやったら感じれるの?」

「急になんだよ」

「気になって」

「うーん……どうやったらも何も。魔法持ちにとっては常に肌に触れてる感覚だからな」

「なるほど」

 今日のカイはやたら魔法に関心があるようだった。元気になってよかったな、とオリバーはそのつむじを見守った。

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