第四十二話 彼のことを想うと

 のんびりと二人で歩いていたが、先に進むにつれて、カイが夫人に襲われた、あの場所に近づいていってることに気づく。

 お気に入りって嘘だろ、と思うが、予想を違えず着いたのは、街と森の境目のあの場所だった。


「本当に……? ここがお気に入りでいいのか?」

「うん」


 木々の間を風が通って、ざわめくのが耳に心地いい。木漏れ日が皮膚を温める。確かに悪い場所ではなかったが、血の跡だと分かるものが樹の肌に見えて、嫌なことを思い出さないのかと、気がかりだった。


 それを黙って見下ろしていると、不意にカイがオリバーの手を取った。遠慮がちに指先で触れて、そっと持ち上げる、優しい触れ方。急にどうしたんだろうと、はにかみながらカイを見ると、彼は目を瞑っていた。


 そのまま待つが……何も起こらない。

「……どう? 伝わった」


 真剣な顔で問われて、オリバーは眉を下げた。

「いや、何も……」

「えっ」


 カイは驚いた後、頬を赤く染めて、モゴモゴ言う。


「あの、魔法持ち同士だと気持ちが伝わるんでしょ。触って願ったら」


 そういうことか。

 オリバーが優しく微笑んで、カイの手を握り返す。


「それだけじゃだめなんだ。魔法の素を皮膚に伝うイメージで、内側の気持ちの熱を乗せる。こう」


 オリバーが目を閉じて、気持ちを流し込む。彼のことを思うと暖かくなる胸の内を、祈るように伝えた。カイの顔は一層、赤くなった。


「伝わるか」

「分かった……。うう、でも俺できないかも。あんま、魔法の素とか感じ取れないし。ちっさい頃から」

「まあ、人それぞれだからなあ。何を伝えたかったんだ? 口で言えばいいだろ」


 きっと感謝の気持ちだろうと思ったのだ。

 ――カイに抱きつかれるまでは、少なくとも。


 勢いをつけて、飛びついてきた細い体を慌てて支えて、オリバーは呆然とする。腕の中にいる彼の熱が、伝わってくる。


 挨拶の類いではない、ということは理解できた。

 どうしたらいいのか分からなくなる。抱きしめ返すこともできず、中途半端な位置で手を留めた。


「カイ?」


 名前を呼ぶと、背に回った腕に力がこもったのが分かった。


「どうやったら、オリバー先生の特別になれるの」


 焦っているような、困っているような、言い方。顔は見えないけれど、耳まで赤くなっているのは見える。


「好きって言ってくれたの、嬉しかった。まだ終わりになりたくない。たくさん会いたいし、もっと。もっと……」


 この場所での告白が脳裏によぎる。


「あの時の、あれ、聞こえてたのか」

「うん。……ギルが手を離れたらいつ死んでもいいって思ってたけど。オリバー先生の言葉を聞いて、初めて、まだ死にたくないと思った」


 顔に血が登り、目の奥がじんと熱い。彼の細い体を抱きすくめる。屈んで首筋に顔を埋める。


「なんで、今更」

「こんな気持ち初めてで、どうしたらいいのか分からなくて、ずっと考えてた。それに、ギルが王立中に入るまでは、あの子に時間を使いたかった」


 父親代わりとしてのけじめをつけたかったのだろう。真面目なオリバーは共鳴するようにその気持ちが理解できた。


「カイは……こっちに住むんだろ?」

「ううん、サンクに戻る。ギルにもそう言ってるんだ。あの子が住んでいない屋敷に留まる必要はないし」


 体温をわけあいながら、ずっとこうしたかった、と歓喜で心が震えた。こらえていた気持ちが止めどなく溢れて、腕に力をこめた。痛くないように気遣いながら。


「オリバー先生?」

「……先生はやめてくれ。なんか、悪いことしてる気持ちになるんだ」

「なにそれ……オリバー?」

「うん……」


「俺、オリバーのそばにいてもいい?」

「当たり前だろ、ギルにも頼まれてるんだから。それに、看取る時まで一緒にいたかったんだ、俺は」

「俺の方が長生きするんじゃない? でも……もし、本当にそうなったなら、その時は生きててよかったって、また思うんだろうな」


 カイの顔を覗き込む。半開きの唇を指先でなぞった。彼の全部に触れたかった。許されるだろうか、と探る気持ちで見つめた。


「かわいい顔」

 上気した頬に、揺れる瞳の表面。それで、恋をしている、と分かる。俺に……でいいのかな、とまだ自信がない。


「オリバーせ……オリバーって俺のこと、クリスマスのご馳走を見るみたいな目で見る。いつも不思議だった」

「……恋してるからだ」


 綻ぶように彼の口角があがる。淡い花の色をした小さな唇に目を奪われる。

 気持ちが通じてすぐに、手を出すのはよくない、と堅物の自分が考える。


 けれど、俺だって男だし、紳士的に振る舞おうと努めるが、我慢できないこともある。むしろ、今まで堪えられたのがすごい、だろ。しかも、人目もないし。

 思考がぐるぐる同じところを回る。


 結局、抑えられなくて、カイの顎に指をやって顔を持ち上げた。

「ん」

 小さく頷いて、まぶたを瞑ってくれたので、口づけをした。


 少し触れて離れると、新緑の瞳に捕まった。

 同時に、小さい子がそうするように、オリバーの胸板に手をやり、服の布をぎゅっと掴んだ。

 そして、恥じ入るように目を伏せて、声を震わせた。


「……俺、その、勃っちゃった。どうしよう」


 オリバーの瞳を再び、弱い光が射る。

 それは、枷を外した色彩をしていた。


 なんでこの子はこう……いっつも、直球なんだ。頭を抱えそうになる。


 素直な物言いしかできない彼を捕まえて、

「宿に来てくれるか? できれば、朝まで一緒にいたい」

 と、いい大人のオリバーは婉曲に聞いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る