第二十話 魔法の軍事転用

 顎に手を添えられる。突き飛ばしたい、けれど、曲がりなりにも貴族のこいつにそんなことはできない。


「うちで働かないかい。オリバーくん」

「いやだ」

「ふふふ、返事早すぎ。ちゃんと話聞いてよ」

「俺を傷つけることしか言わないだろ」

「傷つけたいわけじゃない。事実しか言ってないよ、僕は」


 呼吸を一定の深さで繰り返す。怒りと不安を抑えるためだ。


「僕の夢はね。魔法持ちの地位を向上することだ。君のお祖父さんと一緒」

「はあ」

「王立中は、治癒魔法に命を救われた王が、治癒師を育てることを目的に建てた。知ってる?」

「知ってるに決まっている」


 だから王立中を目指したのだ、オリバーは。


「やっぱり医療の発展って人を動かす力があるよね。でも、もっと効果的なものがあるって僕は思う! なーんだ」


 勘付きながら、オリバーは首を横に振った。


「軍事だ」


 想像通りの答えが返る。言動の端々から残虐さが垣間見えるブランドンが考えそうなことだった。


「軍事? 戦争したいのか?」

「戦争したい、っていうか魔法を使えば他国を侵略できるな、って偉い方々が思ってくれるくらいに、人を傷つける魔法を発展させたい」


 オリバーは返事をしない。


「魔法持ちが人である以上、魔法で人を攻撃することはできない。これが長年の定説だった。それを、お前は、ひっくり返した」


 聞きたくない。が、両手を取られていた。耳を塞ぐことはできない。


「……そんな定説聞いたことがない」

「そうだよなあ。オリバーくんは魔法で人を傷つけようなんてはなから考えないもんな。そりゃあ知らないか。

 お前が退学してからは、授業でよくこの話があがったんだ。マキシアンは知ってるはずだが……あいつは優しいからこんなことわざわざ伝えないか」


 興奮したみたいに、ブランドンが唇を舌で舐めて湿らせる。


「本能のたがを外したんだ、お前は。今も覚えているだろ、人の関節の壊し方を。一度使った魔法は二度と忘れることはない!」


 あの感覚が、脳裏に浮かび上がる。その通りだ、忘れることはできない。


「オリバーくんは教えてくれた。魔法で人を傷つける方法を」

「……そんな大袈裟なことか? あれは」

「偉大なことだ。僕はお前を尊敬している。魔法で人を傷つけるには、傷つけようと考えずに暴力に変換しないとならない。これを証明してくれた」


 冷や汗が滲んだ。それなりに長い年月が過ぎたが、まだ、あの事件は終わっていないらしい。


 息が苦しくなる。荒い呼吸を繰り返すと、嫌でもあの時の、祖父の顔がチラつく。


「オリバーくんの暴発を活かして、魔法を軍事転用できるようにする、って計画を掲げることで、僕はこの学校に勤めて、研究することを認められたんだ」


 そんなことしなくとも、アスター家ならば、コネを使って王立中で働く程度、造作もないはずだ。そう言い返そうとして、これは反論になっているのか、考えたくても頭が働かない。


「僕は、もっと魔法持ちの地位を向上させたい。それにはオリバーくんの力が必要なんだ。……もう一度聞かせてくれよ。

 この王立中で一緒に働いて、魔法の軍事転用についての研究を進めないか?」

「嫌だ。そもそも魔法で人を傷つけたら死刑って決まりだろう」

「えー。あのねえ、戦争のときは特別で、人を殺したら英雄なんだって」


 ブランドンがオリバーに全体重をかけてしなだれる。耳元で囁かれる。


「お願い、ちょっと考えてみてよ。悪い話じゃないよ」

「……分かった、考えてみる、が時間をくれ。今抱えてる生徒を急に放り出すわけにはいかないから」


 体をベタベタと触られることに嫌気がさして、限界を迎えた。とにかく早くこいつから離れたい。苦肉の策で、返事を保留にした。


「みーんなさ、軍事とか聞くと構えるよねえ。うちの魔法使いの兄上もだ」


 貴族は、自分よりも身分が上だったり、尊敬していたりする魔法持ちのことは、魔法使いと呼ぶ。生まれたての赤ん坊だろうと、身分が上なら魔法使い。平民と若干文化が違うのだ。だから、オリバーは、彼と話していると違和感を覚える。


「それは、ブルーム卿のことか」


 魔法使いの兄上。確かこいつの兄弟で魔法を使えるのは、現伯爵のみだ。


「そう、ってわあ」


 ブランドンの体を腕の力で持ち上げて、横にずらすように動かし、ソファにきちんと座らせる。奴の重さで腰がしびれているのか、動きづらい。


「あーあ、座り心地がいい椅子だったのに」

「悪いな、足が痺れて」

「はいはい」


 ようやくまともに息ができる。


「戦争なんて縁遠いほうがいいだろ、当たり前に」

「まあ、平和な方がいいってのは僕もそうだよ。ただ、手段としてはこの上なく有効ってことだ」


 話は終わった。オリバーは席を立とうと足に力を込めたが、膝に鉛でも乗せられたかのように動けない。ついさっき、痺れだと感じたものの正体はこれか。


「なんだ、この魔法」


 初めて経験する感覚だった。


「別に、オリバーくんと対面座位したかっただけじゃないんだよ? さっきの。僕の魔法で体を固定させたわけ」

「ああ、なるほど。そういうこともできるか」


 膝の周りを固めるように、魔法の素が寄り集まっているのが分かった。絡まったリボンを少しずつ解すように、塊を解かなければ立ち上がれない。


「もうちょっとお話しようよ」

「まだ何か?」

「別に目的がなくても、同窓ってのは近況報告で盛り上がるものじゃないか」

「そうか」


 オリバーは、生返事をして魔法を解くのに集中した。見えない重しを外側から解いていく。


「なんかさー、最近僕は焦っているんだよ。子どもの頃から、もっと魔法持ちがのさばって生きることができるように、魔法持ちの国を作りたいと思っていたんだけど……。

 やっぱ一人ではそうそうできない。このままだとあっという間に老いぼれちゃう」

「そうか」


「アスター家もやばいし。兄上は魔法持ちの子が育たないまま、もう四十も半ばを過ぎた。

 このままだと、嫡男長子のクソ凡夫が伯爵になっちゃう」


 クソ凡夫。魔法を持たない人間のことを、彼は以前からそう呼ぶ。初めて聞いた時も、衝撃を受けた。


「ブランドン、その言い方も相変わらずなんだな……」

「魔法を持たない奴らを表す言葉がないのがおかしいと思うんだよな、僕は」

「そりゃ、魔法持ちの方が圧倒的に少ないから、困らないんだよみんな。魔法持ちが、魔法持ちですって名乗ればいいんだから」

「いや、クソ凡夫がクソ凡夫って名乗ればいい」


 うんざりする。


「……」

「黙り込まないでよ」

「いや、言葉が出なくて」

「ああ、話が脱線した。オリバーくんもさあ、この島の住みよさは享受してたわけでしょ? 退学しちゃう前までは」


「ああ、まあそうだな。魔法に対する規制が緩いから」

「もしクソ凡夫が伯爵になったら、そういう優遇もなくなる可能性がある! だから、絶対絶対に、魔法持ちに爵位を継いでほしいわけ、僕は」


「そうは言っても、長男が継ぐものだろ。爵位は。俺は平民だからよく知らんが」

「魔法持ちなら、長男じゃなくても爵位継承権を得られるんだよ、それが。なんなら、庶子でも権利がある。ま、ブルーム伯爵、という爵位においての特例だけど」


 大げさに腕を広げて、ブランドンはキザにのたまう。


「たまたま兄上が、正妻との長男で魔法持ちっていう大当たりだから、今日び世間の皆様には知られてないよね」


 庶子でもいいということは、正妻ではない、愛人や妾の子でも伯爵になることができるということだ。

 嫡男長子が継ぐという原則を曲げることで、婚姻の価値も下がってしまいそうだが、そこまでしてでも、魔法持ちにこだわる家柄らしい。


「そうなのか? 貴族も大変だな。そんなに緩いなら、ブランドンもいけるんじゃないか」


 言いながら不安になった。こんなやつが領地の政治の実権を握ったら、一体どうなってしまうのか。


「兄上に子どもがいる以上だめなんだよ。まあ、甥っ子姪っ子、全員殺したらいいかもだけど、流石の僕でもそんなことはできないからさ!」


 オリバーはため息をつく。目の前の男の悪どい言葉を受け続けて、精神が疲労した。

 ちょうど、固定の魔法も解けた。ようやく立ち上がることができる。


「じゃあ、帰るな」


 雑に話を切ると、ブランドンが再び腕を掴んでくる。


「一緒にご飯くらい食べない? 船の時間もまだいいでしょ?」

「いや、もう帰る」

「断るの? 伯爵家の誘いを」


 先ほどから、逃げられない鎖で二重三重に絡め取るように引き止められて、反吐が出そうだ。


「いや……俺は貴族のことはよく分からないからな。話を聞いてもまともな助言はできないし、ブランドン様の貴重なお時間を頂戴するわけにいかない」

「嫌味〜〜」


 楽しそうに笑っている。


「僕、オリバーくんのこともっと見ていたい……」

「見ても楽しくないだろ。ただの平民だ」

「特別だよ。ねえ、治癒魔法かけてみてよ、僕に。空から落ちてみるから」


 ブランドンの口から、空から落ちるという言葉が出た瞬間、突発的に祖父のちぎれた腕が浮かんで、吐き気がした。なんとか堪えて、口元を拭う。


「無理だ。あれ以来、治癒魔法は使えないんだ」

「知ってる。マキシアンに聞いたもん」


 せせら笑われて、惨めだった。


「じゃあ……」

「でも、目の前で死にそうな人がいたら使えるかもしれないじゃん」

「やめてくれ、頼むから」

「ぬうう、トラウマ的なやつが才能開花を邪魔してるなあ。

 それを克服して治癒魔法を恐れずに使えたら、きっと人体破壊の方も暴発から進化して、きっちり使いこなせるようになると思ってるんだけど、どう?」


 早口でまくしたてられる。倒れそうなほどに心の傷を抉られる。


「無理なんだ、ごめん。ここで失礼する」


 頭を下げて、机上の魔力演算の資料を鞄の中に仕舞う。

 腕を組まれる。


「顔色悪ーい。仕方ないから、門まで送ってあげるよ」

「……悪いな」

「なんなら、一緒に学生時代の思い出の場所巡ってもいいけど」


 口を噤んで、首を振る。


「そうかあ」


 腕に絡みつかれたまま、部屋から出て廊下を歩き、来客用の出入り口を通る。


 その間も、ブランドンは延々とアスター家の愚痴を話した。

 魔法持ちを産めなくて、伯爵夫人は気が狂わんばかりだという嘆きやら、ブルーム卿はその姿を見て頭を抱えているが、特別優しい言葉をかけてはやらないという嘲笑やら。


 オリバーがよその領地の平民だからこそ、気軽にできる話なのかもしれなかった。


 来る時には空から降り立ったため、通ることがなかった正門に来る。豪奢な門がまえは、真っ白でシミひとつない。


 ブランドンはようやく、オリバーから手を引き、解放した。


「じゃあね、オリバーくん。今度は僕をサンクに誘ってくれよ」

「ああ、いつか」

「お前の教え子にも会ってみたい。王立中受験するんだろ? 名前はなんて言うの」


 こんなやつにギルバードの名前を教えたくはなかった。が、魔力演算については協力してくれたのも確かである。その点には恩義を感じたということにして、仕方なくオリバーは言った。


「ギルバードという。とても優秀な子なんだ」


 その瞬間、再び手を握られた。目にも止まらぬ速さだった。明らかに探るための手。思わず、払いのけてしまい、はっとする。無礼を詫びて、いくらでも握れという気持ちで手を差し出す。


 ブランドンがそれを強く握る。軽薄な笑みを変わらず浮かべているが、どこか硬い。 


「姓は?」


 異様な雰囲気に、嫌な予感を覚えて警戒する。


「さあな、平民ってのは苗字にこだわったりしないから、気にしたことも聞いたこともない。……それが、どうかしたのか」


 当然、嘘だ。この不安を読み取られたら、それがばれてしまう。しかし、オリバーにはそうならないという自信があったから、平然と謀った。


「ああ、いや。知り合いの名前と一緒で気になったが、平民なら違うな。……次、受験するのか?」

「そうだ。来年の二月に」

「分かった。他に何か困り事があれば、マキシアン通してでも、相談してもらいたいなあ」


 手が離れる。


「ああ、何かあれば、いつか」


 何が言いたいのか、結局分からず、棘のように心にひっかかった。しかし、できるだけ早く、ブランドンから離れたい気持ちが強く、その場を後にした。



◆◆◆



「十二歳の魔法持ちのギルバードが、そう何人もいてたまるかよ」

 オリバーが去った後、一段と目を細め、口角をかんばかりに吊り上げて、ブランドンはまじないのように呟いた。

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