第十九話 ブランドン・アスター
ブランドン・アスターとの約束の日、オリバーは王立中に向かうため、ブルーム地区へ船で渡った。一日二便、朝と夕にシクルランド本土とブルーム地区を結ぶ旅客船が運行している。
三時間ほどゆられると、ブルーム地区が見えてきた。別名、ペタル島。
この島全域の統治を任せられているのがアスター家のブルーム伯爵だ。
現伯爵の名は、ホレイシオ・アスター。魔法持ちである。若くして爵位を継承しブルーム卿となった後、同じく魔法持ちのシクルランド王の末の娘と婚姻を結んだ。
ホレイシオの、魔法持ちを優遇する政策のおかげで、この島は魔法を使いやすい環境になっている。
これから会いにいくブランドンは、ブルーム卿の末の弟である。共に学んでいたことが信じ難いほどには、身分の高い男だった。
オリバーは島に降り立ち、懐かしさに目を細めた。
退学の身となり、この地を去ってから十五年以上の月日が過ぎたが、道順は覚えている。王立中は小高い丘の上にあり、途中、山を越えていかなければならない。
オリバーは背中に携えていた箒を下ろすと、それを浮かせてまたがり、地面を蹴る。重力に引っ張られながらも、体が浮かび上がる。
ブルーム地区では、免許さえ所持していれば自由に箒で空を飛んでも許される(サンクでは、郵便配達などの決まった職業についていない限り、街中を飛ぶのは原則禁止)。
歩いていけば、二時間かかるが、空からいけば三十分。髪型が崩れないように、速度を抑える。シャツが風にはためいて、少し寒かった。
空の旅を続けていると、宮殿と見紛う建物が見えてくる。あれがシクルランド王立魔法中等学校だ。
バロック様式で建てられた校舎は、白磁の如き壁に日が反射して輝く。飾りつけるように乗った屋根はこの国の国旗に使われている淡いグリーン。
大きな時計塔が校舎の真ん中に聳えている。
オリバーは、その建物に向かって降下する。柵に囲まれた敷地内にある『箒つき場』と呼ばれる芝生の広場に着陸した後、箒を背に仕舞った。
「変わってないな……」
独りごちる。広い庭を歩いて、記憶を頼りに来客用の入り口を覗き、係の者に声をかけた。
「こんにちは。ブランドン・アスター先生と約束していまして」
「どうも。先生は、奥の部屋で待たれています。あちらです」
指さされるまま進むと、突きあたりに見上げるように背の高い扉がある。苦い思い出の場所だった。
祖父を傷つけた後は、教室に入ることが許されず行き場がなくて、退学までの期間、ここで過ごした。
扉を三度ノックして、返事を待つ。
「どうぞ」
くぐもった声が扉越しに聞こえた。静かにドアを開けて、室内へ体を滑り込ませる。
「うっ……」
声の主を見つけるよりも早く、腕に絡みつかれた。視線の端に金髪がチラつく。
「オリバーくん、久しぶり」
耳元に吹き込むように囁かれて、体が固まる。こいつも、悪い意味で何も変わっていないようだ。
「ああ、久しぶりだな。ブランドン。元気そうで何よりだ」
そのまま、指を絡ませられる。手のひらが触れ合う感覚に、振り解きたくなってしまう。
「……相変わらず、鉄壁だなあ」
「ブランドンも変わらず、距離が近いな。少し離れてくれたら、緊張せずに話せるんだが」
彼はくすくす笑いながら、身を引く。川で遊んでいる子どものように手足を晒した格好をしている。
短い丈のズボンは真っ黒で、肌に這うようにぴったりとしている。そこから太ももが伸びる。
上半身も黒の半袖のシャツ、こちらも肌に張り付くような着こなしだ。布材はきっと上等なもので仕立てているのだろうが、同い年の男の外着とは到底思えない。
不健康な細い手足は彼の人柄を表しているようだった。
中等学校の頃からこうだった。オリバーが人の感情を察知しないように、魔法の素を弾くのとは真逆、彼は全身全霊で人の裏側を求めている。
だから、誰彼構わず先ほどのように体を触れ合わせるし、感覚を布が邪魔しないようにこんな格好をしている。
オリバーは「ブランドンには、絶対、心の裡に触られたくない」と以前から思っていて、彼との間で魔法の素が通わないように制御していた。
内心が読めないという意味で、鉄壁だと、こいつは言う。
「オリバーくんが魔法の先生してるって聞いて、僕感動しちゃったよ」
「そりゃどうも。俺もブランドンが王立中の教師になったって聞いて驚いた」
その格好で授業しているのか、と聞きたい。
「教師なんて柄じゃないもんね、僕は。まあ、魔法の研究をしたかったからってだけで、実際子どもが好きなわけではないし」
「はあ、そうなのか。……ブランドンも何かと忙しいだろ。悪かったな、時間を作ってもらって。早速本題に入ってもいいか?」
「だーめ」
粘つくような声色で言われて、顔を顰めそうになった。どうにも苦手だ。
「僕、オリバーくんに会いたかったんだよ? マキシアンに何回も連れてきてって言ったのに。全然言うこと聞かないもんな、あいつ」
「そうなのか、マキシアンは悪くない。俺の状態があまりよくなかったから、気遣ってくれたんだろう」
「知らないよ、そんなこと。とにかく、オリバーくんと色々話したくてたまらないわけ」
「……分かった、久しぶりで積もる話もあるよな。ゆっくり話すためにも、まず魔力演算のこと教えてくれないか」
「おっけー。別に大した話じゃないしね、そっちは。でも、いっこお願いしたくて。聞いてくれる?」
「言ってみろ」
「オリバーくんとー、手繋ぎながら話したい♡」
言いながら手を取られた。堪えようと思ったものが全部顔に出る。が、無理やり口角を上げた。
「いいよ」
「あはは、顔怖ーい。心読むまでもなーい」
肩を揺らして笑う、その顔に化粧が施されているのを認めて、こんなんでも貴族なんだよな、と急に冷静になった。
「補足しとくけど、一応目的はあるんだよ? 僕の研究のひとつに、魔法で嘘を見抜く、ってのがあって。お前みたいな鉄壁くん対策もしたいからさ。ちょっと色々試させてよ」
実際、そういった魔法を研究する取り組みは以前からあり、ブランドンがこの分野の第一人者であるというのは、オリバーも知るところだった。
指を絡めたまま、ソファを勧められて腰掛けた。ブランドンも隣に座る。対面ではなく、隣。おぞましい。
で、机の上に用意していた資料を、繋いだ手を引いて指差す。重なった手が嫌でも視界に入ってしまって、きつい。
「一応、予想問題としてはこんな感じ。この紙はあげる」
「……いいのか、こんなもの見せてしまって」
「オリバーくんだけ、特別だよ♡ と言いたいところだけど、これは学長の指示。魔力演算について質問を受けたら、この予想問題を渡していいってことになってるの」
この紙をマキシアンに預けてもらえれば、この部屋まで来る必要はなかったのではないか。少し呆然としつつ、頷いた。
問題に目を通すと、魔法を使う際に定める座標の位置を文字式で表す問題やら、魔法定数をmとして五カップ分の水を作る時の計算やら、オリバーが王立中の一年次に習った初歩の初歩が出題されているようだった。
難しく書かれてはいるが、初等学校レベルの計算ができれば問題はない。ほっとした。
「これくらいなら退学した俺でも教えられる」
「簡単でしょ」
「ああ。しかし、魔力演算って俺らの時は、そこまで重要視されてなかった気がするけど、こうして入試問題で先駆けて勉強させるくらいまでになったのか」
「うん、これも元を辿ればオリバーくんの影響だけど」
黙り込む。あの事件のことだろうと察した。
「魔法って感覚に頼りすぎてるんだよ。教える時も教師によって伝え方が違うし、伝わらなくて才能が開花しない魔法持ちって、いっぱいいるんだよね。
で、感覚だよりで教えてるからオリバーくんがやったみたいな暴発も起きちゃう。ああいうのを防ぐために、魔法を数値化しようってところから始まってるんだよ、この流れは」
笑顔を向けられる。魔法の素がこちらを探ろうとしているのが分かる。ほとんど無意識で払う。
「魔力演算の研究者は、オリバーくんに感謝してると思うな。自分の研究に日が当たるのって嬉しいもんだよ」
「ああ、でも。良かったとは言えない」
「良かったじゃん。僕も個人的に、オリバーくんには感謝してるの」
こいつは俺のことを怒らせようとしているらしい。
「俺が暴発したおかげで、お前が箒から落ちたのが有耶無耶になったからか」
「ああ、それもあるけど、それは些細なこと! もとより、僕が怪我をしなかったから問題にはならなかっただろうし」
ブランドンがオリバーの膝に乗り上げて、またがるようにして座る。顔が尋常でなく近づき、目の中を覗き込まれる。化粧の匂いがした。
「オリバー、お前のおかげなんだ、僕がここで教師になれたのは」
「は」
「これが本物の本題」
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