あなたの傍らは
船底にて
船底というのは寒いものらしい。知らなかった。付けた尻が凍えそうだ。
もうすぐ三歳になるギルバードを連れて、シクルランド本土の港町、サンク行きの貨物船に忍び込んだカイ・ウェルザリーは、その時まだ十三歳だった。
女の子の格好をしていた。彼の好みではないが、男が幼児を抱えていると悪目立ちするため、その姿に身をやつしていた。
彼はその格好が違和感なく自分に似合っていると分かっていた。なぜなら、屋敷の主人・ビビの戯れで、女性物の衣服をよく着せられていたから。
『ああ、本当に可愛いわね。私の大事なカイ』
美しい顔で微笑む、母親がわりの女性のことは、スカートの端が翻る度に思い出した。
船底で寒さに震えるカイの胸の中で、ギルバードは穏やかに寝息を立てている。存在そのものが温かくて、そっと頬ずりして暖を分け合う。
『ギル、ごめんだけど、泣かないで静かにしていてね。お願い』
船に乗る前に言い聞かせた。まだよちよち歩きのこの子は、カイのお願いに応えて、その通り穏やかについてきてくれた。
この年で、言うことが聞けるなんて、なんて賢いんだろう。そんなことを考えて、少し表情が緩んだ。
さて、本土まであとどれくらいだろうか。手持ち無沙汰で考えて、ふと気づく。
以前の自分ならば、暇な時は隙あらば居眠りをしていた。どこでも、すぐに眠れてしまうねぼすけだったのに。あの眠気はどこに消えたのだろう。
サンクに行けば、今よりは穏やかに暮らせるだろうか。眠気は戻って来るだろうか。
――そんなわけがない、と分かっていた。
この暗いトンネルを走り続けなければいけないのは明白だった。いくつもの心配事を背負って抱えて生きるしかない。
腕の中のこの子だけは、そこから出してやらねばならなかった。そのためには……。
ビビの言葉を思い返す。
『国民が身分の差に関わらず、教育を受けることができて、とても自由に生きている。シクルランド王国は素晴らしい国だわ。私の故郷ではあり得ないことだった』
ビビは、自分を連れてこの国にきた恋人のことも愛していたようだったが、それ以上にこの王国に心酔しているのが言動の端々から感じ取れた。
平民の暮らしに関心を持ち、彼らの間で流通している書物を手に入れては、カイにも読ませた。
その中にはスミス学舎が発行した、受験体験記の冊子もあった。
『貴族しかいないような学校に平民が行けるって……しかも、こんなに大人数! スミス先生にはもちろん、ここに寄稿した子たちにも会ってみたい』
ビビに薦められるがまま、読み聞かせられて、幼いながらに感銘を受けた。素朴な言葉選びでありながら、文の上に浮かぶ少年たちの姿に情熱や希望、勇気を見た。
カイは特に、スミス先生の孫だというオリバー少年の作文が好きだった。優しい人柄が透けて見えたから。
『このお兄ちゃんたちは、今王立中に通ってるの?』
『うん、そうよ』
『僕も王立中行きたい』
カイが言うと、ビビは困った顔をした。
『王立中に行くには、魔法を使えないとダメなんですって』
『そっか……』
優しい手に頭を撫でられた。
『でもね、うんと学校での勉強を頑張れば、中等学校には行けるわ』
船が大きく揺れて、カイははっと現実に引き戻された。
――結局、初等学校もまともに卒業できなかったな。
カイは目を瞑って、冷たくなりすぎて感覚のない指先を、静かに擦り合わせた。
もうすぐ、船はサンクの街に到着する。
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