第二十四話 父親
「俺は、ギルが生まれた日のことを、今でもよく覚えている。生まれたその日から髪の毛がふわふわに生えそろった、目の大きなかわいい赤ちゃんだった。
ギルが腹に宿ってからの、お前のお母さんの喜びようといったらとんでもなかった。俺は、幸せはきっとこういう顔をしているんだって、その人を見て思っていた。
……ごめんね、ずっと言えなかったんだけど、ギルのお母さんはもうこの世にはいないんだ。
俺の父親が……ギルを殺すために屋敷に火を放って。そのせいで、炎に巻かれて、死んでしまった」
カイは、一度区切って、言いづらそうにしながらも、声の抑揚を抑えて続けた。
「もうお前も薄々気づいているだろうけど、俺はギルの産みの親じゃない。お前の本当の父親の名前は、ホレイシオ・アスター」
「は……?」
オリバーは信じがたくて、目を剥いた。ギルバードは誰のことなのか分かっていないようで、話の続きを待っている。
「それって、ブルーム卿のことか」
「違いない。お前の本当の名前はギルバード・アスター。生みの父は、ブルーム地区を統治する、ブルーム伯爵だ」
ギルバードが口を開く。
「えっと……貴族ってこと?」
「そうだ」
「でも、じゃあ、お父さんは……?」
「俺は、ただの召使いだった。ギルのお母さんの館で住み込みで働いていたんだ。
お前の母は、名前をバイオレットという。親しみやすい人で、召使いの俺にも『ビビ』って愛称で呼ぶことを許してくれてた。
とても可愛い人で、他所の国からブルーム卿が見初めて、この国に連れてくるくらいだった。
ブルーム卿は王の娘と婚姻を結んでいて、そちらの奥さんとの子どもが三人ほどいたんだけれど、ビビとの間にもギルをもうけた。
妊娠して十月十日が過ぎても、お前はまだ腹の中にいた。魔法持ちだったんだ」
オリバーは訥々と語られるその話を聞きながら、先の展開が見えた。爵位継承の争いに巻き込まれたのだろう。
「ブルーム卿と一人目の奥さんとの間にできた子どもたちは、誰も魔法を持たなかった。
ブルーム伯爵の名において、魔法持ちであるというのは何よりも優遇されることなんだ。自ずと、ギルにも爵位継承権が与えられることになった」
ブランドンの言葉を思い出す。
『魔法持ちなら、長男じゃなくても爵位継承権を得られるんだよ。なんなら、庶子でも権利がある。ま、ブルーム伯爵、という爵位においての特例だけど』
まさかこんな近くにその特例がいるとは思っていなかったが。
「そこからだった。穏やかだった俺の周りに不穏な気配が立ち込めはじめた。
俺の父と母は、一人目の奥さんの元で働いていたんだけど。――俺の父が、頻繁にビビの屋敷を訪れるようになった。それも夜中にこっそりとか……明らかに正式な訪問ではなく。
俺は物心ついた頃には、親から離れてビビの館に住んでいた。今思えば、敵情視察というか、愛人であるビビの動向を見張るためのスパイの役だったんだろうな……。大して役には立たなかったけれど。
一人目の奥さんは、焦っていたらしい。なんでもない他国の小娘が魔法持ちを産んでしまう、そうなると我が子たちが爵位を継承できなくなる、ってな具合だったのか。
それで俺の父になんとかしろと……ようは子どもを始末しろと、おそらくそう言った」
カイがふうと息をつく。ギルバードがその手をさする。
「俺、今どんな気持ちなんだ?」
冗談めかした風に、カイは息子に聞いた。
「悲しい、苦しい、痛い、絶望……そんな感じ」
几帳面にギルバードは答えた。
「そんな感情が伝わっていたら、苦しいんじゃないか? 手を離そうか」
「いや、このままで。お父さんが嫌じゃなければ」
「嫌じゃないよ。じゃあ、このまま続ける。長い話も、あとちょっとだ。
お前のお母さんは、おそらく不穏な空気に気づいていた。産後だからというだけでなく、ぴりぴりしていたし、ブルーム卿からギルに贈られた指輪なんかの場所を、俺に伝えて何かあったら頼むと言ってきた。
召使いにそんなこと頼むなんて尋常じゃないが。俺は、実の母親よりもビビとの思い出の方が多い。だから、ビビをとても好きだったし、母のように慕っていた。あちらも同じ気持ちでいてくれて、俺を頼ってくれたのかもしれない。
……そうして、ビビの予想通り、その日は来た。父が訪ねてきて、俺に、屋敷に火をつけろと言った。断ると、父自身が夜の間に油を撒いて火をつけた」
二人でカイの話に聞き入っていた。たまに声が掠れて、その度に彼は小さく喉を鳴らした。
「俺は……、ビビの寝室に駆け込んだ。火の回りが早かったのか、すでに着ていた寝間着が燃え盛っていた。
ギルのお母さんは、炎に巻かれてもお前のことを一番に考えて、俺に言った。ギルバードを連れて、貴重品を持って逃げろ、と。俺はお前を抱きかかえて、ありったけの貴重品と大切なものを鞄に詰め込んで、父に見つからないように遠くに逃げた。
……俺はずっと謝りたかった。お前のお母さんを助けられなくて申し訳ない。うちの父が、弱くて申し訳ない。父を止められなくて、本当に……」
懺悔をして、カイは床につかんばかりに頭を下げた。
その背中を見ていると、オリバーの裡の後悔もひどくざわついた。
――どうしても自分を許せない気持ちが、いつまでも残っている。そんな己の姿をそこに重ねた。できることなら、その背中を撫でて、顔を上げさせたかったが、今、この二人の間に割って入ることは、邪魔をすることになる。
ギルバードは、答えなかった。頭が追いついてないのだろうか。カイは痛みを堪えるようにしながらも、話の続きを語る。
「……その後、ギルバード・アスターを捜すお触れが街に出された。死んだのか死んでいないのか、はっきり分からなかったからだろう。
俺はブルーム卿の元まで行けば、きっとお前を保護してもらえると踏んで、そちらに行こうと思ったんだけど……、辿り着く前に殺されかけた。
俺だけが殺されるんならまあいいが、赤ん坊のギルを狙って、平気で石を投げてくるんだよ、あいつら。なんとか逃げられたが、正直、途方に暮れた。ブルーム卿に会えたところで、殺されてしまう可能性もあった。
俺は、ない頭を絞って絞って、この子を王立中に入れようと考えた。そうすれば、王の名のもとに守られる。そこで力をつければ卒業した後も、誰にも脅かされやしない。きっと、ギルが逃げ隠れる必要もなく、明るい人生を送れるって、そう思ったんだ。
それで、ブルーム地区にいたんじゃ、ギルを初等学校にやることもできない。だから、お前が二歳になった頃、貨物船に忍び込んで、本土に渡った。そして、今に至る」
数奇な運命を辿ってきた、親子の姿が、目の前にあった。二人の異なる髪色が、オリバーの目にやけに染みた。
「これが俺の憂うつの正体の全部。父を止められなかったこと。ギルの母を見殺しにしたこと。ブルーム卿のところまでお前を運べなかったこと。どう動けばお前を幸せにできるのか、今でも分からないこと。まあ他にも細かいことはいっぱいあるが。まあ、そもそも、生まれ方を間違えたってこと」
沈黙が落ちた。
カイがこちらを見た。長く話して疲れたのか、少しぼんやりとしているようだった。
「オリバー先生、座ってよ。ごめんね、長々話して」
「いや、聞かせてくれてありがとう。お父さんも、椅子に座ってください。床は冷たい。お茶ももっと飲んで」
首を縦に振りながら、体が言うことを聞かないのか、いつまでも床にいた。
「ギルバード、急にたくさん話したけど、大丈夫? 何か気になることある?」
「ちょっと頭を整理させてほしい」
カイの告白を聞く前の、怯える少年の姿はなかった。頭を回転させているのが分かる様子で、目を眇めている。
ギルバードが挙手をして、口を開く。
「お父さん、なんで僕に今まで隠してたの?」
「どこからこの秘密が漏れるか分からなかったのと、あまりにも背負わせるには重いから、できたらギルには、一生……せめて無事に受験が終わるまでは、こんなこと知らずに生きていてほしかったから」
「いや、それはどう考えても無理でしょ」
「うーん、そう……?」
カイはオリバーに視線をやった。意見を求められている。少し空気が緩んだのを感じて、床に座り込む彼に手を差し伸べた。
「一旦椅子に座りましょう。体を冷やす」
大人しく手を取って、床から腰を上げる彼を椅子まで連れていく。
「まあ、もっと早く相談してくれてもよかったんじゃないかと、俺も思うからギルバードに賛成ですね。一人で抱えてずっと大変だったでしょうし……。子どもに言えないことだというのも分かりますけど」
「そっか」
「あと、入試は本名で出願しないといけないんですよ。役場なり教会なり、届出のある名前でないと受理されない。だから、手続き前に教えてもらえて本当によかった」
「いや、そうだよね」
ギルバードが、頷いて、天井を仰ぐ。
「だから、もし僕、というか。ギルバード・アスターが狙われているんだとしたら、出願後から危ないってことでしょ。居場所がバレる」
「うん、そう……。受験当日も王立中の中に入るまでが危ないから、そこまでは俺が送ろうと思う」
「そこまでして、受けないといけない?」
「受けないといけない。ずっと隠れ暮らすのなんて、つまらない。命をいつ取られるかって怯えながら生きて、まともな仕事にも就けない。俺と同じ人生だ。一生あのボロボロの雨漏りと隙間風ばかりの家で暮らすの?」
カイの口調に熱がこもる。息子がこれから歩む道のりを考えたら、このとんでもない決断をせざるを得なかったのだろう。
「不合格になったら、どうなるんだ」
「そんなこと絶対ない。ギルは天才だもん」
「いいから、もし! 不合格になったら」
「その時は、もっと遠くに逃げよう」
ギルバードは、父親の雑な案に、遠慮なくため息をついた。
「じゃあ、僕が王立中に行けるとして、お父さんはその後どうなるんだ。今の話からすると、正直誘拐犯として捉えられてもおかしくないけど」
確かにそうだ。カイの父が家に火をつけて、カイが家財まで持ち出し、アスター家の跡継ぎを攫ったというシナリオも出来上がってしまう。
「まあ、それはそれで。だってそうなら、きっとギルは貴族として保護されるわけだから」
「……やっぱ、お父さんは自分が死んでも構わないって考えてるんだよな」
その声があまりにも悲しそうで、オリバーはギルバードがついに泣き出したのかと思うくらいだった。俯いてしまって、顔は見えない。少しして、少年は顔を上げた。
唇をひき結んだ彼は、予想に反して、どこか清々しいような、そんな表情をしていた。
そうして、まるで、初雪に触れるみたいに、横に座る父の手の甲に触れた。
「お父さん。僕は王立中に合格する。ついでに、そのやっかいな爵位継承権とやらを利用して、まあ、できるのかは分かんないけど! お父さんが曇りなく生きれるようにする。だから、自分のこと、もう責めないで。それを……僕が全部許すから」
カイは、ギルバードの顔を見つめて、困ったという顔をした。
「どうしよう。お父さんが言ってほしかったこと全部言われた。ギル、いつの間にこんなに大人になったんだ。いや、無理に大人にさせてしまったのかな……」
「なんで、嬉しいのにそんな顔するの? お父さんは、ちぐはぐだ。素直に喜んでよ」
ギルバードが呆れたみたいに笑った。
「僕が王立中に入って、寮に入った後もちゃんと一人でも生きてよ。暗くならないでよ」
「うん」
「心配だ……。友だちとかも全くいないしお父さん」
で、ギルバードが、話を聞いていたオリバーの方を見た。とりあえず一件落着、あまりにも前途多難だけど、などと考えながら見守っていたから、不意の視線に首を傾げた。
「オリバー先生、お父さんのことお願いできますか?」
「……お願いって?」
「お世話、までいかなくても、暇な時でいいので相手してもらえたらありがたいです」
「待て待て、自分のお父さん、そんな犬猫みたいな扱いでいいのか」
オリバーが戸惑ってそう返すと、カイは声をあげて笑った。肩が揺れている。
「割と僕は真剣なんだけど。だって、一人だと塞ぎ込むじゃん」
「ありがとうね、ギル。……オリバー先生、お願いしてもいいですか、俺の相手」
この子が笑っていると、やっぱりほっとする。オリバーは冗談みたいなふりをして、内心はそうではなく、頷いてみせた。
◆
随分遅い時間になってしまった。眠たそうにしているアドルフとマーサに見送られて、オリバーは親子を家まで送ることにした。疲労困憊の体ではあったが、あんな話を聞いた後では心配で気が気でなかったのだ。
暗い道を魔法で照らしながら進み、全員眠気がピークに達して最後の方はほとんど無言だった。森の中に入り、家にたどり着く。それは想像していたよりもはるかにボロボロの掘立て小屋だった。屋根も一部ない。オリバーは絶句する。
カイはオリバーの反応を気にせず、ギルに声をかけた。
「ギル、先に入って寝支度しといで」
「はーい」
先ほど、子どもらしからぬ一面を見せたギルバードも、こうしてみるとまだ六年生である。
「オリバー先生、送っていただいてありがとうございました」
「いや、どうしても心配だったから。ところで」
オリバーは先の話を聞く中で、心騒ぎがあった。
「アスター家のことで気になることがあるんだ。二人で話せたらありがたい。もう今日は遅いから、今度時間とってもらえないか」
カイは不安げな顔で頷いた。
「オリバー先生、気をつけて帰ってね」
小さく手を振る。振り返す。苦労をしてきた手が炎に照らされて、オリバーの眠い頭はハッと冴えた。
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