第三話 若い父親
学校が終わってから、更に勉強をしにくるというのに、子どもたちは元気だ。二十人ほどの十歳児が集まった教室は、一歩入るだけでやれやれと思ってしまうほど騒がしい。オリバーが前に立っても、何人かはおしゃべりを止めない。
「授業始めますよ。ほら、さっさとテキスト出して」
延々と後ろの席の子に、ちょっかいを出している男の子の首根っこを掴んで前を向かせ、姿勢を正させる。ようやく教室が静寂に包まれた。オリバーは少し黙り、教室を見渡す。気の抜けた顔をしている子もいるが、勉強をする空気が一応はできていた。
ここでようやく口を開く。
「二十二ページ開いて」
今日は計算の授業だ。学校で習うよりも若干高度なことをするので、教えるスピードについてこれない生徒がいないか、こまめに子どもの手元を覗いて学習帳を確認する。
オリバーは魔法以外にも、こうして計算の講義を担当している。
『魔法だけ教えるんじゃ、仕事足りないよな。塾長の息子としてさ。だから魔法以外の講義も持ってもらう』
と言ったのは父だった。
そもそも魔法持ちが少ないのだから、魔法を習う子はそう多くない。魔法を冠する中等学校を目指すものは更に少ない。
祖父が創設した「スミス学舎」は元来、魔法だけを教える場所ではあったが、祖父亡き後、継いだ父が間口を広げて、魔法を持たない子どもについても受け入れるようになった。
その結果、祖父の代では多くとも二十人程度だった生徒数が、今では百人近い。経営としては大成功だ。
そんなオリバーの父、アドルフ・スミスは魔法を使えない。
魔法は遺伝しない。魔法を持たない父母から魔法持ちが生まれてくることもあるし、その逆も然り。今のところ人類は、魔法持ちが生まれる規則性を見出すことができていない。
本来は
我が子がどちらになるのかは神のみぞ知る、というのは残酷なことでありながら、神のお茶目のようでもあった。違う属性の者を憎しみきることができない。己の子どもがそうだったなら、と想像すると貶すことができない。
故に、魔法持ちとそうでない人間の間に大きな諍いはなかった。しかし、お互いに思うところも抱えているので、個人に目を向けると暗い問題も絶えない。魔法持ちは憧れと憎しみを常に受け続けている。
魔法持ちの父の元に産まれ、魔法を持たず、なおかつ子どもは魔法持ち。そんな境遇のアドルフは、しかし、腐ることはなく、己が父の遺業を継ぐことこそ大任と考えて、学舎を譲り受け大きくした。
祖父の意思を切り捨てず、魔法の講義も残している。オリバーはそんな父を慕っていた。
『まあ、でも王立中に合格者出していたあの頃と比べてしまうと、実績なんてないも同然だし。子どものためになっているのかどうかたまに自信がなくなるけど。じいさんはすごかったな』
そして、そんな父が比較してため息をついてしまうほどには、祖父は偉大だった。
授業も終盤に差し掛かり、あとは今日習った内容の小テストを残すのみとなった。テスト用紙を前から後ろに回すように配り、制限時間を示すための砂時計をひっくり返した。試験を開始する。
オリバーは子どもたちの様子を眺めながら、壁に背中をついた。授業の間はずっと立ちっぱなしだから、足が疲れる。ちょっとした休憩だった。
ガリガリと解き進める者、序盤で手が止まってしまっている者、スピードは様々だった。
手間取っている子どもの様子をそばで見るために、壁から離れようとした時、オリバーはふと、壁の後ろから会話が聞こえてくることに気づいた。
この裏は、ロビーホールになっていて客が訪ねてくる。おそらく、保護者への対応を母のマーサがしているのだろう。薄い壁材を使っているから、こうして背をくっつけていると声が聞こえてくる。
「息子をここの塾に入れたくって。ご相談で来ました」
若い男の声だった。珍しい。子どもを連れてくるのは圧倒的に母親が多いのだ。思わず耳をそばだてた。
「ああ、ありがとうございます。ええっと、息子さんはおいくつですの?」
「今十一です。学校は五年で」
「まあ、そうなの。随分若いお父さんなのね。
うちの塾は基本的に中等学校への進学を目指している生徒に向けて授業をしていて、例えば近くのベリー中等学校とかレッドエイドとかに進学されるお子さんが多いんです。
息子さんもそういった学校をご希望ですか」
「あ、うちの子、魔法を使えるんです。だからそっちの方で指導をお願いしたいです」
「まあ、魔法持ちなのね。うちの息子と一緒よ。ええ、魔法中にもできる限りですが……対応していますわ。
スターリー魔法中等学校あたりなら問題なく対策できますよ。今日はちょうどスターリーの入試だったのだけど、一人受けたわ」
レイラのことだ。
「ああ、そうなんですね。近隣の学校だけなんですか」
「そうねえ、遠くの学校でも大丈夫なのだけれど、あまり私共が情報が持っていないかもしれないわ。どこかご希望の学校があるのかしら」
「あ……その、王立中の対策ってしていないんですか」
「ああ……うーん」
母が口篭って一瞬会話が止まった。オリバーも、静かに驚いて体がこわばった。
今日は嫌な過去が、何度も去来する日らしかった。
「王立中の対策をここでならしてもらえるって知人に聞きまして」
「……まだ、そんな昔のお話をしてくれる人がいるのね。むかーしはやっていたんだけど、今はその講座は開いていないの」
「えっ、学校が遠いからですか?」
「いいえ、その、難しいからというか。ちょっと事情があって」
母は嘘をつけない人だった。説明するのだろうか、と無意識に奥歯を強く噛み締めて、続きを待った。
「先生、砂、全部落ちました!」
その時、子どもの一人が手をあげてそう言った。目を向けると、確かに砂時計は役目を終えていた。オリバーは後ろ髪引かれながらも、会話を聞くのを中断して授業を再開する。隣の席同士で答案を交換させて、正答を示す。
授業が終了し、生徒を教場から送り出す頃には、もうロビーホールはもぬけの空だった。陽が落ちかけて、わずかに薄暗くなった道を子どもたちは団子になって帰っていく。
結局、どのように話が終わったのかが気になり、母に聞いた。
「なあ、さっき客が来てただろ。若いお父さん。王立中受けたいんだって?」
「うん、そう言ってた。聞こえてたの?」
「途中までは。なんて言って帰ったんだ」
「えっとねえ、事情があって王立中の対策はしてないんですよって伝えたら、そこをどうにかって食い下がられて。ちょうどお父さんも来て、どうしても難しい、って塾長として改めて伝えてお帰りいただいたわ」
「ああ、そうか」
オリバーは安堵と申し訳なさから、ため息をついた。王立中に行きたいと食い下がる保護者、一度話してみたいとも思う。しかし、受け入れるわけにはいかないのだ。
「王立中も受け入れたらいいじゃない、って私は言ったんだけどねえ。やっぱお父さんはまだ心配みたいね」
母はオリバーと対照的に気楽に笑っていた。
「俺は、王立中出禁みたいなものだからさ。関わるとロクでもないことになる」
「そうかねえ。気にしすぎじゃない?」
今まで、それなりに迷惑をかけてきたはずだったのに、そんなことは忘れてしまったかのような母の様子に気が抜ける。
「とにかく、あそこの対策は俺にはできない。ただ、もしまた同じ人が来たら俺が事情を話すよ。それで引くだろうから」
「うん、分かったわ。お母さん、実はあの人にまた会いたいのよね。なかなかきれいな男の子だった」
「男の子? 子どもも一緒に来てたのか」
「いや、来てないわ。男の子って言いたくなるくらいには若いお父さんだったのよねえ。不思議。若返る魔法がもしかしてあるのかしら」
そんなものはないと承知の上で、母がイタズラっぽく笑って言った。
「一体どんな人なんだ」
「また来てくれたらいいわね。玄関入ってくる時に、マントっていうか、クロークっていうのかしら、そのフードをこう……深く被って顔を隠してたから、きっと来たらすぐに分かるわ」
「そんな不審者みたいな感じなの? なんか嫌だな」
「でも話している時は顔を見せてくれたからね。そう変な人でもないと思う」
「ふーん」
顔を隠さねばならない訳あり。若い父親。特筆することが多い存在は疑問を伴って頭に留まった。
この後会うマキシアンに心当たりがないか聞いてみることにして、オリバーは母との会話を切り上げた。
「じゃ、見回りしてくる。で、そのまま酒場行くから」
「いいわね、レイラちゃんの受験も終わったし、思いっきり羽伸ばしてきなさいな」
母の軽口に手のひらで応えた。受験会場での出来事で落ち込んでいたことがきっかけで誘われたとは言え、確かに今日はこの職業における年間通しての一区切りではあった。
合否発表は三日後なので、正式な区切りはそちらとも言えるが、試験が終わってしまえばオリバーにできることはない。また、結果についてはさして心配していなかった。
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