第二話 ごみ引き
オリバー・スミス、三十歳の働き盛り。子どもの頃は艶めくような銀髪だったのに、二十歳を超えたあたりからか、どこかくすんで灰色に近い色になった。その頭髪を、仕事の時にはポマードで撫で付ける。身丈が高くどっしりとした体つきにも関わらず、優雅な目元をしている、頑丈そうな優しい男である。
オリバーは彼の祖父が起ち上げた私塾で働いていた。通っているのは主に中等学校への進学を目指す、十二歳までの平民だ。
ここ、シクルランド王国では、貴族階級はもちろん、それに当たらない平民も、六歳から十二歳の六年間は無償で初等学校に通い、教育を受けることができる。
近隣諸国の中でも、こと教育においては一歩秀でた国であった。当然、平民のこの分野への関心も高い。
初等学校卒業後、中等学校へ進学するのは元々貴族の特権であった。しかし、労働階級からの反発を受けて、二十年ほど前に平民にもその門戸が開かれた。現在は試験に合格し、学費を払うことができるのであれば、身分に関わらず中等学校に通うことができる。
とは言っても、現状ほとんどの平民は学費を払うことが叶わず、十二歳で初等学校を卒業し、働きに出る。
一部の才覚に恵まれた子どもや、それなりの資産を持ち教育に力を入れている家庭の子どもが、中等学校を目指すのだ。
先ほどのレイラもそうだ。父が貿易商として財をなし、愛娘のためになることであれば如何なる出資も厭わない。しかも、レイラは希少な「魔法持ち」だったから、魔法の使い方を学ぶことに大きな意味があった。
魔法というのは持って生まれた才能だけれど、持っているだけではそうそう開花しない。人に習うと習得が早い。そういう性質のものだった。
◆
オリバーは、塞ぎ込んだ気分のまま帰路につき、見慣れた建物に一瞥をくれた。濃淡さまざまな灰色が積み上がった、石造りの建物は二階建て。
その看板には「スミス
そして、そのすぐ横の平凡な木造の一軒家が、彼の棲家だ。
玄関先には、ごみがぱんぱんに詰まった麻袋が置かれていた。母親が出したのだろう。今日はこの地域一帯の、ごみの回収日だった。金を払って専用の麻袋を入手すれば、家の前まで集めに来てくれる。
オリバーはそれを見下ろして、辺りに目をやった。もうすぐ回収の時間だ。今日はあの子が来るだろうか。暗い気分にほんの少しの色が差す。
贔屓にしている、といっても話したことすらないが、気になるごみ引きの男がいるのだ。何が気になるのかというと、なんのことはない。見目が美しいのだ。
汚物と悪臭に塗れる、ごみ引きを生業にしている者たちは、町の住民の目に留まらない。むしろ皆、見ないように目を逸らしてしまう。オリバーだってそうだった。
あの男の姿を認めたのは、偶然だ。
学舎で使用する教材や冊子の、古いものを廃棄することになったある日のことだった。
無理やり詰め込んだため、教材の角が圧迫して、麻袋を内から破らんばかりのそれをごみに出した。
数刻経ち、さて、無事に回収されただろうかと窓から表の道を窺うと、口元を布で隠した男が麻袋の前にしゃがみ込んでいた。袋を開いて中を覗いている。ごみが積まれた荷車をそばに停めているから、ごみ引きの者で間違いはないのだろうが。
中身を確認する必要などあるのか、と不審に思いながら眺めていると、男は口を覆う三角巾をずらした。その日は、サンクの街には珍しく、外に立ち止まっているだけでも汗ばむような気温だった。それ故の無意識の動作だったのだろう。
オリバーは怪しんでいたことも忘れて、彼の姿に視界の全てを奪われた。
麻袋に注がれた薄緑の瞳は、ぱっちりと開かれている。整った面立ち。陽光に透ける茶髪は、乱雑に後ろで括られており、後毛が頬に落ちている。
それはまるで一枚の絵画のようだった。宝石は、薄汚れても美しい。彼のすぐ横の二輪の荷車には大量の麻袋が積まれており、中にはごみが溢れてしまっているものもあった。それでも、何の問題もなく、男は輝いていた。
しばらくすると、男は立ち上がりそっと麻袋を積んで、荷車を引いて去っていった。オリバーは声をかけることもできなかった。あんなに美しい男が、ごみを運んでいるということを神聖に感じて、まるで神をこの目で見たかのように、その日は一日興奮していた。
それから、街中のごみ引きに従事している者たちが目につくようになり、気づけば、新緑の瞳と薄茶の髪をいつも探していた。
たまに見かけると嬉しかったが、遠くからこっそり見つめるのが精一杯。
オリバーの仄暗い思考に差し込む、わずかな灯りのうちのひとつが彼だった。
もしも、今日あの子が来たなら、声をかけてしまうかもしれない。オリバーはひどく落ち込んでいて、いつも通りで過ごすには息が詰まってしまう。一人でいるのが苦痛だった。
玄関先に腰かけて、なんと声をかけようかと考えていた。このあとは学舎に子どもたちが来始める夕刻まで特別用事もなかった。
まずはこんにちはと挨拶をして、それから……。
考えているうちに、ごみ引きの者が来た。彼ではない、老人だった。内心がっかりしながらも、それをとても失礼なことだと感じて、
「こんにちは、いつもありがとうございます」
と声をかける。
老人はこちらを見遣って、しかし返事はせずにごみを回収すると去っていった。オリバーはため息をついて立ち上がり、玄関をくぐった。
奇跡よ起きろとは思わないけれど、ちょっといいこと、が起きたらと思ってしまう。けれど、本当はそんな資格も俺にはないんだけど。
心の中で呟いて、それからレイラのことを気にした。今頃、実技試験の真っ最中だろうか。
◆
憂鬱な
「オリバー、聞いたぞ。レイラちゃんの話。治癒しようとしたんだって? あと手が震えてたとかなんとか。親父さん心配してたぞ」
友人は挨拶もそこそこに、玄関の枠に寄りかかり捲し立てる。最近流行っているブランドの、派手な柄が入ったシャツを、小慣れた感じに着こなす。その立ち姿は平民には見えない。
彼はマキシアン・クックという。レイラの父の商会で働いている。
マキシアンとは二十年来の付き合いだ。共にオリバーの祖父に師事し、王立の魔法学校に合格した。
「そうだ、治癒はできなかったし、情けないところを見せてしまった。今日はあの子の大事な日なのに。お父さんも不安にさせてしまったのなら、心の底から申し訳ない」
マキシアンはオリバーの顔をしげしげと見つめ、眉を上げて大袈裟に肩をすくめた。
「ガチで落ち込んでるし。……今から仕事だろ? 終わったらあとで酒場に来いよ、色々話したい」
「ああ……いつも悪いな、気にかけてもらって」
「相変わらずお前はクソ真面目だな。ていうかそんなんじゃないし。ただの野次馬根性なんだけど」
オリバーは苦笑いを浮かべた。マキシアンは学生の頃から変わらず、優しく気配りができるくせに、全くもって素直ではない。
奥さんとまだ小さな娘のことで手一杯のはずなのに、オリバーのことを気にして、何かと良くしてくれる。レイラの父にスミス学舎のことを紹介して、客として呼んでくれたのもマキシアンだった。
魔法を使える人間は少ない。この国で一番多い苗字はスミスだけれど、人口に対するそれと同じくらいの比率でしか魔法持ちは生まれてこない。ざっと百人に一人程度かもっと少ないか。
だからこそ、同士が出会えた時の団結は固いものだが、その中でもマキシアンは人一倍、魔法持ちに対する情に熱い男だった。
魔法のことで困り事があったら、仲間内で衆知を集めて解決しようと尽力するし、魔法持ちが大義のために金に困っていたら、借用書も書かずに紙幣を握らせる。
「じゃあ、仕事終わったらいつものとこに来いよ。酔いすぎないようにして待ってるから」
「終わったらすぐに行く。じゃあ、後で」
オリバーは約束を交わし、その足で隣の学び舎へと勤めに出た。
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