第二十六話 嫌がらせの天才

 オリバーは家の一室に、三人の呼ばれざる客を通して、扉を閉めた。家人は出払っていた。


「なあ、俺、ここにいてもいいのか」


 マキシアンがひそひそ聞いてくるので、首を振ってみる。知らん。


 ブランドンだけが、丸机の前にある椅子を思い切り引き、腰を下ろす。カイはその横に、膝をついていた。

 その姿は、オリバーにとって耐え難く、いますぐやめさせたかった。しかし、彼は思うところがあって、このように振る舞っているようだ。安易に割って入るのは得策ではないだろうとぐっと堪えた。


「やばいな、ブランドンと俺らってそういえば身分違ったな」


 声を顰めているつもりらしいが、この部屋にいる者にはどうにも丸聞こえの声量で、マキシアンが言った。確かに本来は、カイの態度が正しい。が、この男にかしずこうとはとてもではないが思えない。


「じゃあ、カイちゃん。僕の膝に座ろうか」


 ブランドンが手を広げて誘う。カイの背中が丸まった。オリバーは顔を顰めた。


「いや、そんな……。膝に乗るなんて、そんな無礼なことは」

「ああ、それなら。洋服脱いで、裸になって」


 ブランドンは、冷たい顔で言った。カイは少しだけためらったが、それも一瞬のことですぐにクロークを脱いだ。シャツのボタンに手をかける。


「私の体は傷だらけで醜いので、お目に入れるのも申し訳ないですが」

「ブランドン、やめてくれ」


 オリバーは、見守ろうと決めたことを早々に取り消して、ブランドンに頼み込んだ。命令に従って、肌を晒すカイを見たくなかった。


「なんのためにこんなことするんだ」

「えー。こいつが逃げないように、だよ。うちの大事な後継あとつぎを誘拐した犯罪者かもしんないだろ」


 オリバーの懇願する声を聞いて、ブランドンは笑った。


「ウケるな。オリバーくん嫌がりすぎ、大切なんだ? 話進まないなあ……。まあ逃げなきゃいいからさ。魔法で拘束しようか」

「この子は、逃げたりしない」


 食ってかかるオリバーとブランドンの間に、カイが音もなく割って入った。


「大丈夫だよ、オリバー先生。庇ってくれるのはありがたいけど、疑われても仕方がない」


 静かな眼差しを向けられて、オリバーは嫌々ながら身を引いた。

 ブランドンがカイを手招いて、自分の横に椅子を持ってこさせ、座らせる。足を撫ぜて、何かしらを呟く。


「はい、完了」


 ブランドンが見えない縄で縛られたカイの顔に触れる。頬から指を滑らせて、唇や首筋を無遠慮に撫で回す。


「美人だね。うん、綺麗な子は好きだよ」


 耳に触れられて、カイがびくりと頭を震わせた。その反応を見て、ブランドンが嬉しそうにするのが、おぞましくてオリバーは内心で舌を出した。


「いいなあ、カイちゃん。素直だね」

「すみません、くすぐったくって」


 からかわれて、その頬が染まっている。視線を伏せる。


「俺は、触った人が嘘をついているかどうか分かる。オリバーくんみたいな特例は別だけど。カイちゃんのことは全部、手に取るように分かる。というわけで、正直に答えてね。一緒にいた子どもの名前は?」


 質問しながら、いつまでもカイの耳を弄んでいる。指が動く度に、彼はかすかに身じろぐ。


「あの子は、ギルバードです」

「姓は」

「アスター、と言います」

「だよなあ。十二年前にいなくなった、妾の子だ。兄上瓜二つ。血縁ってすごいねえ。……で、なんでカイちゃんがギルバードと一緒にいるの」

「私は、その」

「ああ、いいよ。畏まって喋らなくて、いつも通りで話してくれた方が感情が読みやすい」


 カイがためらいながら、頷く。


「では、失礼ですが……、ええっと、その。俺、はあの子の母君であるバイオレット様の元で、召使として働いていて、頼まれたんです。息子を連れて逃げてくれと」

「屋敷に火をつけられた日のことか」

「はい」

「お前が火をつけたわけじゃない?」

「俺ではなくて、俺の父が火をつけました」

「うん、あってるね。ちなみにお前の父は投獄されたぞ」

「そうですか」

「……悲しくないの?」

「分からないです、そうなってるだろうな、と思ってはいました」


 問われるがままに答える。触られるがままに身を任せる。

 人形のように、美しい無表情だった。


 ブランドンがつまらなそうに鼻を鳴らした後、カイのシャツのボタンを上から三つほど開け、はだけさせたそこに手のひらを這わせる。

 カイはその不躾な手に、流石に驚いた顔を向けて、たまらずという風に言った。


「あ、あの。すみません、オリバー先生、こっち見ないで」


 恥ずかしそうに、こちらを上目遣いに見てくる。晒された皮膚に目が引き寄せられた自分を恥じ、オリバーは咄嗟に背を向けた。マキシアンも同じように壁を見る。


「カイちゃんは、お父さんが火をつけようとしていたのは知ってたの」

「っあ……、う、すみません、俺は父に火をつけるように言われたんですが、断って。それで。んんっ」


 衣擦れの音、溢れる吐息。何だこれは。嫌がらせに関しては天才的な貴族の手中に落ちる感覚。混乱して、体が固まる。


「ちょっと触っただけだよ? ちゃんと話せるかな?」

「すみませ、ん。俺が断ったら父が火をつけてしまった。止められなくて」

「なるほど。どうしてお父さんは火をつけたんだと思う」


 カイは黙り込んだ。

 伯爵夫人の指示。爵位継承権を得たギルバードが、我が子らの障害になると踏んで、彼女はカイの父に秘密裏で処理するよう命じた。とは、安易に口にできないのだろうか。


「あっ、や」

 こらえた末の甘い悲鳴が小さくあがった。カイの、聞いたこともない声。オリバーの耳はかっと熱くなった。腹の底が煮えたぎった。


 カイの意思を尊重して任せようとしていたが、これは……無理だ。オリバーは拳を握って振り向き、ブランドンを睨む。


「こっち見ないで」

 とカイに泣きそうな声で叫ばれた。着崩された様子が目に入り、怒りよりもためらいが一瞬強くなるが、オリバーはそれをおくびにも出さずにブランドンの腕をつかんだ。

 胸に差し込まれたそれを引く。ブランドンはただ、冷たい目を向ける。


「やめろ。……伯爵夫人だろ。自分の子に爵位を継がせたい彼女にとって、ギルが邪魔だった。彼女が指示を出した」

「なんでオリバーくんが答えるんだ? 僕はこいつに聞いてるんだけど」

「自分に従う者であれば、何をしてもいいと思っているのか? それが貴族の仕草か?」

 カイは逆らえないから甘んじているだけだ。


「えーでもさ、シャツの上からでも分かるくらい膨れてた。触られるの好きなんだよねー。体も素直でかわいいカイちゃん」


 流れを見守っていたカイが狼狽した。苦しそうに唇を噛む。

 オリバーは鋭く止める。


「答えなくていい」

「でも、その……」

「教えてあげてよ、オリバーくんに」

「おい、ブランドン大概にしとけよ」


 マキシアンが、呆れたように口を挟んだ。

 それを受けて、横柄な貴族は大きな舌打ちを響かせる。


「あーはいはいはい、分かりましたよ。つまらん……どいてよ、オリバーくん」


 掴んでいた手を離す。ブランドンは大げさに手を振って痛みを表現してから、カイの手首を握った。


「はい、じゃあ質問の続き。さっきの答えはオリバーくんのでいいとして。なんでギルバードをここまで連れてきたの?」

「ブルーム卿の元に行こうとしても、追手に阻まれて叶わず……、どうすればあの子を、自由に生かしてやれるかと考えて、王立中に入れて守ってやりたいと思いました。それはブルーム地区にいては不可能だったので、本土に逃げました」

「ふーん、まあ、うん。悪くない判断だ」

「ありがとうございます」


 沈黙が続く。オリバーは、怖がって瞬きをするカイが可哀想で、その足元にしゃがみ込んだ。


「おい、これ。もう終わりでいいだろ」

「これって何?」

「拘束」

「ああ、そうだね。カイちゃん、もういい? もっとしてほしい?」


 楽しそうに口角を吊り上げて考えごとに耽っていたブランドンは、オリバーの言葉を受けて、すりすりとカイの唇を親指で撫でる。彼は喋りづらそうに、小さく答えた。


「む、大丈夫れす……」

「だってよ」


 彼にかかっている魔法の具合を見た。腕も含めて椅子にはりつくように固定させられている。

 この目の高さだと、シャツから晒された肌が嫌でも目に入ってきた。全てのボタンが外されて、へそまで暴かれている。引き攣れたような古傷が見えた。

 先にこっちだ、と思った。


「……ボタン留めてもいいか?」

「ん……ありがとう。その、あんまり見ない感じでお願いします……」


 困り果てたように眉を寄せて、隠せない真っ赤な頰をどうにもできずに、カイは頼んできた。


「ああ、ごめんな」


 たまらず謝りつつ、ボタンを一つ一つ丁寧に留めていく。淡い色の胸の先端が、ちらついて、別段隠すべきものでもないはずなのに疾しさがあった。


「ありがとうございます」


 閉じ終えると、どこか抜け殻のような表情で彼は囁いた。腸が煮えくり返っているのを、なんとかかんとか弱火に抑えつける。

 歯噛みしながら、彼を縛る魔法を解いていく。


「なあ、オリバーくん。お前はこの子の事情を知ってたのか」


 ブランドンに問われる。解除に集中しているふりで、目も合わせなかった。


「ああ」

「どうやって王立中まで連れてくつもりだ」

「まだそこまで考えていない」

「怒ってるの?」

「さあ、どうだろうな」

「言っとくけど、個人的な趣味だけでえっちなことしたわけじゃないんだよ」

「あ?」


 一足先に自由を取り戻したカイの手が、強く握りしめられる。


「心をできるだけ波立たせるのが大事なわけ。嘘を見抜くのって。本当だよ? ちゃんと論文も出してるんだから。マキシアンには読ませたことあるけど。ねっ」


 マキシアンは聞かれて、おそらく頷いたのだろうが、オリバーは後ろを見なかった。


「めちゃくちゃ喜ばせるとかでもいいんだけど、不快な感情の方が作るのが簡単だ。相手の感情を揺らして、嘘をつく時に一瞬、心を平坦にしようとするその動きを感じとる。

 門外不出の、嘘発見のコツ。これで今日からオリバーくんにもできるね!」

「そうか」

「まあ、カイちゃんが若くて可愛いから、ちょっと僕は楽しかったけど」


「必要なこと聞けたんだろ? それ以上いじめてどうするんだ」

 マキシアンが言葉を遮るように言った。しかめっ面をしつつ、奴はふんぞり返った。


「……まあ、ある程度状況も分かったよ。今度は僕の話だが」


 オリバーは拘束の魔法を解き終えた。


「大丈夫か? 体の感覚変じゃないか」


 ブランドンのことは一旦無視した。カイは腰をあげて、恐る恐る歩いてみせた。得体の知れない魔法を使われて恐ろしかったに違いない。オリバーの胸は痛んだ。


「大丈夫そう」

「ねぇ、ちょっと。話していい?」

「あっ、はい!」


 ブランドンに責めるように声を投げられ、カイは慌てたように頷いた。オリバーはカイの隣に位置を取る。


「内密な話だ。この場にいる者以外に、話を漏らさないと約束できる奴だけ、残れ」

「ちょっと待て、俺はここにいていいのか。内密と言われて黙っておくだけの分別はあるし、ある程度事情も分かるが……、明らかに毛色が違うだろ」


 マキシアンが、手のひらを見せるようにして両手をあげて、オリバーに視線を向けた。


「俺はマキシアンにいてもらえた方がありがたい」


 ブランドン対策のために、ここにいてほしい。彼の言うことは、この貴族もまだ聞くようだから。

 カイに問いかけの意味を込めて視線をやると、考え込んだ後、所在なさげな男に質問した。


「マキシアンさん、は王立中に入学したマキシアンさんですか?」

「ああ、そうです。オリバーから聞いてる?」

「いえ、受験体験記読んだことがあって」

「えっ、あー、あれ? マジで? やば、俺何書いてたっけ?」

「オリバー先生に魔法を教えてもらったこと書いてましたね。頭が悪くても諦めるなって締め、俺、めっちゃ印象深くて」

「うわー、恥ずかしすぎる。何書いてんだ俺は。まじ? どこで読んだの」


 マキシアンは両手で包むように鼻と口を隠して、身悶えている。


「一回目は、子どもの頃に仕えていた奥様に読ませてもらって、二回目は、その、最近縁がありまして」

「やば、奥様って、聞いてた話からすると貴族の奥様だろ? そんなとこまでいってんのあの冊子。あんなアホみたいな文章、貴族に読まれてると思うと足が震える」

「あはは、本物のマキシアンさんだ。想像してた通りの人です」


 楽しげに微笑むカイを見て、胸がモヤついた。俺の受験体験記を理由に「あなたに教えてもらいたい」とか言ってたのに、他の男のものも読み込んでいるんじゃないか。緊張感や不快感も忘れて、少し僻んだ。


「なんの話? 僕、忙しい中わざわざここまで来てやったんだけど?」


 自分が入れない話に、ブランドンは不機嫌だった。


「ああ、すみません。えっと、その。大変なことに巻き込んでしまうかもしれないんですけど、マキシアンさんが問題なければ、オリバー先生と同意見です」

 マキシアンがにこっと明るく笑った。


「おお! 久しぶりにスミス学舎から王立中に行く後輩が出るってのは、俺にとっても嬉しいことだ。協力させてもらうためにも、この場に加わる。……改めて、俺の名前はマキシアン・クックだ。よろしく」

「カイ・ウェルザリーです。よろしくお願いします」


 ブランドンが、つまらなそうな顔で、手のひらを打った。


「はい、では大円団ということで。お話進めますよ。お前ら立ったままでいいの?」

「座りたいに決まってんだろ」

 気安く言って、マキシアンはため息をついた。

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