第十七話 魔法でも勉強はつまらない

 学校の夏期休暇が終わる頃、オリバーは、魔力演算についてはブランドン・アスターを頼るほかない、という結論を出した。

 マキシアンは仲介役をばっちりこなし、速攻でブランドンから了承を得てくれた。


 魔力演算に関する本を読んだり、昔使っていた教材を引っ張り出したりしてみて、理論を噛み砕くことはできた。

 しかし、王立中がどういうつもりで、これを入試で出題するのかということまでは、理解が及ばない。


 傾向が分からなければ、対策もできない。他の塾や家庭教師はどうするのだろうか。それも気になる。が、あいにくこのあたりにある魔法系の塾は、我がスミス学舎一軒しかないのだった。


 かくして、オリバーは王立中に出向くことになった。マキシアンの伝手はありがたいが、どうにも気が重かった。

 しかし、ギルバードは基礎を身につけ、応用に移ることができる力をつけている。早く王立中対策に取りかからせたい。



 魔法の授業後、ギルバードだけ残した。カイには居残りで補習することを、事前に伝えてある。


「ギル居残りじゃん。がんばってね」

「お先〜」


 ナントとナタリーが、手を振って教室を出ていく。ギルバードはうざったそうに、でも笑顔を浮かべて手を振りかえしていた。

 すっかり仲良し三人組だ。


 一対一になった教室で、彼に問いかけた。


「ギル。王立中の実技試験って何が出るか知っているか?」

「はい。チョコレートとかコーヒーとか……あとガーデニングでしたっけ」


 正確には『ホットチョコレートを作ろう』『美味しいコーヒーを淹れよう』『ガーデニングをしよう』だ。


「そうだ、基本その三つの中から抜き打ちで一題出題される。どうやるのか想像つくか?」


 ギルバードは難しい顔をしてみせた。


「全然分からないです」

「だよなあ。見てもらうのが一番手っ取り早いから、とりあえずやってみせる。ただ、俺も成功するか分からないんだけど」

「ええっ、先生でもできないかもなんですか?」


「ああ、大人の魔法持ちでもなかなかできない。ていうか、魔法を使わずに、普通に手でした方が楽だからな、こんなこと。そういうのを出題してくる」

「性格悪くないですか」

「まあねえ。ま、魔法をどこまで制御できるかを見るにはピッタリなんだろうさ。……じゃ、まずは一番簡単なガーデニングから」


 机の上に、空の植木鉢、土、川砂、肥料、ポピーの苗を並べる(王立中の試験日は寒い時期だから、花の種類は実際と異なる)。


 これらを集めるために、園芸店まで出向いた。量り売りなどはしていないようで、苗以外は大袋で購入した。重たいそれらを両腕に抱えて、ポピーはそっと手に持ちながら帰路についた時には、一体俺は何をやっているのだ、と奇妙な気持ちにならざるを得なかった。


 ここから先は手を一切使ってはいけない。魔法で移動させて、魔法で植える。


 手始めに川砂を浮かせる。一気に持ち上げようとしているのだが、一部取り逃がしてしまうし、植木鉢へ運ぶまでに、テーブルに溢れる。鉢の上で魔法を解くと、ざらっと音を立てて砂が中に落ちた。


「川砂ってなんのために入れるんですか?」

「水はけをよくするためだ。ポピーは湿気に弱いらしい」

「はあ、そうなんですね」


 園芸の授業が始まってしまう。

 王立中の題目は気が抜けてしまうのも意地悪なところだと、オリバーは個人的に思う。


 その後、土を少し植木鉢に入れて、ポピーの苗をその上に置く。さらにその上に土を丁寧にかけていき(ここが地味に大変だ。均等に土が被るように、また苗が汚れないように)、最後に水を作り出してかける。


 このかける時も、少量ずつ、ゆっくり、太い水流ではなく水差しのように細やかに、と神経を使う。


 最後に葉にも薄く水を被せて、これで完成だ。


「という感じ。形だけやればいいわけではなくて、花がこの後も育っていくように作り上げないといけない。

 王立中の合格発表は、入試日からの期間が年によって変わるんだが……このガーデニングに関しては植え付けてから一週間後の花の状態まで判定に含まれるそうだ」

「マジで手でやった方が早いですね、これは……」

「魔法でできそうか?」

「多分……」


 首を捻りながらも、ギルバードはそう答えてみせた。


 翌日、ホットチョコレートとコーヒーの題目を見せた。


 チョコレートはカカオ豆から作る。豆を洗って、炒って、皮を剥ぐ。もちろん、手は使わずに、火も魔法で起こす。


 炒り終えた豆を一粒、ギルバードに渡して外皮剥ぎをやらせると、苦戦していた。


「どうやってもできない」

「最終的には、中身だけにしてそれを潰して練るんだ。だから、皮を剥ぐっていう意識でするよりか、実ごと潰す感じで」

「……分かりました」


 ギルバードが、粉々になれ、と呟くが圧を受けたカカオ豆は、机の上を跳ねるばかりである。皮には亀裂すら入らない。魔法を習う上で、つまずいたことのなかった彼は、チョコレートのいい匂いに包まれながらだんだん不機嫌になっていった。


「カカオ豆の形状を考えて、盛り上がったてっぺんに集約した流れをぶつけたらいい」

「手でやったらよくないですか? 大人になってから使いますかこれ」

「使わん。でも、王立中で学ぶ上ではこれくらいできてくれってことだ」


 オリバーは、一粒目こそ時間がかかったが、すぐに受験勉強をしていた当時の感覚を思い出した。数え切れないほどのカカオ豆を剥いできた日々を思い出して、単純作業をこなしながら、遠い目になる。


 あの頃の祖父も、今のオリバーのように製菓店やら市場に寄って、材料を集めていたのだろうか。


 考えごとをしながらも、手元への注意は絶やさない。カカオ豆の中身をすり潰してまとまるまで練り、器を魔法で温める。それに白い粉を混ぜ込む。


「それなんですか」

「重炭酸ソーダ」

「なんだそれ、魔法の粉じゃないのか……」

「カカオは酸性だから、これ入れて中和するらしい」

「はあ……」


 製菓の講義には、ギルバードは乗ってくれない。子どものわがままにも、比較的おおらかな心で付き合うことができるオリバーも、あまりにもつまらなそうな少年の様子にため息が出そうになる。


 粉が見えなくなるまで練り上げて、砂糖を追加。再び練る。

 しばらくすると器の中身が、十分に混ざり合って艶のあるペースト状になった。掬い上げると、重力に従ってとろとろと落ちていく。

 ミルクを温めて、沸騰する直前で止める。


「僕。ミルク沸騰させて膜が張ったやつ飲むの好きなんですよね」

「へえ、変わってるな。ホットチョコレート作る時には、膜が張るまで温めたらだめなんだ。舌触りが悪くなるから。くれぐれも自分の好みにはこだわるなよ」


 ギルバードは完全に飽きていた。カカオのペーストにミルクを少しずつ注いで、丁寧に練っていく。茶色と白色のマーブル模様が広がり、だんだんと混ざる。


 最後に、器の中身を真っ赤なマグカップに注いで、

「はい、完成。飲んでみろ」


 温かな湯気が上がる、ホットチョコレートの完成だ。


「二時間くらいかかってるんですけど、試験も本当にこんな感じですか?」

「制限時間は五時間だ。五時間経ったら、途中でも強制的に止められる」

「マジで……。受験生全員にそれをやるんですか。とりあえず……いただきます」


 ギルバードが器に口をつける。人肌ほどの温度にとどめたから、決して火傷はしないはずだ。


「美味しい……」

「よかった」

「美味しいけど、自分ではやりたくない」

「いや、やってもらうぞ。それでできたらお父さんに飲んでもらおう」

「……はい」


 ギルバードは、どこか納得していない顔で、ちびちびとチョコレートを飲み続けた。


「よーし、じゃあ次はコーヒーいくか」

「えー、絶対また時間かかるじゃん……。また豆からですよね」

「もちろん、豆から挽く。でも、さっきのほど時間はかからない。道具を使えるから。先生は、これの練習が一番好きだった」


 豆を挽くためのミルや抽出で使う布のフィルターを机上に並べた。


「じゃあ、やるぞ、コーヒー。ちなみに、挽くときに豆をどこまで細かくするかっていうのは調整ができるんだけど、当日試験官が細かさを指定してするから。ちゃんと挽き目の具合を覚えておかないといけない」


 渋々、ギルバードがメモを取り出した。手始めに、ミルの使い方を見せて、実演を始めた。

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