第三十五話 隠し事多いよ

 長い長い坂を息を荒げながら、上がりきると、眼前にブルーム地区の街並みが広がった。


 小高い丘の上に建つ王立中を見下ろす。時計塔で時刻を確認すると、まだ余裕がある。


「結構遠くない?」

「いや、案外近い。あと三十分も歩けば着くさ。走らなくても大丈夫そうだ」


 無駄に体力を消耗するのは得策ではない。後ろを気にしつつ、急ぎ足で進むことにした。

 辺りには人っこひとりいない。他の受験生たちは先に行ってしまっているらしい。当然、ついてきている者もいない。地道に敵の数を減らしたのが功を奏したのか。


 息が整ってくると、ギルバードが待ちきれないという風に、カイに聞いた。


「ねえ、お父さん、魔法。使えるのなんで黙ってたの」

「んー。黙ってたっていうか。俺、魔法持ちとして育てられてないんだよ」

「……どういうこと?」

「色々あったっぽくてさ、自分が魔法を使えるとは知らずに十歳くらいまで育ったんだ。魔法持ちだって教えられたのも、俺の父が屋敷に火をつけようとした段になって、急に、だったし」


「もしかして、魔法で火をつけろって言われたの?」

「うん……。そもそも父も魔法使えないし、どうやって使うのか全く分からなかった。

 何度か試してもできなくて、父が錯乱して言った嘘っぱちだったのかなあって納得してた」


 早足しながら、長く喋るから息が上がっている。カイは、荒い息を繰り返しながらも、背負った鞄から水筒を取り出して、ギルバードに手渡した。彼は受け取り、口をつけて飲む。


「ぷは、なんで、急に魔法使おうって思ったの? 流石にいきなりは難しいだろうし、使う練習してたんだよね、多分」

「うん。空飛ぶ練習だけしてた。実際飛べたのはさっきが初めてだけど。えっと、きっかけはブランドン様が来たときのことなんだけど……」


 無茶苦茶しやがって、と少し呆れながら話に耳を傾けた。



 あの日、ブランドンに言われてひどく渋い顔をしながらも、オリバーは授業中のギルバードを呼びにいった。あの優しい人があんな顔をするのだ、とカイは新鮮に感じていた。


 三人でただ待つ時間、マキシアンは木の椅子に座り、ブランドンもその横に掛ける。


 カイはなんとなく部屋の隅に立っていたが、ブランドンに手招きされて、そろそろと近づいた。膝に座らされたら嫌だ。


「カイちゃんって魔法使えるの?」


 こちらの鈍い動きに苛ついたのか、せっかちに手を握られる。感情を読まれると考えると、それをされて痛いわけではなかったが、気分はよくなかった。なんというか露骨なのだ、この人は。


「使えないです」


 本当のことだ。素直に答えた。


「ふーん。だよね、そんな感じしないもん」


 手が離れる。体の力が抜けたのがバレないように、背中の筋肉に力を入れた。

 ブランドンは、天を仰いでため息をついた。背もたれに頭を預ける形になり、ギルと同じ色の金髪が地面へと溢れ落ちるようだった。


「やっぱトリカブトはなかなかに錯乱しているみたいだ。ギルバードと一緒に逃げた召使いは魔法を使えると言っているらしいんだよね……。眉唾だったが」


 カイは、そこで父の言葉を思い出した。


『お前は魔法が使えるんだ。知っているか、赤ん坊の口元で水を作ると喜ぶんだよ』


 ぞわり、と背筋が寒くなる。父は、魔法で赤子を殺させようとしていた。


『屋敷に火をつけて、暖めるように念じなさい』


 思いやりある行動のふりで、子ども騙しの言葉で、ひどいことをさせようとしていた。

 それをしたら人が傷つくと、当時のカイには分かった。十歳そこそこで、小さな子どもというわけではない。ある程度の分別はあったのだ。


 ――できない。それに、そもそも魔法が使えない。

 断ると、父はカイを見つめていた。どんな顔をしていたのかは覚えていない。

 

 ギルバードを連れて放浪生活を送るようになってからも、父の言葉は引っかかっていて、魔法を試みることもあったが、できなかった。


 手を伸ばしてそれっぽく念じてみて、「水よ現れろ」なんて唱えてみる。が、いつだって、何も起きない。

 端から見れば、まるでごっこ遊びをする子どもだっただろう。


 一歩踏み外せば奈落の底に落ちてしまうような生活の中、体力もぎりぎりで次第にそんなことをする余裕もなくなった。

 伯爵夫人に圧をかけられた父の世迷言だった、として忘れることにした。確かめる術もなかった。


 しかし、ここにきてもう一人、カイが魔法を使えると言う人物が現れた。


 もしかして、本当に?


 久しぶりに試してみようか、もし使えたなら儲けものだ。最高なことに、今のカイの側には、王立中に合格した秀才、オリバー・スミスがいる。


 ああ、でも。仕事にしているものを教えてくれと安易に頼むのは、失礼だろうか。

 忙しそうにしているオリバーのことを考えると、教える時間を割いてもらうわけにはいかなそうだ。


 その時、応接室の扉が開いた。ギルバードが入ってくる。仏頂面のオリバーを添えて。

 



「という具合でして」

 語り終えたカイが、オリバーの顔を見た。反応を待っているらしい。


「そうか……とにかく俺が言いたいのはただ一つ。事前に、言、え。魔法使えるかもって」

「だって、本当に直前まで使えなかったんだよ。船で言おうとしたけど、間が悪かったし。使えないのに、俺魔法持ちーって言えないよ」

「いや……言え」

「そうだよ、お父さん……。隠し事多いよ」


 年下と年上、二人がかりで責められて、カイはしおしおと肩を落とした。


「言ってくれ。頼む、心臓が保たない」

「ごめんなさい」

「他に隠し事はないな?」

「ない……ない、よね? 自分でも分からなくなる」

「怖いこと言うなよ」

 カイが首を傾げて、誤魔化すように笑った。


 こんなに驚かせて、心配させてくる人は、オリバーの人生のなかで、彼一人だけだった。

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