第三十六話 決断

 道は蛇行して、森の中を突っ切るような形になる。木漏れ日が差し込んでいて、穏やかな気持ちになる道だった。ここを抜ければ、煉瓦で舗装された道に出る。


 もう街だ。王立中を中心に学生街として賑わっていて、当然人の往来も多い。安心して進める。

 それを二人に伝えると、安心した顔をした。


「でもさ、なんで、魔法持ちとして生まれたのに、隠して育てられたの? 察しはついてるんだよね?」


 息子に聞かれて、カイは答えた。


「おそらく父と母は、仕えていた伯爵夫人に、魔法持ちの子が生まれたとは言えなかったんだと思う。

 魔法持ちの子が出来なくて、彼女は悩んでいる時期だっただろうから。気を遣ってなのか、彼女が恐ろしくてなのかは分からないけれど。

 それで、普通の子として育てようとしたけど……彼女は、察して……」


 カイは、不自然に言葉を切った。後ろを見る。

 動物が不意にどこかに視線を固定するような、そんな警戒の瞳だった。


 オリバーも構える。

 木々が騒めく。風、ではない。不自然な揺れ方。

 音を追ってあちこちに視線をやる。


 オリバーがギルバードを守るために腕を引こうとした時、一際大きく、近くの茂みが音を立てる。そちらに目をやった瞬間、真後ろで藪が騒いだ。


 何かが飛び出す。音速に近いような。黒い塊。ギルバードに向かってくる。

 オリバーが反応しきれないうちに、カイは自ら盾になってそれを食い止めた。


 鉛を高いところから落としたような衝撃音が、重く響く。

 カイの体が、黒い塊ごと後ろに飛ばされる。それは、先ほどの魔法持ちだった。


 オリバーが捕まえようとすると、大きな身振りで暴れて逃れた。


 カイの肩が目に入る。その肩と首の境目に、大ぶりの刃物が根元まで刺さり、埋まっていた。


 ここにきて――。

 血の気が引く。


 信じられないことに、カイはそれをマントで隠してみせる。そんな余裕なんてないほど痛いはずなのに、きっと、受験前の息子の目に入らないよう気遣った。

 

 その瞬間にオリバーは、許せない、と沸騰した。先ほど仕留めておけばという、たらればの後悔も相まって、俺が殺さなければと思った。


 魔法持ちの黒のコートは皮でできている。掴んだから分かった。


「邪魔するな!」

 吠えるのを聞きながら、オリバーは革のブーツで、その者の腹を容赦なく蹴り飛ばした。軽い体重、か細い体だった。けれど気にならない。


 さて、関節を壊す魔法のコツは、骨の継ぎ目を掴んで、関節の隙間をよく探ることだ。そして、その隙間に魔法の素を走らせる。そうすることで、関節のまわりについている肉を、こそげ落とすことができ、肉と筋ごと解くように骨を引きちぎることができる。


 オリバーは伸し掛かり、その者の首に手を添えた。頚椎を探る。七つの骨がある。

 見つけた。ここ。ここに魔法を通せば、首を落とせる。


 千切れろ、と唱えようとした。その時に、

「オリバー!」

 と、大声で呼ぶカイの声が聞こえた。見ると、痛みに顔を歪めながら、必死で首を振っている。

 ギルバードが肩にぶつかるように抱きついてきた。震えている。怖がらせてしまった。


 頭が冷える。そうだよな、この子たちにそんなものを見せるわけにはいかないな。

 代わりに、眠らせることにした。その者は抵抗して、体を震わせたが無効だ。しばらくすると体の力が抜けて、地面に溶けた。


「お父さん、おとうさん!」

 

 ギルバードが、カイに寄り添うようにして、目を見開いている。隠している部分から、血が滲んでいる。足元まで伝って、滴り落ちている。


「止血しないといけない。ちょっと時間がかかりそうだから、オリバー先生と先に行ってて? 試験終わってからになるかもだけど、追いつくから」

「いやだ!」

「お願いだ、ギル。ね……オリバー先生もおねがい」


 声がだんだん小さくなる。息もまともに吸えていないのに、笑ってみせる。

 このままでは、カイは死んでしまう。太い血管が切れているのが分かった。絶望が足元からじわじわと這い寄る。


 ギルバードは、どうしたらいいのか分からないという風に、動揺しながらこちらを見た。

 オリバーは、強く目を瞑った。落ち着けない。それでも考える。彼が決めなければ、誰も動けないから。


 試験開始まで時間はない。今すぐ向かって、洋服を変える時間があるという程度。立ち止まってはいられない。

 ギルバードを学校まで送り届けてやりたい。追っ手はもういない、と決まったわけではないのだから。

 ただ、カイをここに置いていっては、もう二度と……会えなくなる。止血で間に合うような傷ではないのは一目瞭然だった。

 

 ――カイの気持ちを汲むのであれば、そして、オリバー自身の職務を遂行するためには、ギルバードに着いていくべきだった。

 この若い父親が、自分が死んででも、息子に自由を与えたいと思っているのを、よく知っている。

 

 オリバーは刹那の間に、二択に対する結論を出した。


 震える少年の肩に手を置き、地面に膝をついて、目線を合わせた。ポマードで固めた前髪がほつれて額にかかる。それがうざったくて、乱暴に撫でつけた。

 大柄な教師と、手足の長い少年は見つめあった。二人ともボロボロだった。


「ギル、王立中までは、ここから道なりだ。王立中の校舎自体が目印。でかいからどこにいても見える。……ごめんな、酷なことを言うが」


 オリバーは、ためらって息を吸う。不安な顔をする少年に向けて、諭すように続けた。


「……一人で向かってくれ。校門に、マーサが立ってくれている。これを背負って、ひたすら走れ」


 オリバーはカイの持っていた荷物を、ギルバードに渡した。中には制服や受験票、身元を証明するブルーム卿から贈られた指輪なんかが入っている。


 カイは何も言わない。というよりかは喋る余裕がないのだろう。


「でも、お父さんが」


「お父さんは、先生が治す。絶対に、助けるから。こちらの心配はせずに、お前はお前のためだけに走ってほしい。……できるか」


 ギルバードは、オリバーの目を見つめて、そして、ぐったりと木の幹に体を預けるカイに視線を下ろして――悩んだ末に、涙を堪えて頷いてみせた。


 そして、胸を拳で叩く。任せてくれという仕草だった。

 オリバーは強張る頬を無理やり上げて、微笑んだ。同じ仕草を返した。


 前を向かせて、その背中を軽く叩く。


「身を守りたい時には、魔法の素を体に集めて、固める。石ころ程度なら弾けるはずだ。

 それから、試験の前には深呼吸して、最中も呼吸が浅くならないように気をつけろ。お前が実力を発揮すれば、合格間違いなしだ」

「はい、お父さんのこと、お願いします。試験後に、また」


 ギルバードは、大きく息をついて、目を擦ってから、走り出した。まっすぐ前だけを見て、道を抜ける。

 これでよかったのか、とすぐに悩んでしまうが振り払って、オリバーはカイの横に膝をついた。

 

「オリバーせんせ、なんで……。おねがいって言ったのに」

 カイは、苦しげな呼吸で問うた。


「ごめん、お願いを聞けなくて。教師失格だ、俺は」


 彼のマントの前をくつろげると、深々と刺さった刃物が現れる。息が詰まる。血が張り付いて、布が水音を立てる。


「カイ、俺は……お前が死んでしまうと思ったら、どうしようもなくなった。自分を制御することができなくなった」


 反応がない。オリバーは集中する。刃物を抜いて、すぐさま治癒魔法をかける、というイメージをしようとする。うまくいかない。どうしても、過去の記憶が再生されて、手が震える。


 この大切な人を、治す、助ける。何度も心の中で唱える。……だめだった。手の震えは収まらない。


 オリバーは深く息を吐いて、言葉を紡いだ。

「こんな時なのに、悪い。魔法はうまくいくイメージができていないと、成功しないから……少しだけ話に付き合ってくれ、返事はいらない」


 カイの瞳は伏せられていて、感情を伺い知ることはできない。

 オリバーは溢れる気持ちを、そのまま口にした。自分に言い聞かせるように。


「ごめん。俺は、カイのことがとても好きだ。……大切なんだ。こんな存在ができるなんて、信じられないくらい」


 言いながら同時に、ああ、そうだ、と噛み締める。


「カイに出会ってから、俺は随分明るくなったと思う。たまに顔を見れるだけで、俺のくだらない人生に日が差すようだった。そこにいるだけで、俺を変えてくれた。

 だから、全てを捨ててでも、助けたいんだ。ずっとそばにいたい。……愛している」


 カイが聞いているのかは確かめない。自分のために言葉にした。この目の前の愛しい人を、助けられるだけの思いを俺は持っている。そう、自分を奮い立たせるために。


 全部独りよがりで、ダサいなんてもんじゃないけれど。


 彼を助けて、ずっとそばで暮らすのだ。彼が天寿をまっとうするのを見届ける。

 だから、俺は、この傷を治すことができる。

 

 オリバーは小さく謝りながら、首元の包丁を一思いに抜き取った。血が飛ぶ。構わずにそこに手を添えた。深い傷痕だから、切れ目の最後まで届くように、魔法の素を流し込む。奥の方から、癒着するように、感覚で探る。汗が吹き出た。


 久しぶり、というよりはもはや知らない経験で、これでいいのかと自信が揺らぐ。幸い、気管は傷ついていないようだった。手触りで分かる。安直に、避けた肉をくっ付ければいい。治しては、浅い方に進む、を繰り返す。


 どれほど、そうしていただろうか。頭痛が酷かった。めまいもする。

 溢れる血の川が止まっていた。恐る恐る、手を外して傷を確かめる。ひきつれたような痕は残っているが、――確かに、塞がっていた。


 体の力が抜けた。オリバーは、地面に尻をついて足を投げ出す。無意識に息を止めていたようで、呼吸が苦しかった。肩で息をする。ギルバードに偉そうなことを言えない。


 手のひらについた血を自分のマントの背で拭って、カイの顔に手を伸ばす。規則正しい呼吸を繰り返している。気絶してしまったのだろう、血色は悪いが、眠っているように穏やかな表情だった。

 頬を撫でて、唇に指先で触れて彼が息をしていることを確かめる。

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