第三十四話 傘と魔法は使いよう

 追っ手は、大勢で追いかけるのではなく、広大な山の中をばらけて探すという風に索敵の方法を変えてきているようだった。

 なので、こちらが向こうの気配に先に気づくことができた時には、音を立てずに近づいて魔法で眠らせた。


 また一人眠らせて、オリバーは息を吐いた。

「オリバー先生、大丈夫ですか? 無理してますよね。背中結構痛そう」

「……まあ、痛いのは痛いけど大丈夫です」

 ギルバードを間に挟みながら、カイと話す。


 オリバーは、横の少年が気の毒で仕方がなかった。普通、試験前っていうのはもっと精神統一したり、最後に資料を見返したり、心を落ち着かせる時間だというのに、正反対のことになってしまっている。


 少しでも早く到着して、そういう時間を取らせてやりたい。というか、こんなにゆっくりのペースで道も分からずに進んでいたら、そもそも開始時間に間に合わないかもしれない。

 恐怖心を超えるほどに、気持ちが逸る。林の中を進むのが安全だと分かりながらも、舗装された道に戻る経路を進んだ。


 その判断が誤っていたことに、すぐに気づくことになる。

 正規の通り道が視界に入る場所まで来た。木が途切れる山の端、日を遮るものがないその道は、林の中から見ると光り輝かんばかりだった。わずかに気を緩めた時。


「わ! ちょ」

 カイが、木の影から現れた者に、何かを振り下ろされた。転がるように避けて、道に体を投げ出す。藪が大きく鳴る。


 相手は男が一人、手に持っているのはくわ。オリバーは、ギルバードの肩を抱き寄せて、近くの大木に背を預ける。

 ギルバードに向かってくると覚悟したが、受け身を取ってすぐに立ち上がったカイが傘を片手で突き出し、相手を誘い出す。男も道に躍り出た。その姿を目で追う。


 振り回される鍬に果敢に応戦するが、当たり前だけれど傘の強度には耐え難い動きだった。防戦一方で、じわじわと追い詰められていく。比較的広い道だが、反対側の端は崖になっている。


「絶対出てこないで。先に進んで!」


 カイがこちらを見ずに、声を張る。先に進むのは論外だが、焦るのを抑えて少し様子を見た。

 カイの運動神経には目を見張るものがある。


「武器を捨てて出てこい。父親が死んでもいいのか?」

 鍬を持つ男も負けじと言い募る。


 カイは、崖の間際に追い詰められているようだった。ここからだと、よく見えない。ギルバードが手を解いて、進もうとするのをオリバーは留める。

 あちらの狙いはあくまで、この子である。カイが囮になってくれている今、できることなら隙をついて無力化したい。


 オリバーは苦しげな顔をしながらも、人差し指を立てて口元に添え、ギルバードと視線を交わした。そろりそろりと進み、カイの様子が見える位置までいく。


 その時、空から誰かが降りてくるのが、枝葉の間から見えた。背格好から先ほどの魔法持ちだと分かる。相変わらず顔を隠している。

 そいつは、鍬を手にする男の後ろに立ち、黙ってカイを見つめている。


「……そこの林にあの子どもが隠れてます」

 男が魔法持ちに言った。


「ああ、そう。早く殺しなさい、そいつ。空から見ていたけど、周りに人もいない。好機だ」


 それは低く抑えてはいるが、女性のものだった。男だと思い込んでいたから、オリバーは驚く。


「こいつを囮にしてガキを出させようかと」

 男の声を聞きながら、また一歩進むと、カイの姿が見えた。


 カイは、踵が崖からはみ出すような場所で、両の手のひらを追っ手に見せるように上げて、立っていた。まっすぐの形を保てなくなった傘は、足元に落ちている。

 危ない。ゾッとして、ギルバードと共に息を呑んだ。


「出てこい。ギルバード」

 男はカイに鍬を突きつけたまま、言った。どこか余裕が滲む口調だった。

 カイは平気な顔を作っているが、その肌には汗が光っている。


「油断してはいけない! そいつは魔法を使える」


 女はきつく、刺すように声をかけた。そいつ、というのは崖に追い詰められたカイのこと、だろうか。当の本人は、特別表情を変えない。オリバーと勘違いしているのかもしれない。


「大丈夫ですよ。父親代わりは魔法を使えないと、ブランドンが言っていたらしいですから。本土で魔法を使っている様子も見受けられなかった」


 男は間に受けず、太平楽に返した。魔法持ちが、手に持った箒で地面を強く叩いた。

「私の言うことよりも、あんな奴の戯言を信じるのか」


 カイが、半信半疑というように口を開いた。

「まさか、伯爵夫人……?」

 オリバーは目を見張った。まさか。

 女性は答えない。


「お前の質問に答える義理はない。ガキを出せば、命だけは助けてやるが」


 男は、こちらに声を向けた。オリバーは迷いながら、念の為に持ってきた箒を背から下ろした。二対二、いや、実質二対一の状況でギルバードを守りながらどう動けばいいのか。


「出てきたら、だめだ。もう少し待って」


 カイが迷ったオリバーに気づいたように、そう言った。そして、目を細めて小さく口角を上げる。控えめでありながら、場に似つかわしくない、美しい微笑みだった。

 こちらに向いていた奴らの意識が、カイに向くのが分かった。


「夫人、ガキの俺を屋敷から追い出したのは……俺のこと、魔法持ちだって思ってたからですか? 目障りでしたか」


 女性はやはり、答えない。話が見えなくて、オリバーはギルバードと目を合わせた。少年は首を振った。この子にも分からないことらしい。


「答えてくれないか。まあ、いいや。

 ええっと、俺……トンビが鷹を生むって言葉が好きなんだ」

 カイは、こともなげに雑談を始めた。


「は?」

 腑抜けた反応を返したのは、鍬の先をわずかに下ろした男。


「あと、青は藍より出でて藍より青しって言葉も好き」

「なんの話をしている?」

「息子ができることは父親にもちょっとはできるのかもって思えるから」


 文字通り崖っぷちの青年は、不敵に笑った。しとどに汗をかきながら。


「おい、油断するなと!」


 女性が叫ぶのと同時に、カイが膝を曲げて屈み、傘を掴んで崖に身を躍らせた。

 迷いのない行動に、心配よりも先に驚愕がきた。が、驚きに身を固めるわけにはいかない。

 オリバーは魔法持ちの黒いコートに向かって、石を投げつける。奇襲は成功して、ぶつかったところを手で押さえる。


「お父さん!」

 ギルバードが叫んで、走って崖の際にかじりついた。オリバーは、カイがいなくなった空間、崖に向かって鍬を振るった男に、飛びかかり得物を奪い取る。


 崖際での攻防、手加減はできなかった。頭に向かって鍬を振り下ろすと、男は痛みに叫んで蹲った。眠らせる魔法を使う。追い込まれた状況のためか、感覚が冴え渡っていた。


 少年を背に守りながら、魔法持ちと対峙する。カイのことが気になるが、得体の知れないこいつから視線を外すことはできない。

 あちらは動かず、こちらもギルバードから離れるわけにはいかなかった。距離を保って、お互いの出方を見る。


「お父さん、嘘でしょ」


 ギルバードが、オリバーの背に手を添えて、衣服を握った。呆けたような声。

 魔法持ちの視線が空へずれた隙をついて、彼女に鍬を向ける。肩に当たるが、彼女は悲鳴を堪える。視線を彷徨わせて、後ずさるように藪の中に逃げる。

 戦況が悪いと判断したか。地面に伏せる男は置き去りだった。


 逃げる姿を追いかける気にならなかったのは、彼女の見上げた先を案じたから。上空へ視線を向ける。


 驚きすぎて、安堵もできない。


「と、飛べた……! 一人で」

 自分でやっておきながら信じられない顔をして、カイは傘の端っこにちょこんと跨って、空にいた。なんかぐらぐらしているが。

 傘ってこんなに万能なのか、雨すら降っていないのに、とずれた感想が出てきた。


「いや、嘘だろ」

 素直に、そう思った。

「あ、やばい。落ちる」

 急降下しだした彼に、慌てて着地地点を目算する。その位置に素早くついて、手を広げる。


 途端、安心したのか、彼の体がふわりと落ちてくる。傘ごと抱きとめた。持ち手がめり込んで痛い。風に煽られて解けてしまったらしい頭髪が顔にかかった。


 いつも通りの微笑み、だけれど、普段と視線が逆、見下される。オリバーの腕に掴まれたまま彼は言った。


「オリバー先生ありがとう。俺たち連携ばっちりじゃないか」


 連携と言えるのか、とか魔法使えたのか、とか言いたいことは山程あったが、とりあえず彼を地面に降ろす。

 ギルバードがカイに抱きついた。抱きしめ返して、頭を撫でる。


「ごめん、心配させたね。先を急がなくちゃ」

「……ていうか! 聞いてないよ、魔法使えるって。隠し事多すぎる」


 本当に。心の底から同意する。


「うーん、と。俺もつい最近、やっと分かったというか。ま、そういうの後々あとあと! 追っ手がない今のうちに走ろう」


 オリバーは言いたいことを全て飲み込み、頷いて、ギルバードの背を押した。


「ああ、行こう。この坂を抜けたら、王立中が見える」


 髪の毛を結び直しながら、カイが駆け出して、ギルバードもそれに負けじと着いていく。


 足を進める前に、オリバーは一度、後ろを振り向いた。薮に何かがいる気配はない。

 追いかけて仕留めるべきか、迷うが……。時間がないと諦めた。少年の後について、走り出す。

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